第54話

 すると、ベリー医師がいささか大仰にため息をついた。

「私は反対しましたが、若様のご決心が固いのです。それで、お手伝いをすることにしました。フォーリを眠らせた以上、何かないと後でフォーリに殺されるのはごめんなので。それにしても、聞いていましたか、若様がご自分で敵を誘き出すためにおとりになると。」

「いいえ、聞いていません。」

「どっちみち、何か結果を出さないと、命がけでフォーリを眠らせた意味がありません。私はフォーリの寝込みをおそわれたら困るから、フォーリを守れという若様のご指示でここにいます。よって、何かあってもニピの踊りができる者はいませんので。」

「……。怒っていますか、ベリー先生?」

 当たられている気がして、シークは聞いてみる。言葉の節々に険がある。

「怒る? どうして私が怒る必要が? それより、時間を無駄にしない方がいいと思ういますよ。ニピ族は寝だめをしますが、フォーリが後どれくらい寝ているか分かりませんし。それに、私は若様に何かあった時のために、いろいろと薬を用意しないといけませんからな。」

 ゴソゴソと薬箱やかご類を開けたりしながら、ベリー医師は言う。やっぱり怒っているじゃないかとシークは思いつつ、若様を見やった。視線を感じたのか若様がシークを見上げてくる。顔にどうしようと、分かりやすいほど書いてあるのでそっと耳打ちする。

「謝った方がいいですよ。それと、協力して貰えるのでしたら、お礼も必要です。」

 若様はうなずいた。シークの弟達より素直で純粋な性格の王子には、同情を禁じ得ない。正直な感想は可哀想にだろう。数々の事情を知っているので、若様のことは胸が痛む。できるだけ、命の危険を感じないようにと思うが、なかなかむずかしい状況だった。

「あの、ベリー先生、無理を言ってごめんなさい。それと、助けてくれてありがとうございます。」

 薬草を量っていたベリー医師は、グイニスの謝罪に手を止めた。

「いいですか、若様。これは命がけのことなのですよ。フォーリを休ませたいというお気持ちは分かります。私がその間、ご一緒するつもりでした。ですが、若様の仰ることも一理ある。だから、若様の言われるとおり、私はフォーリの側にいましょう。」

 ベリー医師はグイニスの目をじっと見つめた。普段は飄々ひょうひょうとしている先生だが、今は真摯しんしに見つめていた。

「若様。これはセリナを巻き込むのですよ。若様にはそんなつもりがないことは分かっていますが、これはセリナを利用しているのです。そう言われて仕方のないことです。ですが、今を除いて犯人のしっぽをつかむ機会がないことも事実。どちらを取るかです。セリナを巻き込みたくなければおやめなさい。」

 確かにベリー医師の言うとおりだ。グイニスはそう深くは考えなかったが、でも、セリナには悪い気はしていた。純粋にただのお散歩じゃないからだ。

 グイニスは震えた。セリナかフォーリを選べと言われているようなものだ。どうしようと考えてグイニスは気がついた。どうして、どっちかを選ぶ必要があるのか。どっちも守りたいのだから、どっちも守ればいいのだ。

「私は、犯人も見つけてセリナも守る。」

 良い考えだと思ったのに、ベリー医師はきびしい顔で告げた。

「若様、世間では二兎を追う者は一兎をも得ずと言います。二つのものを同時に追いかけても、結局、二つとも得ることはできないということです。」

「…でも、このままじわじわと追い詰められるのは嫌だ。セリナとも仲良く友達でいたい。私はただ生きていたいだけなのに。他の子達みたいに生きたいだけなのに、私には許されないの?」

 グイニスは自分で言いながら、普通に生きたいと言い出すとは思わなかった。自分には望めないことだと分かっていたはずなのに。そうか、とグイニスは納得した。この村に来てからというもの、時々、無性にいら立つのは自分が普通に生きたいという願いを持つようになったからなのだと。

「……残念ながら。」

 ベリー医師の声がやや固くなった。

「若様には許されておりません。ですから、護衛が必要で用心が必要なのです。」

 言いにくいことを一番ズバズバ言うベリー医師だが、少し辛そうな表情をしていた。

 はっきりと現実を突きつけられたグイニスはうつむいてしまった。そう、普通の少年には護衛なんていらないのだから。

 それを横から見ていたシークは、気の毒になった。いたたまれないほど残酷な現実だ。若様は震えている。

「ですから、若様、今日のところは考え直しませんか?」

「でも、フォーリの負担も減らしたい。」

 若様の声は消え入りそうだ。実際の所はどうなんだろうとシークは考える。

「ベリー先生、一つお尋ねしますが、フォーリに寝たふりをさせて、この若様の言われる囮作戦を実行した場合、上手くいくと思いますか?」

 シークは護衛隊長として声をかける。ベリー医師は少し考えた。

「おそらく無理でしょう。相手もニピ族の可能性があります。」

 ベリー医師の答えにシークはぎょっとした。だが、ここに来る前の状況からしても可能性はある。一番、あって欲しくない可能性であるというだけで。

「……やはり、ニピ族の可能性ですか? つまり、この間、フォーリを出し抜くことができたから、ということですね?」

 シークの言葉にグイニスは思わず彼を見上げた。彼にも言ってなかったが、すぐに気がついている。隊長をしているだけあって、非常に頭の回転が速い人だと思う。

「では、先生、先生の代わりに私がフォーリの側にいたらどうですか?」

 つまり、その間、ベリー医師が若様の側にいるということだ。

「ニピの踊りができるカートン家の医師が側にいて、敵が油断すると思いますか?」

「…やはり、油断しないでしょうね。特に先生は切れ者ですから。」

「お褒め頂いて光栄ですが、この作戦はフォーリも私もいないことが成功の前提だと思いますよ。」

 実際にその通りだろう。フォーリもベリー医師もいない、という状況がなければ、用心深い敵は出て来ないということだ。

「やはり、そうですよね。」

 シークはそう言って考え込んだ。

 グイニスはそんな彼を見上げた。真面目で仕事も丁寧なこんな人が出世できないでいた。でも、そのおかげでグイニスの護衛についてくれることになったのだ。

 そのおかげで、フォーリの負担も減ったし、グイニス自身も大いに感謝している。それでも、まだまだフォーリの負担は大きいのだ。早く犯人の目星だけでもつかみたいという焦りもあった。

「難しいですね。ぼやぼや待っているだけでも惨事が起きる可能性もあるし、何かしようとしたらしたで、惨事になる可能性もあります。」

「その通りですな。今までの敵のやり口からいったら。この村にさえも、敵は潜んでいる可能性があって、しかも、ニピ族が絡んでいる可能性が高い。」

 大人達は二人で考え込んでいる。

「フォーリを出し抜くのは非常に難しい。剣術云々の前に、ニピ族は気配を消したり察知するのが天下一。そのフォーリを出し抜いていることが、一番の危惧でもあります。」

 そう言って、ベリー医師とシークは同時にため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る