第34話

 セリナの反応の方に、フォーリがぎょっとしたように一歩身を引いた。

「もちろん、実在の人物だ。ただ、お前の思っているような話ではない。光の剣で一振りで十人の敵をなぎ倒すとか、銀の弓で向こうの山に隠れている敵将をその一矢で射殺すとか、たかおおかみの王と友達で危機に陥った時、助けに来てくれるという話ではない。」

 フォーリが話したのは、商人が村にやってきて話してくれる話だ。つまり、その辺は作り話ということだ。そこが一番面白いのに。いけないと分かっているのに、がっかりしてしまう。

「リイカ様は若様の実の姉君でいらっしゃる。若様とは五歳違いで、今年、二十歳になられた。」

 へえ、と聞き流しそうになってしまったが、今、若様の年齢が分かった。つまり、若様は十五歳だ。

(…十五!? かなり、童顔だったのね。全然、十五歳に見えなかった。十二歳くらいだと思ってた……。)

 セリナと一つしか違わない。それでも一歳は年下なので可愛いと思っても大丈夫そうだと、妙なことでセリナは安心した。しかし、そんなことは言えないので、とりあえず別に思ったことを言っておく。

「……若様は、お姉さんに戦いに行って欲しくなかったんですね。」

 ありふれたことを言ったつもりだったが、セリナは戦姫様が実在の人物だったという衝撃しょうげきで重要なことを忘れていた。さっきまで、フォーリに殺されるかもしれないと思っていたのに、その恐怖を忘れて余計なことを言ってしまったのだ。

 セリナが言った途端、目の前のフォーリから出される空気が急速に険悪になった。しまったと思うがすでに遅い。

「当たり前だ。戦地などに一度も行ったことのない、たった十五歳の姫をいきなり戦地に送ることなどあり得ない。若様のご容姿を見れば、リイカ様のご容姿も想像できるだろう。十五歳の娘が男だらけの集団の中で、しかも戦に勝利しなければならない。」

 フォーリの話で、「戦姫様」の話がキラキラしたものから一気に泥臭くなった気がした。急に現実味を帯びた話になって、若様によく似た女の子が戦地に送られたら、どうなるのか、火を見るより明らかなような気がした。よく考えれば、今の若様と同じ年齢だ。きっと、若様みたいに可愛かったに違いない。

「勝利は弟の命と引き換えだ。現実は作り話のように面白おかしい話ではない。どれほど苦労して実績を積み上げられたか、男でさえもむずかしい任務をやり遂げられているのか、若様は一度も忘れられたことはない。現実は血反吐を吐くほどの、泥にまみれたきびしいものだということだ。」

 セリナは言ったことを後悔した。「戦姫様」が勝つ話を聞くたびに喜んでいた。勝てばなんだって嬉しいものだ。それが、自分とは遠い場所で行われている戦だと聞いても、勝ったことを喜んでいた。でも、実際の「戦姫様」は勝つ必要があったのだ。弟が殺されるから。本当は悲しい勝利だったのだ。

 さっきまで「戦姫様」の話が聞けると思って嬉しくて浮ついていたのに、地面に叩きつけられた気分だった。靴の中にザラザラした砂が入って気持ち悪いように、セリナの胸の中もザラザラした。

 若様の叔父と叔母の若様に対する仕打ちは酷いものだが、姉に対する仕打ちも酷かった。だから、フォーリの言葉には怒りがにじんでいる。

 つまり、今の話からいけば弟の命を守りたければ、必ず戦に勝利しろと王である叔父から厳命を受けていた、いや、受けている、ということになる。

 自分達がかっこいいと思っていた戦姫様は、本当は泣きながら必死になって、弟の命を守るために勝利をつかんでいたのだ。戦勝で弟の命を今でも買っているのだ。

 セリナは気がついた。だから、戦姫様は一度も敗戦したことがない。負ければ弟が殺されるから。

 涙をこらえられなくなって、セリナはうつむいた。さっきまでの自分が恥ずかしかった。涙が穴を修理した靴の先に落ちていく。

「…ごめんなさい。無神経なことを言いました。」

 フォーリがため息をついた。

「お前は無知だが、頭が悪いわけではない。」

 言葉がさっきよりも優しかった。

「いいか、昨晩、見たことは若様には決して言うな。分かっていると思うが、他言無用だ。」

 セリナは涙を拭きつつ懸命けんめいうなずいた。

「…わ、分かってます。」

「それは分かっている態度ではない。分かっている態度は、お前の母のような態度のことだ。何か知っている素振りは全くないだろう。あのように振る舞え。」

 ジリナの態度はセリナには腹が立つが、若様の前には必要なのだと理解した。理解しても腹は立つが。

「分かりました。むずかしいですが、努力します。」

「確かにすぐには身につかないだろう。それでいい。」

 フォーリが許してくれたので、促されて小屋の外に出た。小屋に入る前に感じていた死の恐怖はもはや忘れ去っていたが、代わりに残酷な現実を突きつけられて、苦い気持ちで一杯になっていた。

 セリナは頭を下げて戻ろうとして思い出した。

「あの、これ、お返ししないと。」

 昨日、渡しそびれたブローチだ。

「……それは、お前が若様に直接、お渡ししろ。歳の近いお前が話せば、若様も少しは気が紛れるだろう。今日は部屋にもっておられるから。」

 つまり、今から若様に何事もなかったふりをして、会いに行けということか。セリナは慌てた。

「あの!」

「なんだ?」

「まだ、顔の準備ができてません…!」

 ジリナみたいな顔ができないので、本当に必死だったのにフォーリに笑われてしまい、真っ赤になったセリナだった。

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