第30話

「…お願いです、助けてください! 私は何もいりません! だから、ここから出してください、お願いです!」

 若様は必死に誰かに出してくれるように頼んでいる。

「若様、若様、フォーリです! 目を覚まして下さい。大丈夫、大丈夫。本当のことではありません。」

 フォーリは若様の耳元で何度も呼びかける。それでも、まだ若様は目覚めない。

「姉上を戦地に送らないでください! おねがいです、もう……。」

 若様は泣きじゃくってしゃくりあげた。

「若様、しっかり、目を覚まして下さい、大丈夫です、何もされません。」

 フォーリは忍耐強く幼子をあやすように若様の背中をさすり続け、体を揺すりながらほおを軽く叩き続けた。

「…う、うう。」

 すると、ようやく泣いていた若様が目を覚ましたようだ。

「若様、若様、気がつかれましたか?」

 若様は目覚めた後もフォーリの腕の中で泣き続けている。

 決して長い時間ではなかった。それでも、今、見た光景はセリナに衝撃しょうげきを与えるのに十分だった。全身を震わせながら根っこが生えたように動けないでいると、フォーリがふとセリナに気がついた。首を振って出て行けと険しい表情で合図されたので、セリナはできるだけ急いで回れ右をした。これでも慌てているのだが、全身が固まって上手く動かせない。

 フォーリの動きで初めて兵士がセリナに気がついたようで振り返った。それだけ、若様の方に気を取られていたのだ。

 このお屋敷で決まりごと。「一つ、大きな物音を立てない。」それが、頭の中を巡っている。その理由が分かって、できるだけ静かに、それでも急いでセリナは足を動かした。部屋が広すぎて、何歩か歩いているのに部屋の外に出られない。

「……フォ、フォーリ。……怖かった。」

「また、悪い夢を見たのですね。ほら、扉も開いています。閉じ込められたりしませんから、ご安心下さい。」

 扉が開いていた理由が判明して、セリナの胸の内に黒いもやが広がった気がした。

「……うん。でもね、どんな夢だったのか、よく思い出せいないよ。なんか、怖かったのだけ、覚えてる。」

「無理して思い出そうとしなくていいのです。」

「うん……。ごめんね、寝ていたのに。」

「私のことなら、気になさらなくていいのです。大丈夫ですから。」

「でも…、見張りの人も……。」

「私は元々夜番ですから寝ないのです。」

「……そっか。」

 部屋を出て行く前にそんなやり取りが聞こえた。部屋から一歩出て、大きく息を吐いた。足がガクガクしていたが、必死に足を動かした。逃げ出すように階段までたどり着く。

 急いで駆け下りようとしていると、下から誰かが複数人上がってきた。端っこに寄ると、もう一人の兵士とカートン家の医者のベリー医師が駆け上がってきた所だった。頭には寝癖がついたままだ。叩き起こされたのだろう。

 黙ってやり過ごしてから、セリナは何とか自分の部屋に戻った。ジリナとリカンナを起こさないようにそっとランプを戻し、ようやく布団に横になる。

 体はすっかり冷え切っていた。頭まですっぽりと布団を被る。布団に潜り込むと、なぜだか涙が出た。無性に胸が痛かった。若様の悲鳴と懇願こんがんが頭から離れない。

(気が狂っているんじゃない。もし、そうだとしたら気を狂わされたんだ。)

 セリナはそう確信した。助けて欲しい、出して欲しい。一生懸命頼んでいた。最後は姉を戦地に送らないで欲しいとも言っていた。都の政治の話なんて、遠い世界の話だ。全然気にしたことがないので、誰のことだか分からない。

(もうちょっと、真面目に母さんの話を聞いておけば良かった。)

 今さらながらに後悔した。きっと、一生聞いておけば良かったなんて後悔をしないと思っていたのに。

 ただ、何年か前に王様が王位に就いた時に、かなり何かいざこざがあったことだけは知っていた。あの若様が前の王様の子供だということは分かっている。それでも、何か記憶の端に残っていないか思い出そうとしてみた。

(……うーん、駄目だ。思い出せそうで思い出せない。)

 セリナは考え込んだ。若様は普段、恐い思いをしたとか、全然そんな素振りを見せないが、本当は夜な夜な夢に見るほどの目に遭っていたのだと思えば胸が痛んだ。思えば料理係の女性が亡くなった時も、最初は平気そうな様子だった。本当に平気なんだとセリナもリカンナも思っていたほどだ。

 でも、本当は違った。

 若様はたぶん、憶測で十三歳か十四歳くらいだろうか。だとすれば、確か王様が王位に就いたのが五年くらい前だった気がするので、八歳か九歳くらいの時にひどい目にあったのだろう。

(……そんなに小さな時に。)

 セリナは眠ろうとしたが、若様の痛いとか、外してとか、そんな言葉ばかり思い出してしまい、嫌な想像をしてしまう。たかが十歳前後の子供を縄か何かに繋いで監禁していた、そんな状態が思い浮かんでしまう。

 結局、一睡もできないまま、セリナは朝を迎えたのだった。 

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