第26話

「セリナ、もう一度、頑張ってこっちに登ってみて。」

「む、無理よ…!」

 先ほど枝がしなって下がってきたため、セリナは崖上に登る試みを行おうとしたのだが、つい下を見てしまい、目も開けられなくなってしまった。怖くて目さえ閉じている。だが、今は枝がだんだん静かに下がってきている。

「じゃ、じゃあ、目を閉じたまんまでいいから、左腕をこっちに伸ばして。」

 セリナはごくりと唾を飲み込んだ。無理、と言おうとした時、ミシッという嫌な音がして、さらに枝が下がった。

「…ひぃ!」

「セリナ、早く…! こっちに手を!」

 このままでは二人とも落下だ。死にたくない。背に腹は代えられない。

「…ちゃ、ちゃんとつかんで下さいよ!」

 セリナはもうどうにでもなれ、という思いで左腕を頑張って伸ばした。その途端、誰かに力強く掴まれて軽々と引き上げられた。目を開いた時には崖の上にいた。ちゃんと足が地面についている。地面があるのが、こんなにありがたいと思ったことはなかった。

「…はぁぁぁ。」

 思わず変な声で脱力して地面にへたりこんでしまう。

「…ふぉ、フォーリ! 良かった……!」

 若様も脱力して地面にへたりこんだ。

「おかしいですね。確かに私が見た時は、若様が枝にぶら下がっておいででしたが。」

 一体、どこから見たのか知らないが、よく見極められたと思う。セリナはフォーリの超人ぶりに感心した。とにかく命の恩人だ。ちなみにフォーリは素手ではなかったので、何も見えなかった。少し安心した。フォーリだとなんだか見てはいけないものが、たくさんあるような気がする。

「最初は確かに私がぶら下がっていたよ。でも、セリナが助けてくれて、引き上げるのを手伝ってくれたから私は助かったんだけど、セリナが私のブローチをマントから取ってくれて、その時に滑って転んで落ちかけちゃったんだ。」

 む、と考え込んでいる様子のフォーリに気が付き、若様は慌てた。今さらながら余計なことを、しゃべってしまったと気がついたらしい。

「あ、あの、でも、フォーリ、セリナがいなかったら、私は落ちちゃってたかもしれない、これは本当なんだ。セリナが助けてくれたから、そうでなかったら……。」

 必死に言い訳を始めた若様に対し、フォーリがふっと笑ってその肩に手を置いた。その笑顔は以外に優しい。

(いつも、あんなに鉄面皮でなければ、もっと女性にモテるのに。)

 ふと、そんなことを思う。そもそもフォーリの顔は整っている。

「分かりました。若様。」

 フォーリは言ってセリナの前にしゃがんで視線を合わせた。

「…セリナ、若様を助けてくれてありがとう。感謝する。」

 セリナは礼を言われるとは思わず、目を皿のように丸くしてフォーリを凝視ぎょうしした。言葉を出せないでいると、フォーリがいつものように、む、と眉根を寄せた。

「私が礼を言ったのがそんなに嫌か。」

 セリナは慌てて首を振る。あまりに慌てたため、少し目が回りそうになった。

「ち、違います…! わ、わたしこそ、助けて下さってありがとうございます。」

「自分の状況も危機的だったことは理解しているんだな。ところで、若様はなぜこのような所に?」

「……道に迷ったんだ。そしたら、滑って転んじゃって、斜面だったから止まらなくなって、そのまま下に落ちちゃったんだよ。」

 セリナでさえ分かる嘘を若様はついた。しかも、フォーリもそれは分かっているだろうに、なぜかそれ以上、追求しなかった。

「そうですか。それよりも、今はここから上がる方法を考えなくてはなりませんね。」

 自分からなぜここにいるのかを尋ねたくせに、そんなことはどうでもいいような口調でフォーリは言うと、崖上を眺めた。なぜ、ここにいるのか、重要なことではないのかとセリナが聞く前に、崖の上が騒がしくなった。

「こっち、こっちです! この斜面の下にセリナが落ちちゃって、落ちる前に人が滑ったような跡があると言ってました!」

 リカンナが大きな声で言っているのが聞こえた。

「セリナ、聞こえる、大丈夫!?」

「! うん、大丈夫!」

 セリナは思いっきり大声で答えたが、リカンナの「良かったー!」という泣き声が聞こえてくるなり、自分も泣けてきて体中の力が抜けて座り込んだ。

「…良い友だな。」

 セリナにとって意外にもフォーリの方がそう言った。

「……はい。」

 その後、下ろされた縄を使って自分で崖を登ることができなかったため、一旦、若様を担いでいったフォーリに抱えられて戻ったセリナだった。

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