第87話

「それで、妃殿下の紹介状があったから、ベブフフ家の侍女として首府のお屋敷に勤めていたんだよ。ま、あベブフフ家のお屋敷で勤めていたけど、ちょっといざこざがあってね。だから、田舎に来てここに落ち着いているというわけだよ。」

 フォーリは少し考えている様子だったが、こう言いだした。

「たしか、十六年ほど前だったはずだが、ベブフフ家の今の当主の弟が侍女と駆け落ちしたといううわさがあった。結局、連れ戻されて侍女とは別れさせられたという話だったが、侍女が死んだら自分も死ぬと大騒ぎしたので、仕方なく田舎の屋敷のある方に住まわせることにしたという。」

 ジリナは王宮で働いてきただけあり、ちょっとやそっとでおどろかない自信はあったが、今のフォーリの言葉には心底驚いたし、ぎょっとした。

「セリナとちょうと年頃が合う。」

「……。」

 ジリナの背中に冷や汗がつっと流れた。

「なるほど、あなたは抜け目ない女性だ。」

「何を言っているんだい、あの子は拾った子だよ。それに、他の子供達だっている。第一、わたしとセリナのどこが似てるんだい?」

 ジリナは声が震えないように力を入れて答える。

「妻に先立たれて子がいる男と結婚すればいい。夫を説得し、移住先の村でもそのように話せば、何の問題もなくセリナは拾った子になる。そして、再婚した夫との間に生まれた子がセリナの妹のロナということだ。」

「……。」

「顔立ちについては化粧をするなど、なんらかの方法を使えばいい。あなたなら、それくらいの事は簡単に思いつくだろう。」

 ジリナは呆然とし、それから呆れて笑ってしまった。だから、ニピ族をみんな手に入れたがるのだろう。だが、誤魔化すのは無理だと勘が告げていた。

「……まったく、嫌な連中だね、ニピ族ってのは。わたしが話していないことまで言い当てるなんて。実はあの時、ご領主様に妊娠していないと嘘をついたんだ。だから、何が何でもセリナはベブフフの若様のお子だといけないんだよ。だから、言わないでおくれ。特にセリナには。あの子には決して言わないで欲しい。」

 必死になってジリナはフォーリに頼み込む。今まで人生の半分を使って隠して来たことなのだ。

「言いません。わたしには関係のないことです。」

 ジリナはフォーリのきっぱりした態度にぽかんとした。思わずため息をついてしまった。かろうじて腰が抜けるのは回避したが、力が抜けそうだった。

「ああもう、嫌だねぇ。心配したわたしが馬鹿みたいじゃないか。」

「それより、もう一つ質問がある。セリナの行動を知っている者は、あなたや友人のリカンナ以外にもいるのか?」

 フォーリの念のためのような質問に、ジリナは小さく息を吐く。

「そりゃあ、もちろん、セリナと同じ年頃の子ならみんな知っているだろうよ。うちの家族だってそうだし、何もセリナと同じ年頃でなくても見かけるんだし、どこに行くとか分かってるさね。小さな村だから人間関係も狭いよ。」

「やはり、そうか。分かった。」

 フォーリも当然分かっていたらしい。これは周りになんて言うかの説明用の質問だろう。フォーリがそのまま行ってしまいそうな気配を見せたので、ジリナは慌てた。

「ちょっと、お待ちよ。灯りを付けて行ってくれないかい? あんたは見えても、わたしは見えやしないんだからね。」

「すまない。」

 フォーリは律儀に謝るとランプに灯りを付けた。ニピ族はどういう物を使っているのか知らないが、蓋を開けるとぼうっと青白い炎を出す道具を持っている。懐から取り出して使える小さな物だ。ベブフフ家に仕えていたニピ族も持っていた。

「前から思っていたけど、その道具は便利だね。どういう仕組みだい?」

 ランプの明かりがついてからジリナは聞いてみる。

「残念だが秘密だ。放火に使われても困る。それから、事が落ち着くまでシルネとエルナの二人の問題の娘達はこちらで預かる。口封じされたらやっかいだ。」

 フォーリはランプをジリナに手渡すと、さっさと身をひるがえして行ってしまった。

「……まったく、罪作りな男だね。若様はお人形さんみたいに可愛いから、愛でる観賞用さ。大人のいい男を見たことがないから、娘達はみんなあんたにれたり、親衛隊に惚れたりしているってのに。セリナはあんたに信頼されてるっていうんで、妬まれているんだけどね。」

 小さな声でいなくなったフォーリに文句を言う。

「それで、もし、お前も若ければ、あの男に惚れたのか?」

「!」

 窓の外からふいに声がして、ジリナは胸をでさすった。

「驚かさないでくれよ。そうだね。女ってのは少し悪い男や癖のある男に惚れるもんさ。」

「…あの男は悪いか?」

「いいや。悪くないよ。それよりも癖のある方だろうね。それに手が届かない相手だ。その上、顔も姿も良くて厳しい中に時折見せる優しさに、心を掴まれるもんだよ。うちの娘は少しずれているからね、セリナだけだろ。観賞用の若様に本気で惚れているのは。困った娘さ。」

 ジリナはため息をついた。

「なぜ、私の事を話さなかった?」

「なんでってひどくないかい、あんた。昔からのよしみで話さなかったってのに。話さなかったのが不満かい?」

「――ただ、気になっただけだ。」

「それよりも、あんた、セリナも殺すつもりだったんだね。わたしの娘だよ。本当にひどい男だ。もう次はないよ。今度やったら、わたしがあんたを殺す。分かってるだろ。わたしの性格は。有言実行あるのみ。覚悟するんだね。殺されたくなかったら、しばらくじっとしていることだ。」

 すると、相手が苦笑したように笑った。

「他に言うことはないのか?」

「あるよ。……いつ、思い出したんだい?」

 相手はふふん、と笑う。

「まったく情けないことに、最近まで思い出さなかった。ここに若様が来る二ヶ月前、街に出かけた時だ。見知らぬ男達に取り囲まれ、どこかに地下室らしき部屋に閉じ込められた。その後、医者に薬を飲まされたり、香を嗅がされたりしているうちに思い出したのだ、全てを。自分が本当は何者であったのかも。」

「……。」

「お前に言うことはただ一つ。さっきお前が言った言葉をそっくり返す。私がお前を殺してやる。後でゆっくりとな。」

「あんたの方こそ、悪い男だよ。もう、放っといたらどうなんだい。」

 相手は黙ったまま立ち去った。ジリナは少し開けられた窓を閉め直す。少し立ち止まって何事か考え込んだ後、娘達がいる部屋に急いで戻った。

 ジリナはまったく気がつかなかった。暗闇の物陰に立ち去ったはずのフォーリがいたことに。

(……なるほど。そういうことか。)

 フォーリは一人納得すると、今度こそ戻ったのだった。

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