第6話

「ねえ、聞こえる? 君、大丈夫?」

「…え?」

 再三尋ねられて思わずセリナが変な声を出すと、少年はにっこりした。彼が笑うだけで辺りが一気に華やいだような気がした。村で見たことがないほど上等な衣服をまとったこの美しい少年が、村の領主の別荘に住むことになった、気が狂っているという王子様なのだ、とようやくセリナは気がついた。

「良かった、聞こえるんだね。ね、大丈夫? どこか、怪我はない?」

 ようやく意味がセリナの頭に届いた。耳も訛りのない言葉に少し慣れたせいだろう。

「え、ええ、だい、大丈夫、です。」

 セリナは慌てて立ち上がりつつ、お尻をはたいた。目の前の少年に比べて、セリナの服はみすぼらしくて急に恥ずかしさを覚えた。

「良かった。危なかったね。」

 少年はセリナの服装なんか気にもしていないようで、嬉しそうに微笑みかけてくる。そんな視線を受けるだけで、セリナは顔中が沸騰ふっとうしそうになった。セリナが赤くなってる間に、少年は目線をロバのクーに向ける。

「そしたら、早くこの子馬を起こしてあげよう。」

 セリナは首をかしげた。どう見ても、少年はクーを見ている。どうやら、ロバを子馬だと勘違いしているらしい。

「これ、子馬じゃなくて、ロバですよ。」

 思わず訂正してしまう。少年は目をまん丸にしてから、照れ笑いをした。

「そうか、そうだったのか。だから、馬にしては耳が長いなって。ロバを初めて見たよ。」

 素直な感想に、思わずセリナは少年が可愛くなってしまった。

「でも、馬鹿じゃないですからね。」

 つい言ってしまってから、しまったと思うが遅い。今度は少年が首を傾げる。

「馬鹿ってどうして? 私はこの子が馬鹿だなんて言ってないよ。」

 パルゼ王国では、なぜかロバみたいな奴だと言うと、頭が弱い馬鹿な奴という意味である。だから、この村でもロバはそういう意味で使う。

「それとも、私がロバを知らなかったから、そう言ってるの?」

 少年は少し表情をくもらせている。セリナはそれを見て焦った。なんで、こんなに焦っているのかと思うほど焦りながら口を開く。

「あ、あの、違うんです。ここら辺ではロバみたいなって言うと、人を馬鹿にする意味で使うんです。頭が悪いとか。でも、実際のロバは賢いので、いつも、わたしが勝手に腹を立てていたから、つい、そんな言葉が。」

 すると、少年は納得したようだった。

「なんだ、そういうことか。びっくりした。急にそんなことを言われたから。」

「ご、ごめんなさい。」

「いいよ。理由が分かったから、気にしてない。それより、早くこの子を起こしてあげよう。」

 少年がロバのクーに近づいて鞍に触ろうとしたので、慌ててセリナは止めた。万一クーが暴れでもして、少年が怪我をしたら大変なことになる。

「待って。えーと、その、鞍の紐が切れてしまってるので、まずは穀物を下ろしてやらないと立てないので、それからです。」

 まだ幼げな顔立ちを見るに、まだ少年はセリナより三つ、四つ年下のようだ。少年の格好をしていないと少女だと思ってしまう。そもそも、サリカン人の姿にあまり見慣れていないので、男の子の髪が長いのに見慣れていない。女の子なのではないかと疑ってしまいそうになる。

 少年はセリナを見上げてうなずいた。まだ、セリナの方が少しだけ背が高い。目線はやや下にある。

「この麻袋に穀物が入っているんだね。」

「ええ。」

「手伝うよ。麻縄は切ったらだめだよね?」

「そうです。わたしが縄をほどくので……えーと、若様はそこに袋を積んで下さい。」

 やる気満々なので手伝って貰うことにした。ジリナの厳しい教育のせいか、若様という言葉も出てきて、内心でセリナはほっとした。確か、王子様がやってくる前の村人全員参加の集会で、役人が王子様と言ってはいけないと言っていたはずだ。なぜかは興味がなかったので忘れてしまったが。

