第68話
やがて、日も暮れた。
セリナを見張っていた兵士は、他の仲間達の治療の手伝いに行った。セリナは一人で椅子に座っている。隣室から時折聞こえてくる兵士達のうめき声の合間に、若様の浅くて早い呼吸の音が聞こえる。若様も時々、痛いのか苦しそうにうめいていた。
ベリー医師は隣に行ったきりだ。フォーリがずっと側についている。
“医務室”もしくは“診療室”に使われているこの部屋は、元々その目的の部屋ではなかった。この屋敷には、そんな部屋はなかった。だから、臨時にこの部屋は医務室になっている。
その医務室には、セリナが厨房に置いていったパンが置いてあった。セリナが特別に取り分けた。一番綺麗に焼けたのを取り分けておいたのだ。一体、誰がパンに毒を入れられるというのだろうか。
ずっと思い返しているが、いつ、毒物が入ったのか、全く分からなかった。父のオルも手伝ってくれたが、パンには触っていなかったはずだ。他の細々した用事をしてくれていたのだ。パンにずっと触っていたのは、セリナだった。
どう考えてもセリナしか犯人はいない。
その事実にセリナは恐くなった。どうしてだろう。全く分からない。セリナが特別に取り分けたのを見られたのだろうか。窓から盗み見られたのだろうか。
その時、セリナは昨日の事を思い出した。父、オルとした会話だ。
『そんなことをして、大丈夫なのか?』
父は心配して注意してくれた。それなのに、それをうるさがってパンを作った。セリナは若様の食事を作る手伝いをしている。だから、セリナの後をつけてきて、その後、会話を盗み聞きされたのかもしれない。そして、完成した所を確認し、セリナとオルがいない隙に押し上げ式の窓から侵入して毒を入れたのだ。
家にいる間は安全だと思って油断しきっていた。だから、便所にも行ったし着替えもした。オルだって、細々した作業を手伝ってくれたが、ずっと一緒に作業したわけではない。背負い
それ以外に考えられない。セリナはフォーリにその事を話そうと思った。でも、なかなか立ち上がれない。恐い。きっと、
それでも、若様の命がかかっているのだ。若様の震える冷たい手。血の気を失った真っ青な顔色。鮮血で真っ赤になった
セリナが一番疑われるのに、それでも若様はセリナのせいではないと言ってくれた。
(その気持ちに
セリナは勇気を出して椅子から立ち上がった。恐くて体が勝手に震える。服を汗でびっしょりの両手で握りしめながら、ふらつく足でフォーリの方に一歩、進み出た。
「どうした?」
気配ですぐに気がついたフォーリが、鋭く聞いてくる。
「あの……。」
セリナは涙を拭った。なかなか言い出せない。恐くて体が勝手に震える。喉も張り付いて声が出て来ない。
「なんだ?」
フォーリの厳しい声が恐くてたまらない。
「……は…は、話さなきゃいけないことがあって、その……。」
セリナは唾を飲み込んだ。フォーリが黙って聞いている今のうちだ。そう自分に発破をかけて、必死になってセリナは口を開いた。
「…えーと、その、実は、きっと、昨日……父さんとわたしの話を聞かれててそうでないとつじつまが合わなくてだって昨日も今日もうちの家族も食べて親衛隊の兵士もみんな食べたのになんで若様のパンにだけ毒がはいっているかそれを考えたらそれしか思い付かなくて…きっと、きっとわたしが――。」
「待て。」
話さなくてはと思うあまり、話し出したら息継ぎもせずに一気に止まらず
「深呼吸をして、順番に一つずつゆっくり話せ。」
「え? …あ、えーと。」
「深呼吸だ。」
混乱したままのセリナに、フォーリは明確に指示を与える。言われるままにセリナは深呼吸した。
「昨日の事から順番に話せ。昨日、家に帰ってから何があった?」
セリナはさっきより少し落ち着いて、昨日、オルとした会話を伝えた。さらに結局オルも手伝ってくれたことや、朝からパンを焼いた時に昨日焼いて冷めていたパンを温め直したことなんかも伝える。
「それで、お前は父親とした会話を盗み聞きされていて、お前と父親がいない隙に、押し上げ式の窓から侵入した以外に考えられないということだな?」
セリナは震えながら頷く。フォーリは少し考えていたが、こう聞いてきた。
「ところで、厨房に置いていったパンは、若様に召し上がって頂くために、分けておいた分から取り分けたのか?」
「…はい、そうです。だって、フォーリさんがご飯を作れないから、きっと、お腹が空くと思って、最初から二人分は綺麗な焼き上がりのを避けておいたんです。」
「もう一度確認するが、重曹で膨らませたパンは前日から既に焼いておいたんだな? そして、見た目が良いものを分けておいた。それで間違いないな?」
「はい、でも、他の人の分は混じっちゃいました。若様のだけは分かってたんですけど……。その…。」
セリナは言いよどんだ。シークの目を盗んで若様用のパンから毒味をしなかったことを。フォーリ用に若様用のから分けてしまったのだ。だから、足りなくなるので毒味用に別の包みのパンを渡した。
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