第70話

 セリナの涙が止まってから、フォーリはしっかりとセリナと視線を合わせた。

「いいか。お前は犯人ではない。」

 何か知っているのか、フォーリは断言した。てっきり、セリナが犯人だと疑われていると思っていたのに、犯人ではないと言われて力が抜けた。

「いいか、お前は利用されただけだ。真犯人は屋敷も焼き討ちにするつもりだった。ベリー先生のおかげで、それは未然に防げた。」

 セリナはびっくりして息が止まりかけた。言われている意味がすぐには分からなかった。

(…どういうこと? やきうちって、焼き討ち? お屋敷に放火するつもりだったってこと?)

 意味を理解した途端、顔から血の気が引くのを感じた。つまり、命からがらお屋敷に戻ってきたら、放火されて燃えていたかもしれないのだ。

「村の娘達も含めてみんな殺すつもりだったらしい。お前がそんなことをする訳がない。」

 セリナは寒気がして全身を震わせた。親友のリカンナも、厳しいがしつけけてくれた母のジリナも、みんな焼け死んだかもしれない。そんなひどいことを考える人がいたなんて、信じられない。ぞっとして手が震えている。先ほど、命の危険を感じたばかりなので余計に身近に感じたのだ。

 みんな死ななくて良かった。放火なんてされなくて、本当に良かった。

「だから、そこに座っていろ。」

 先ほどより優しいフォーリの物言いに、セリナは自分が疑われていないと分かって、心の底から安堵あんどした。安心して、ほっとした。それと同時に尿意を催す。

「あの…!」

「なんだ?」

「あの、便所に行きたいです。おしっこしたいんですけど。」

 フォーリはため息をついた。こちらは、さらに重要な何かを言い出すわけではないと分かって、安堵して出たものだった。

「分かった。広間にお前の母が娘達を集めている。そこにリカンナもいるから、一緒に行って貰え。決して一人になるな。お前は最後まで若様といた。そのせいで狙われるかもしれない。」

 そう言って一度部屋の外に出ると、セリナを運んできた親衛隊の兵士ともう一人を呼んできた。

「一緒に行って貰え。二人で行っても、お前達ごときでは簡単に息の根を止められるからな。」

 年頃の娘には、ちょっと嫌な親切だったが仕方ない。確かに犯人がやってきたら、セリナとリカンナでは太刀打ちできないだろう。

 兵士二人とフォーリに言われたとおりに広間に行くと、みんなが不安そうに集まっていた。親衛隊の二人は少し離れて待っている。セリナが話しやすいようにという気遣いのようだ。

「セリナ! 大丈夫だったの!」

 リカンナが見つけるなり、駆け寄ってきた。

「う、うん。」

 親友の姿を見て、つくづく生還できたんだと実感する。

「怪我をしたのかい?」

 ジリナの声にセリナはビクビクした。勝手なことばかりしたから、きっと、こっぴどく叱られるに違いない。

「全くもう、この子は心配をかけて。ぼろぼろじゃないか。」

 叱られると思っていたのに、ジリナが抱きしめて優しく背中をでてくれた。その途端、先ほどとは違う安心感が沸き上がってきた。

「…か、母さん、こわかったよう…!」

 また、涙が出てきてしまう。なんだかんだ言っても、赤ん坊の頃から育てて貰ったのだ。育ての母でも母は母だ。大丈夫なんだ、という安心感に包まれて、体の震えがいつの間にか止まっていた。

「当たり前だよ、もう。」

 ジリナは抱擁ほうようを解くと、まだ、泣きべそをかいているセリナの頬をひっぱたいた。パシン! という快音が広間に響く。音の割には痛くなかった。痛くないわけではない。音の割には痛くなかっただけだ。それでも、今日は命の危険を感じた。それがないだけで、とてもありがたかった。

「規則も約束も破って、お前は! 命を失うかもしれないんだよ!」

 母の怒声は、どこか涙声のような気がした。だから、セリナは素直に頭を下げた。それに切羽詰まっていた。このままではお漏らししてしまう。

「…母さん、ごめんなさい。後で叱られるから、今は便所に行かせて下さい。」

 ジリナは疲れた様子でため息をついた。

「行っておいで。リカンナ、悪いけど一緒に行ってやっておくれ。」

「分かりました、おばさん。」

 こうして、ようやく便所に行くことが出来たセリナである。便所という場所であるだけに、親衛隊の二人は少し離れてついてきてくれた。外に出るとすっかり日が落ちて暗くなっている。

 便所に行ってすっきりしたセリナは、今度は疲れがどっと出てきた。歩き始めた途端、眠気がおそってくる。ところが、ぼんやりするのをリカンナが許さなかった。

 行きは切羽詰まって急いでいたので、話す時間がなかったのだ。

「本当に心配したんだからね…!」

 リカンナの声でセリナは目を見開いた。必死に目を見開いていないと、歩きながらでも寝そうなのだ。

「シルネとエルナは、あんたに嫌がらせをしたくて、若様用の厨房と親衛隊用の水瓶に薬を入れたらしいの。他にもわざと油壺を壊して油をいたりして、ベリー先生に見つかって、今、みんなで見張ってるの。」

 リカンナの話にセリナの眠気は吹き飛んだ。思わず立ち止まる。後ろの親衛隊の二人にも聞こえているはずだ。

「ど、どういうこと? シルネとエルナがそんなことを?」

「ほら、この間、商人が来たじゃない?」

 リカンナの説明にセリナは頷く。

「その商人と一緒に新しい商人が来ていたらしいんだけど、その人がシルネ達に絹の布でできたリボンか何か、髪飾りを渡して、もっと欲しかったら言うとおりにしなさいって言ったらしいわ。あの子達、あんたが兵士達の前でお尻かれて叩かれるのが目的だったみたい。」

 セリナはぞっとした。寒気が全身に走る。収まっていた震えが戻ってきた。やっていいことと悪いことがある。いかにも怪しいではないか。少し考えれば分かるはずだ。

 しかも、水瓶に薬を入れる、そのことに何の抵抗もなかったのか。若様の毒味係が死んだから、狩りや釣りをして食料調達をするという事態になっている。毒味係が死んだことの意味も分からないのだろうか。

 昼間、急速に悪化していく若様の様子を思い出した。そして、屋敷の部屋で苦しんでいる若様のうめき声も、隣室から響いてきた親衛隊の兵士達のうめき声も思い出した。

 それらを思い出した途端、かっと怒りが燃え上がった。今度は怒りで体が震える。

 セリナも悪い。それは重々承知だ。でも、悪気はなかった。しかし、二人は悪意を持ってセリナだけでなく、若様やみんなの命を危険にさらした。

 フォーリは、はっきり言った。真犯人は村娘達も含めてみんな一緒に殺して、焼き討ちにするつもりだったと。きっと、その薬は毒で、若様が口にしたものと同じだろう。みんなが昼間の若様みたいにもだえ苦しんでいる間に、火を付ける。壊された油壺や他にも燃えやすい物があるから、あっという間に火が回って煙に巻かれて死んでしまうだろう。

(なんてことをするつもりだったの!)

 いても立ってもいられなくなり、セリナは走り出した。

「ちょっと、セリナ! 一人じゃだめよ!」

 慌ててリカンナも後を追う。当然、親衛隊の二人もついてきた。

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