 今思えば、もうちょっと良く聞いておけば良かったと少しだけ後悔した。

「ねえ、ここに積むの?」

 少年の声にセリナは我に返った。

「ええ。そこに積んで下さい。」

「…地面の道路に積んでいいの? 食べ物なのに。」

 セリナはその言葉の方に驚いた。そして、本当に育ちがいいのだと思う。しかも、どこが気が狂っているのか、今のところ全く分からない。狂っているどころか、素直で可愛い性格だ。

「大丈夫ですよ。それに、穀物はみんな外で育っているんですよ。地面に落ちた物でも、拾って袋に詰めてますから。」

「そうなのか…! でも、考えてみればそうだね。じゃあ、ここに置くよ。」

 王子だろうと思われる若様は、麻袋を順番にセリナから受け取って積み重ねた。そうしておいて、ようやくロバを起こす。

「この子、怪我してない?」

 心配そうに若様が聞いてくる。

「そうですね。大丈夫みたい。」

「ねえ、でてもいい?」

 セリナが大丈夫と言った途端に、嬉しそうに目を輝かせて若様が聞いてきた。思わずため息をつきそうになるのを堪え、セリナは頷いた。

「いいですよ。そっと。」

「うん。」

 セリナが若様の手を誘導する前に、若様はさっとクーの鼻面を撫で始めた。

「毛がふかふかしてるね。横倒しになってお腹、苦しくなかった?」

 クーは大人しくして若様の口調に会わせるかのように、大きな目をまたたきさせた。

「ふふふ。」

 大変可愛らしい笑みにセリナは見とれかけたが、大事なことを思い出した。鞍である。壊れたのなら大変だ。どうにか修繕できないか、見てみないといけない。もし、修繕できそうにもないなら、そんな状態で粉ひきに出かけたセリナは、帰ってきたジリナに叱られるだろう。面接にも行けなかったし、きっとひどく叱られるはずだが、しょうがなかった。

 今はできるだけ叱られないように、鞍の状態を確認しなければならない。確認して、セリナは落胆した。革紐が完全に一カ所切れており、それをつなぐ代用品さえ見つからないのだ。つまり、粉ひきに行って戻ってくることさえできない。

 セリナは思わず、地面に積んだ穀物入りの麻袋を恨めしい目で見つめてしまった。これをどうやって持って帰るというのか。自分が一つずつ抱えて運ばなければいけなくなる。それを考えると何がなんでも修繕したいが、果たしてできるかどうか。

 そんなことを一瞬で考えたセリナだったが、結局、母ジリナの雷が落ちることを怖れた。

(やっぱり、母さんの雷が落ちることだけは避けないと。)

 そんな決心をして、セリナは鞍の切れた革紐を引っ張ってみた。結べないか試すのだ。

「何をしているの?」

 若様が不思議そうに尋ねる。少しだけだが、母を怖れるあまり、この美貌びぼうの少年のことを忘れていた。何か持っていたらもうけもんだと思って尋ねてみる。

「何か、紐状の物を持っていませんか?ここに通せる太さの物が必要なんですが、麻紐じゃ太すぎるし、すぐに切れてしまうし。」

 セリナは切れた革紐同士を結ぼうと、短くなった革紐をぐいぐい引っ張った。若様がじっとセリナの手元に視線を注ぐのを感じたが、素知らぬふりをする。

「! あ、ちょうどいい物があるよ。」

 突然、彼は言って何か動いたので、セリナは思わず振り返った。ちょうど、若様が髪紐をほどいた所だった。美しい朱色がかかった夕陽のような髪の毛が、きらきらと日の光を反射しながら背中に流れ落ちていった。思わずセリナは息を止めて見入った。

 性別を超えた美しさがあるのだと、この時、セリナは初めて知った。たとえ、彼が同性の少女だったとしても、同じように息すら止めてみとれたに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る