第75話

 医務室に戻ったベリー医師は、フォーリに今し方あったことを話しながら、持ってきたパンの布包みを開いた。

「こんな物があった。セリナが作ったようだ。ヴァドサ隊長の指示で置いていったようですな。食べますか? これは若様達の書き置き。たぶん、シルネとエルナがいたから、パンには何もされていないだろうと思ってね。」

「…セリナが作った? また、勝手なことを、あの小娘……。」

 フォーリがぼやいている隣で、ベリー医師は何気なく一つを取って匂いをいだ。こういう時、ニピ族は先に誰かが食べてからでないと自分は食べない。ベリー医師は分かっているので、先に自分が一口食べようとしたのだ。

 さらに、それはカートン家の医師としての習慣のようなものだった。何か新しい物があったら、まずは匂いを嗅ぐなりして状態を確認することから始める。そして、体に叩き込まれたそれは、カートン家の教えが正しいことを示すものでもあった。

「…!」

 異臭を嗅ぎ取ったベリー医師は、別のパンを手に取って匂いを嗅ぎ、もう一度、最初のパンの匂いを嗅いだ。微かな異臭があるパンは、もう一つのパンよりも粉っぽい。表面に被っているざらついている粉を指に取る。少し逡巡してから、指先についた粉をめた。

 少し舐めただけで猛烈な苦みを感じ、すぐに洗面器に吐き出し、さらに水差しから水を直接口に含んで口をゆすぐ。何度もゆすいでようやく、ベリー医師は一息ついた。まだ、舌先がしびれている。

 ベリー医師の一連の行動に、フォーリが勢いよく立ち上がった。

「まさか、毒ですか!?」

「間違いなく。最初は重曹の匂いだと思ったが、もしやと思って舐めたら間違いなく毒だ。重曹をパンに粉でつけることはまずない。だから、間違いなく毒だ。しかも、この重曹に似た感じで、この辺で手に入る珍しい猛毒といえば限られる。」

 ベリー医師も頭を整理しながら、フォーリに説明する。もし、間違っていたら若様は死ぬ。でも、自分を信じるしかない。

「私の判断が正しいことを願うしかないが、私の勘だと珍しい毒で銀にも反応しない。高純度に精製されている。少量を飲み込んでも、嘔吐おうとや呼吸不全に陥り、心拍や体温低下を引き起こし、最終的に死に至る。」

 フォーリの顔色が真っ青になった。若様はまだ子供だ。体が小さい分、早く毒が回る。

「その毒は普通に手に入りますか?」

 フォーリは今すぐ若様の元に走りたい衝動を堪えて尋ねた。

「まさか。カートン家でも厳重に管理している。この毒薬の原料になる薬草も厳しい管理の薬草園で栽培し、薬として精製する時も厳しい管理の下でなされる。絶対に勝手な持ち出しは禁じられている。」

「……。」

 フォーリとベリー医師は、少しの間お互いにじっと顔を見ながら黙っていた。二人とも必死に頭を整理していたのだ。不用意に動けば死ぬしかない。

「重曹の匂いと似ているということは、知らなければ間違って口にしてしまうと?」

 フォーリの質問にベリー医師は頷いた。

「うん、そうだね。カートン家では長く宮廷医を輩出し続けている。そのため、毒については特に時間をかけて学ばせる。そうでなければ、医者でも気づかない。」

「あの小娘、やはりセリナが関係を――。」

「待て、落ち着け、フォーリ。何かがおかしい。シルネとエルナ、あの子達……。」

 気が急いているフォーリは、直ぐさま飛び出して行きそうだったが、それを何とか引き止める。ベリー医師の言葉を聞いて、フォーリも先ほど怪しげな人物が医務室をのぞいていたとベリー医師が言っていたことや、シルネとエルナに指示した者がいる可能性に思い当たる。

「エルナだけを呼ぼう。」

 ベリー医師の判断は早かった。

「きっと、エルナだけだったら口を開く。君はどう思う。」

「完全に怪しいです。何かを企んでいる。私は繋がっていると思います。」

 いささか冷静さを取り戻したフォーリも同意した。

「フォーリ、ちょっとジリナさんとエルナだけを連れてきて。シルネがいたら、あの子、喋らない。シルネはリカンナ達に見張らせておこう。あの子達はシルネと対立しているから。」

 よく見ているベリー医師である。逆にそれくらいでないと、宮廷医など務まらないのである。

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