第12話

 働き始めて二ヶ月もたった頃、最初に四十人いた人員は半分に減らされていた。働きを見てきちんと動ける者、また多少、仕事になんがあっても忠実に言うことを聞く者が選ばれたようだった。

 セリナもリカンナも残った二十人に入った。雇われた者は娘達なので、主に洗濯と掃除、護衛の兵士達の食事を作る。男手が必要な仕事は、兵士達が自分達で行うようだ。てっきり、若様と呼ばれている王子様の食事を作る係も回ってくるかと思いきや、それはなかった。一人の中年の女性が都からずっと作っているらしく、その人が担当しているようだ。

「ねえ、なんで、若様の食事はあたし達に作るように言われないのかしら。」

 洗濯をしながらリカンナが小声で聞いてきた。ジリナが何か知っているだろうと思い、セリナに聞いてきたのだ。

「分かんない。母さんはたぶん、理由を知っていると思うんだけど、教えてくれないもの。」

 セリナも疑問に思って、一度ジリナに尋ねてみたが言葉を濁して教えてくれなかった。せっせと洗濯をして干していく。

 若様とフォーリの分は入っていないようだったが、兵士達の分があるので、結構、洗濯量は多い。だから、雇われた娘達の半分以上が洗濯の担当になる。

 当初は容姿端麗な若様の姿を見て、興奮していたほとんどが未婚の村娘達だったが、だんだん不安になってきていた。

 一番の理由は兵士達の様子だ。セリナも含めて皆、兵士達は若様の護衛なのだと思っていた。だが、どうも様子が変なのだ。時折、フォーリと対立することがある。さらに見ていると、兵士達には隊長がいるらしいことが分かった。最初に隊長だと思っていた人は、どうやら二番目くらいの立場の人だったようだ。しかも、彼らは時折、セリナ達村娘をきびしい眼差しで見ていることもある。

 なんだか、監視されているようだし、王子である若様を監視しているようにも思える。

「おかしいわよね? だって、若様は本当は王子様なんでしょ。それなのに若様って呼ばせることも変だし、気が狂っているって話なのに、ぜんぜん狂ってなくてまともじゃないのよ。」

 リカンナは不安そうに辺りを見回しながら、小声でさらに言った。

「分かんないわ。だけど、リカンナ、母さんが言ってた。下手に疑問に出さない方がいいって。知ってても知らないふりをした方がいいって言ってた。母さんは恐いけど、こういうことは正しいと思う。」

 セリナが注意するとリカンナはそうね、と納得した。

「さっさとやっちゃいましょ。」

 セリナが促すとリカンナも頷いて一緒に立ち上がった。

 その時、炊事場の方が騒がしくなった。村娘の悲鳴が上がる。慌てて二人は手に持っていた洗濯物を縄に引っかけると、炊事場の勝手口に走った。

「騒ぐな。奥の部屋に運べ。それから、ベリー先生を呼んでくれ。」

 すでにフォーリが雇われた村娘達と兵士達に命じていた。兵士達が使われていない板戸を使って誰かを運び出した。人をかき分けてみると、運び出されたのは若様の料理担当の女性だった。口から泡を吹いてびくびくと痙攣けいれんしている。思わず、息を呑む。リカンナを見ると、呆然としてその様子を見つめていた。

「何をしている。落ち着いて元の仕事に戻れ。」

 フォーリはほとんどの人を持ち場に戻らせた。隊長らしき人が数人の兵士に、顔の鼻から下半分を覆わせて床を掃除するように命じた。彼女が床に嘔吐おうとしたらしい。いつも掃除をする雇われた村娘達には命じなかった。

 セリナとリカンナも洗濯場に戻った。さっき、引っかけた洗濯物を干し直し、残りを干していく。二人とも黙ったままだったが、たぶん考えていることは同じだった。

 おそらく、若様の命が狙われた。

 それ以外に考えられなかった。あんなに可愛らしい王子様を狙う必要なんてあるのだろうか。いや、確かにあの容姿で王様になったら、それは見栄えがいいだろうが、だからと言って、そこまでして追い落とさなければいけないものなのだろうか。平民の自分達には想像もつかない世界だ。

 洗濯物を干し終わった二人が、桶を抱えて裏庭から続く通路を歩いていると、通路のど真ん中でフォーリとジリナが立ち話をしている。二人ともセリナとリカンナに気がついたはずだが、話をやめようとしなかった。戻ろうとすると、ジリナに下がらなくてもいいと言われ、少女達は困惑したままそこに突っ立っているはめになる。

