第7章 散歩

第58話

 セリナは一人で若さま専用の厨房で待っていた。仕事中の時間にうろうろしていたら、ジリナに見つかってお散歩に行けなくなるかもしれないからだ。それにしても、本当にフォーリも若様もいなかった。

 台の上には大きな背負い籠が置かれている。昨日焼いたパンと、今朝から焼いたパンと蜂蜜はちみつ入りのお菓子が入っている。それから、水筒も入れた。姉達や妹が起きてくる前に家を出てきたので、誰にも詮索されずにすんだ。

 本当なら、お上品に小さなかごにでも入れたいが、親衛隊員の分があるから仕方ない。この大きな可愛くない背負い籠で行くしかない。

(……遅いなあ。何かあったのかな。もし、母さんがやってきたらどうしよ。)

 母のジリナに見つかったら、何と言われるか分からない。できれば、見つからないうちにとっとと行きたいのだが。屋敷の外に出てしまえばこっちのものだ。

 そんなことを考えながら、そわそわしつつ待っていると、ようやく若様がやってきてセリナはほっとした。いつもならフォーリの立ち位置に親衛隊長のシークがいて、少し不思議な感じがする。若様の言っていたとおり、フォーリの姿は後ろに見えない。

「若様、おはようございます。」

「……うん、おはよう、セリナ。」

 少し若様は遅れて答えた。セリナを見てにこにこしてくれる。そわそわしているセリナとは対照的に、若様はおっとり厨房の椅子に座った。

(今から行くのよね……?)

 思わず内心で心配になる。

「…それにしても、本当にフォーリさんはいないんですね。」

 不安をかき消すようにセリナは口を開いた。恐いフォーリがいないのが嬉しい反面、ちょっと不安も感じていた。それに、若様とシークの間に妙に重々しい空気が流れていて、余計に何か話さなくてはいけないような気分に駆られていた。

「そんなに私達だけでは不安か?」

 セリナがあまりにも、そわそわしていたためかシークに聞かれてセリナは慌てた。

「あ、いえ、そういうつもりでは……。」

 そういうつもりではなかったが、結局、そういうことになってしまうかとセリナは反省した。

「あの、すみません。」

 こうして面と向かって親衛隊長のシークと話すのは初めてなので、少し緊張していた。若様の崖の事件の時は別の意味で緊張していたし、落ち着いた状況で話したことがなかった。

 あの制服の二十名の隊長なのだ。どうしても威圧されてしまう。村にいるだけでは制服を着ている人と話す機会はなかったし、隊長のシークはあまり表には積極的に出て来ないが、隊長だと思えばなんとなく他の隊員達より話しかけづらかった。

 なんだかんだ言いながら、厨房で一緒に料理するフォーリとは近い気がしていた。

「いや、別にいい。フォーリは凄腕すごうでのニピ族だから、比べられて仕方ない。」

 シークは別にいいと言ってくれたが、妙にその雰囲気が深刻な気がして、セリナは首をかしげた。だが、口では別のことを聞く。

「ニピの踊りって、そんなに凄いんですか?わたし、見たことないから、どんなか分かんないんですけど。」

 セリナの発言に若様とシークは顔を見合わせた。初めて気がついたという表情である。

「フォーリさんの凄さについて、どんなものか分かりませんけど、細かいことに気を配れるいつもいる人がいないから、ちょっと大丈夫かなって思っただけです。」

「そっか、セリナは見たことないんだね。考えてみれば、ニピ族と会ったことがなければ、そうだよね。」

 若様が感慨かんがい深げに言う。

「でも、心配しなくていいよ。ヴァドサ隊長も強いんだよ。フォーリと互角に戦えるくらい。私も、それでヴァドサ隊長に習ってるんだよ、護身術。」

「…ごしんじゅつ?」

 護身術とは何かと思ったが、一番最初に若様と出合った時、村の若者達が若様に手を出そうとして、逆に投げ飛ばされたことを思い出した。

「覚えてない? 私がセリナと一番最初に会った時、投げ飛ばしたよ。」

「あぁ、やっぱり、あの時の…!」

 すると若様は嬉しそうに頷いた。

「そう。ヴァドサ隊長に習ってるんだよ。剣術も一緒に。」

 セリナにはそれは以外だった。

「へぇ、そうなんですか? てっきりフォーリさんに習ってるんだとばかり思いました。」

 すると、若様はなぜか、心苦しそうに黙ってしまった。何か触れてはいけない部分だったらしい。セリナは焦って話題を変えた。

「…え、えーと、それにしても、ニピの踊りってそんなに凄いなら、一度くらい見てみたいなー、なんて。」

 口走りながら、今の話題は間違いだったのではないかとセリナは思った。

「確かにニピの踊りは凄いが、見る機会がなければ、それに越したことはない。」

 黙ってしまった若様に代わり、シークが答えてくれたが言っている意味が分からなかった。ジリナが来てしまうかもしれないし、もう考えているのも面倒くさかったので、二人を促した。

「それよりも早く行きましょう。時間がなくなっちゃいますよ。」

 言いながら急いで背負い籠を背負う。

「セリナ、その荷物は何?」

 若様が重そうな大荷物に目を丸くしながら尋ねた。

「これは、お昼ご飯ですよ。」

「お昼ご飯?」

「ええ。だって、フォーリさんを休ませるって言ってたから。当然、必要ですよね。いつも、フォーリさんが作っているんですから。だから、あらかじめ作って来たんです。ご飯って言ってもパンとお菓子と水だけですけど。」

 セリナはへへと照れ隠しに笑った。ご飯というほど仰々しいものではない。だが、ふと視線を感じて見ると、シークがむずかしい顔で考え込んでいる。

(あ、これはだめって言われちゃう!?)

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