第64話

「早く戻りましょう。嫌な予感がします。」

 シークが若様を促した。

「…うん。」

「若様、大丈夫ですか?」

 シークが若様の顔をのぞき込む。若様の様子が変だった。さっきから足の動きが重い。刺客かもしれない何者かの出現に、緊張しているせいかと思ったが違う。若様は身をかがめ、苦痛に耐えている様子だ。

「若様、大丈夫ですか?」

「若様、どこか具合が悪いのですか?」

 セリナとシークの声が重なった。

「…お、おなかが……。」

 答えようとしてよろめき、シークが支えようとした腕にしがみついて苦痛にうめいた。顔色が真っ青で額に冷や汗がびっしり浮かんでいる。

「ど、どうしたんですか!?」

 呆然としたセリナだったが、すぐに我に返るとシークと同じように若様の顔をのぞき込んだ。

「…いたくて、あつい。」

 はあはあ肩で息をしながら若様が答えた。押さえている場所は胃の辺りだ。

「…ぱ、パン!? でも、みんな食べたのに、なんで若様だけが!?」

 混乱しながらセリナは叫んだ。だって、どうしてだろう。訳が分からない。自分は何ともないのに。

「セリナ、それよりも早く帰るぞ!」

 シークに言われてセリナは我に返った。今は考えているひまはない。とにかく、若様が苦しがっている。早く帰って治療しないといけない。何とかセリナは自分に言い聞かせた。心臓の音がやけに大きく聞こえる。

 シークが若様を抱き上げたが、若様がうめいて暴れた。

「……まって!」

 仕方なくシークは嫌がる若様を地面に下ろす。若様は四つんいになり、全身を震わせている。吐こうとしているのだ。でも、上手く吐けないでいる。

 気づいたセリナは誰かが止める間もなく、若様のあえでいる口の中に指を突っ込んだ。

「……う、ううっ。」

 おどろいた若様に指をかじられたが、吐くまで奥に指を突っ込んだ。なんとか嘔吐おうとさせる。吐瀉としゃ物を見て、セリナとシークは息を呑んだ。真っ赤な鮮血が混じり異様な臭いが漂っている。

 セリナは毒味役の女性が死んだ時のことを思い出した。かっと見開いた目。口からは舌がだらんと垂れていた。毒だ。それしか考えられない。若様がああなるかもしれない。途端、セリナは背中がぞっとした。でも、一体、何に入っていたのか。

「水を…!」

 手を拭いたセリナは、急いで背負いかごの水筒を出そうとした。

「待て、その水は飲ませるな。」

 若様の背中をさすっていたシークが、自分の水筒を差し出し、二人がかりで若様に水を飲ませた。若様は全身を震わせ自力で座っていられないので、シークが体を支える。

 若様の顔色が悪い。水筒を持つのもやっとなので、一緒に持った手がどんどん冷たくなっていく。急速に悪化していく若様の状態にセリナは恐くなった。体が震えて涙が出て来る。

「泣いている場合じゃないぞ。」

 シークに言われてセリナは涙を拭った。その時、母に言われたことを思い出した。

「あ、そうだ、これを一緒に飲んで!」

 セリナは背負い籠から急いで炭を取り出した。

「母さんが、毒の時はこれを飲ませろって、毒きのこ食べちゃった人に、飲ませてた!」

 言いながら炭を爪で削り、若様の口に突っ込み無理矢理、水を飲ませる。喉につっかえたのか、せっかく飲んだ水をまた吐き戻した。

「せっかく飲んだのに…!」

 思わずセリナが言うと、いや、これでいいとシークがうなずいた。部下から水筒を受け取り、また若様に水と炭を飲ませ、落ち着いたのを見計らって抱えて走り出した。

「ついて来れなければ置いていく!」

 シークの言葉に、セリナは炭を握りしめて必死に走った。途中で一人の兵士が背負い籠を背負ってくれた。これで、かなり軽くなる。中身が入っていないとはいえ、走るとなると邪魔だったのでありがたかった。

 最後のちょっとした山道に差しかかった時だった。物音に九人は振り返った。

「危ない! けろ!」

 何が起こったのか、セリナは理解できなかった。近くの兵士に助けて貰ったのでセリナは無事だったが、二人の兵士が負傷した。なぜか、大岩が突然、転がり落ちてきたのだ。

「大丈夫か?」

 シークが負傷した二人に確認する。

「はい。少し切っただけです。」

「私も走れます。」

 負傷した二人は答えた。また、走り出そうとした時、今度は地響きがした。はっとして斜面をきょろきょろと見上げる。

「逃げろ! 丸太が転がってくる!」

 シークが叫んだ。明らかに誰かが若様を殺そうとしている。一緒にいる自分達もろともだ。明らかなる殺意にセリナは恐怖と共に怒りを感じた。

 転がってくる丸太はさっきの岩に当たってね、岩も転がしつつ迫ってくる。考えている暇はなかった。右側も切り立った斜面で登れない。今度もセリナは兵士に助けて貰った。転がってきた丸太は一本だけではなかった。二本も三本も……、もっと、たくさん落ちてきたのだ。

 長いような短いような時間だった。セリナは少しの間、気絶していたかもしれない。はっとして目覚めると、何か重いものが上におおい被さっている。すぐには何か分からなかったが、助けてくれた兵士の体なのだと気がついた。鉄さびのような臭いがしている。地面に赤いものが見えて、血だと気がついた。

 今度は親衛隊も無事では済まなかった。セリナは覆い被さっている兵士の体の下から這い出た。彼の顔面は血だらけで意識はない。死んでいるのか生きているのか分からない。セリナも気がつけば、腕を酷くすりむいていた。

 だが、今はそれどころではない。心臓の音がやけに聞こえる。ドクン、ドクン…と耳の中で心臓が鳴っているみたいだ。

(若様は? 若様は、どこ? 若様は?)

 必死に辺りを見回した。立っている人は見当たらない。兵士の何人かが地面に倒れていた。つい、さっきまで動いていた人が動かなくなっている。初めて見る惨事さんじに体から力が抜けそうになった。必死に体に力を入れるが、膝がブルブル、ガクガク震えた。血の臭いに吐きそうになる。

「セリナ、無事だったか。」

 シークの声だ。セリナは首を動かし、斜面の方を見上げた。なんと、彼は若様を抱きかかえたまま、丸太が転がってくる斜面の方に逃げ、生えている木を盾にしてなんを逃れたのだ。その方法で他にも三人が助かっていた。その中には森の子族もいる。斜面を降りてきたが、さすがに身のこなしが違う。

「お前達は無事か?」

「はい。」

 隊長の確認に四人は頷いた。

「走れるな?」

「はい。」

「行くぞ。」

 セリナは呆然とそのやり取りを眺めていた。行くって、どこに行くの? この人達、けがしているのに……。起き上がる気配もない、地面に倒れ伏したままの兵士達を見て、セリナは恐くなっていた。

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