 つまり、聞きたくなくても話を聞かなければならなかった。

「では、若様のお食事はわたしがお作りしましょうか?」

 ジリナの質問にフォーリは首を振った。

「いや、事態がまだはっきりしていない。食材の安全性も分からないから私が作る。」

 セリナとリカンナは耳を疑った。思わず顔を見合わせる。

(私が作るって、あの人、料理もするの!? でも、ろくな料理じゃないんじゃないかしら。)

 内心でセリナは疑った。

「では、親衛隊の食事についてはどうするんですか?」

「狙いは若様だとはっきりしている。この屋敷には厨房が全部で三つある。そのうちの二つを使用しており、一つが若様専用だ。若様の料理担当が倒れたことからしても、誰が料理担当か把握している者が犯人だろう。」

「つまり、親衛隊が一番怪しいので、兵士達の食材には毒は入っていないだろうということですか?」

 ジリナの確認にフォーリは頷いた。どうやら、護衛の兵士達のことを親衛隊というらしい。セリナは今頃になってようやく理解した。

「そのとおりだ。」

「では、親衛隊の料理は通常通りに作ります。まあ、村人の誰かが知らずに黒幕に利用されたとしても、兵士達と同じ料理を食べる訳ですから、自分達の食材に毒を入れるような真似はしないでしょうね。」

「そういうことだ。」

「あのう、そしたら、若様のお食事も兵士達と同じ食材から作ったらいいじゃないんですか?」

 思わず発言してセリナは後悔した。ジリナとフォーリにじろり、とにらまれる。どうやら、そこにはいてもいいが発言は許されていなかったらしい。

「若様に安全でないものをお出しする訳にはいかない。」

 フォーリの厳しい声にセリナは「だって、あんた、今、兵士たちの食材に毒は入っていないだろうって言ったじゃないのよ」と心の中で反論した。

「とりあえず、今日はうちの畑から直接抜いた物を持ってきます。この後、一旦、取りに行きます。」

「そうして貰えるとありがたい。」

「肉類はどうします?」

「今日は私が鶏を一羽つぶす。明日以降については考える。」

 フォーリは言って立ち去った。それを見届けてから、ジリナは二人を手招きした。

「お前達、これからやることを分かっているね?」

「……他言無用ってこと?」

 セリナが聞き返すと、ジリナはセリナの頭をこづいた。

「違うね。何のために、あんた達に今の話を聞かせたと思うんだい。みんなにフォーリ殿の見解を伝えるんだよ。どうせ、噂話に花が咲く。みんな何か知っているか知りたがる。その時、あんた達が今し方見聞きした話をするんだよ。」

 セリナとリカンナは顔を見合わせた。

「でも、フォーリさんに確認しているんですか? 話してもいいって。」

 リカンナの問いにジリナはうなずいた。

「当たり前さ。分かっているから、あんた達をわたしが引き止めて話を聞かせても黙っていたんだよ。そうでなかったら、追い払われていたさ、最初からね。」

「噂話をするなって言われたり、しろって言われたりどっちなのよ。」

 セリナが文句を言うと、ジリナは笑った。

「まあ、お偉方のやることなすことなんて、わたし達には矛盾だらけさ。だけど、無意味なわけじゃない。上が直接言ったら、それが確定してしまうだろう。だから、間接的にあんた達を使って伝えるのさ。」

「ふうん。」

「とにかく頼んだよ、あんた達。」

 ジリナも去って、二人はふうっと息を吐いた。

「……ねえ、あんた、あの若様が話しかけようとしても、無視して避けてたでしょ?」

 リカンナが考え込むように言ってきた。

「え? うん。母さんがあまり馴れ馴れしくするなって言うから。」

「でも、今日くらいは話してあげてもいいんじゃないの? だって、若様だって分かってるでしょ。自分を狙ってのことだって。誰かに話したい時だってあるよ。話さなくても側にいて欲しいとか。」

 確かにそうだ。セリナはリカンナを見つめた。深刻な表情でリカンナは続ける。

「だって、普通は恐いはずだよ。自分の命が狙われてるんだから。」

「確かにリカンナの言う通りよね。母さんに脅され過ぎちゃって、話したらだめだって主込み過ぎていたかも。」

 セリナはジリナにクビにされるよ、とことあるごとに言われていたので、それを怖れて屋敷で働き出してから、若様と話したことはなかった。彼もセリナが避けていると分かったらしく、最近はあまり側に寄らなくなっていた。ちょっと可哀想だったかもしれない。

 こんな田舎の屋敷にいる時でさえこうなのだから、都にいた時などはもっと頻繁ひんぱんに、このようなことがあったのかもしれない。それなのに、クビになることばかりを怖れて、少しも話を聞いてあげなかったことをセリナは少し反省した。

「機会があったら話してみる。きっと落ち込んでいるわよね。」

 二人は頷き合って屋敷に入ったのだった。

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