第9話

「帰りましょう、若様。」

 そう言って、若様の前に来ると肩に触れてそっと促した。

「ちょっと待って、フォーリ。これを直して欲しいんだ。この人のロバのくらの革紐が切れてしまって、あやうくロバの下敷きになる所だったんだよ。」

 若様はフォーリをロバの側まで引っ張ってくると、突っ立っているセリナの横に来た。フォーリは制服は着ていないが、背も高く帯剣している。地味だが結構、上等そうな服を着ているし、帯の間に扇子を挟んでいた。その上に外套マントを羽織っている。

「ほら、ここ。だから、この髪紐を使うように言ったんだけど、上等な物は受け取れないって。」

「それで、髪を下ろされていたのですね。」

 フォーリは鞍を見ながら納得したように頷いた。

「若様。その娘さんの言うとおり、この髪紐は使えません。鞍に使えるほどの強度はなく切れてしまいます。ですから、髪を結び直しましょう。」

「そっか。それじゃあ、仕方ないね。」

 若様はようやく納得すると、素直に後ろを向いた。フォーリは懐からくしを出し、手早く丁寧に若様の髪をいてまとめ、若様から髪紐を受け取り、綺麗に結い上げて髪を結んだ。朱色がかった夕陽のような赤い髪が子馬のしっぽのように跳ねる。

 その様子を不思議な気分で、セリナと村の若者達は見つめていた。ただ、髪を結んで貰っているだけなのに、見てはいけないものを見ているかのような、それでいて目を離せない、何か妙な背徳感があった。

「痛くないですか?」

「うん、平気。ありがとう、フォーリ。それで、その鞍なんだけど、どうしたらいい?」

 セリナよりも若様の方が鞍にこだわっている。

「これを使ったらどうですか?」

 らちがあかないと思ったのか、一人の兵士が進み出た。

「私の替えの靴紐です。」

 彼らは足首よりは長い長靴ブーツを履いていた。この辺では珍しい。この辺では長靴を履いていることはない。革で作った短靴を履いている。その長靴はおおよそ決まった規格で作られているため、靴が大きい人は靴紐で調整するようになっていた。また、切り込みを入れることで脱ぎ履きしやすくなっている。

 フォーリはそれを受け取ると、その兵士も手伝って手早く修繕した。さらに、他にほつれている所を見つけたフォーリは、帯の間から革製の道具入れらしき物を取り出す。セリナと村の若者は一斉におどろく。裁縫道具だったのだ。裁縫は大抵女性の仕事であり、男性である護衛が持っているとは思わなかったのである。

 フォーリはそのほつれまで縫ってしまった。何でもできるんだな、という思いがみんなの表情に表れていた。

「これでいいでしょう。」

「さすが、フォーリだね。しっかり直ってる。」

 若様は修繕された所を指で触りながら頷いてセリナを見た。若様とフォーリの視線を受けて、ぽかんとしていたセリナは、はっとして慌てて頭を下げた。

「あ、ありがとうございました! 本当に助かりました……! こいつらは若様に釣られて出てきただけのただの野次馬で、可愛い子に興味があるだけの役立たずですから、本当にありがたいです、ありがとうございました。」

 セリナは緊張のあまり、一息に言ってからふうっと大きく息を吐いた。この時、言うなれば、虎のしっぽを触ったことに全く気がつかなかった。

「……。」

 セリナの言葉でフォーリと後ろの護衛達の視線が一斉に鋭くなり、村の若者達を眺めた。その視線と一気に気温まで下がったかのような緊張感に、セリナも若者達に視線を向けた。若者達はただ突っ立って様子を眺めていたが、一人は若様に投げられて地面に転がった後、そのまま地面に座り込んでいた。

「……お前達は一体、そこで何をしている?」

 フォーリは静かに、だが、どこか剣を思わせるような冷たい声で尋ねる。え、と村の若者達は戸惑った。さすがに素直に言えない。

「おしおきしてたんだよ。彼女に手を出そうとしてから。」

 その時、えっへんと胸を張って若様が答えた。

「若様が、ですか?」

 フォーリがいささか驚いた様子で聞き返す。

「うん。」

 自信満々に若様は頷いた。ぴょん、と可愛らしく髪の毛が揺れる。フォーリと護衛達は困惑気味に顔を見合わせている。困惑しているのは、セリナと若者達も同じだった。お互いに顔を見合わせる。

(この若様、何を言ってるの? やっぱり気が狂っているって話、本当なのかしら。)

 思わずセリナはそんなことまで考えた。

「だって、べっぴんさんとか言って笑いながら近づくから。」

 セリナと若者達は目が点になった。そして、セリナは頭を抱えたくなった。何か、この若様はきっと勘違いしている。若様はセリナに近づいたと思い込んでいるのだ。実際には若様に近づいたのだが。

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