第89話
セリナとリカンナが久しぶりの偉そうな態度に対して、久しぶりに
「……こんな時に限ってか。」
フォーリが何やらぼやいている。若様はまだ全快していない。そのため、代理で領主の使いでやってきた役人と会ったのだろう。
実は地方の領主の元で働いている役人のほとんどは、貴族という肩書きだけは持っているものの領地を持っていない者が、役人として働いていることが多かった。だから、気位だけは高く、偉そうにすることが多い。
ただ、街が大きくなれば実力主義になり、人手も不足するので試験に合格した一般庶民も役人になることができた。
若様達一行は偉そうにすることがなかったので、すっかり偉い人は偉そうにするものなのだ、ということを忘れていたのだった。
そして、フォーリも偉そうな役人が嫌いなようだった。「こんな時に限って」と呟いていたということは、視察にでも来るとか行っているのだろうか。もし、そうならセリナの責任は大きい。若様が毒を口にしてしまい、苦しんだせいで余計な問題が生じるかもしれない。若様の病状は隠さないといけないのかもしれない。
薄々、セリナも感じていたことだ。徹底的に若様のことについて話さないようにされていた。親衛隊の誰かの話を聞きかじって村娘達は情報収集をしていたが、誰も若様の病状について話さないのだ。
それでも、こっそり聞き耳を立ててセリナは情報を集め、分かったことは若様は一時危篤状態だったらしいことだった。
それを思い出して、セリナは重いため息をついてうつむいた。
――なんでパンを焼いて行ったんだろう。
――わたしって本当に馬鹿だ。
そんなことばかり頭の中を巡っている。うつむいていたので、フォーリがセリナとリカンナに気付き足を止めたのに気がつかなかった。リカンナにつつかれて、セリナはフォーリにぶつかる直前に足を止めた。
「まだ落ち込んでいるのか? まるで、この世が終わったかのようだな。」
「……。」
セリナにしてみれば、この世が終わったかのような気分だった。何も言わないセリナを見て、フォーリはふん、とため息のような鼻を鳴らした。
「まあ、落ち込めるだけ落ち込めばいい。どっちみち、お前の責任でないと言った所で、お前も己の責任から逃れられないと分かっているから、落ち込んでいるのだろうしな。自分の取った行動の責任を取らなければならない。」
「……あの、余計に落ち込んでいます。」
リカンナが小声で言う。フォーリの言葉はセリナにグサグサと突き刺さっていた。フォーリの言うとおりで、言い訳のしようもない。
「別に慰めているつもりはない。」
フォーリは、はっきり言い放った。少しは慰めてやろうとか思わないのだろうか、この人は。「いつまで落ち込んでいるつもりだ。」出会うたびに、厳しい口調でこんなことしか言わない。最初だけ、ちょっと優しげなことを言っていたが、後はずっとこの調子だ。多少、腹立たしさは感じる。
「あえて助言するなら、真正面から自分の過ちと向き合い、乗り越えられて初めて成長できる。だから、真正面から現実と向き合え。」
セリナはだんだん腹が立ってきた。
「……乗り越える必要がありますか? 乗り越えたからって何になるって言うんですか!?」
到底乗り越えられそうもないのに、立ち直れと言われ続けられるのが嫌で、セリナはとうとう言い返した。別に、田舎の村娘のことくらい放っておけばいいのに。なんで、いちいち干渉してくるんだろう。
「…つまり、今の言葉は現実逃避をしたいから、放っておいてくれということだな。」
「! …はぁ、な…――。」
「お前は逃げたかったら逃げればいい。だが、お前も、もう逃げられない状況だから言っている。お前は若様と一緒に殺されかけた。お前も一緒に始末して構わないと向こうは思っているということだ。」
逃げるって何よ、反射的に反抗を覚える。
「いいぞ、協力したくないのなら勝手に死ねばいい。こちらもお前を護衛する手間が省ける。」
「な……なに、それ! なんで、殺されなきゃいけないのよ!」
無性に腹が立った。フォーリみたいに強い人には分からない。恐かったのだ。今も恐い。それなのに、もっとそれに立ち向かえと言うのだ。逃げたいのに逃げることすら許されないなんて。涙が溢れて止まらない。しかも、若様と一緒にいただけで殺されるなんて、意味が分からない。
「お前は乗り越えることが無意味だと思っているようだな。それは、お前には逃げる所があるからだ。お前はこの村にずっと住み、ここから出る必要はない。だから、逃げて隠れていれば過ぎ去ると心のどこかで思っているはずだ。」
泣いているせいで、何か言い返したくても言い返せない。
「乗り越えることは意味がある。乗り越えることができた時、それは本当に自分の力となる。人間としての力がつく。逃げればその時は楽だが、人間として成長する機会を失う。」
フォーリの言うことは正しいかもしれないけど、それが出来れば苦労しないだろう。
「私は死の恐怖を乗り越えろと言っているのではない。自責の念に駆られ、己の全てを否定したくなる気持ちを乗り越えろと言っている。それは、どの人も助言しているはずだが。」
「……。」
死の恐怖を乗り越えろと言われている、と思っていたが、新たな説明が加えられて少しセリナは落ち着いた。
それでも、今まで必要としてこなかった人間としての成長を求められ、セリナはきつかった。自責の念に駆られないようにと言われても、どうやったらいいか分からないし、はっきり言って逃げ出したかった。
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