第90話 対峙

 四年前、季宗晨ジー・ゾンチェンによる天弥道の再戦が起こった日にさかのぼる。玉剣山で奇妙な死体の山を発見した後、政主権限で長距離転移の霊符を使い、棗绍ザオ・シャオ瑞玲ルイリンの二人は天弥道へとたどり着いていたのだ。


 その時、明黄色の紙鳥しちょうが二人に向かって飛び込んできた。


「あら、兄上からですね。近くに香炉を運ぶ荷車がいたとの報告です。探しますか?」

「そうだな。瑞玲ルイリン、やってみせよ」


 一炷香いっちゅうこうも経たぬうちに、瑞玲ルイリンが天弥道の中から不自然な場所を探し出した。天弥道全体を見渡せるほどの小高い山に、隠れるようにして荷車が置いてあった。


 用心しながら近づくと、そこには柔和な笑みを浮かべて青雘せいわくの外套を着用している――泉古嶺洞せんこれいどう政主の柳聰リウ・ツォンがいた。


 天弥道の風景を眺めていた柳聰リウ・ツォンが、二人に気づいて微笑みを向けた。


「来てくださると思っていましたよ、黄龍殿こうりゅうどの

「この場所は瑞玲ルイリンが探し当てた、私ではない」

「へえ。儀仙堂ぎせんどうも安泰ですね」


 二人の政主によるほのぼのとした会話が繰り広げられているため、しびれを切らした瑞玲ルイリンが口を開いた。


リウ殿どの、お聞きしたいことがございます。香炉を運んでいたというのは、この車でしょうか?」


「……瑞玲ルイリン殿、本題に入るのが早い気もしますが、答えましょう。香炉を運んでいたのは見ての通り私です。香炉に入っている香は交易で手に入れたもので、様々な用途があるらしいのです。霊符と組み合わせれば、使い道はさらに広がるでしょうね」


「もう一つ質問をしてもいいでしょうか。兄上――棗愈ザオ・ユィーが香炉を運んでいた者に剣で切り付けられたと聞きました。柳殿ならば、兄上も顔を知っているはずです。あなたではなく誰か他の者がいたのではないかと思いますが……貴方に問いましょう。傷つけたのは何故ですか?」


 瑞玲ルイリンは表情には出さずとも、静かに怒っていた。今までの人生のほとんどを兄と二人で過ごしている瑞玲ルイリンとしては、不器用な兄のことをからかうことが多いが、肉親としての情は人一倍あるのだった。


「それについては謝ります。荷車を御している者が手違いで棗愈ザオ・ユィー殿に剣を向けてしまったらしいのですよ」


 柳聰リウ・ツォンのやけに素直な返答に瑞玲ルイリンは納得できていなかったが、手違いだったと言われてそれ以上追及するわけにはいかない。


「そうですか……。では、今このように柳殿が私たちを待っていたのは何故ですか? まさか、兄上のことを詫びるためだけではないでしょう」


 柳聰リウ・ツォンが傍らに生えている背の高い草木の葉を撫でるように指で触った。


「ええ。私が天弥道へ来た理由は――目的がもう達成されているから、ですかね。そうでなければ、他勢力が治めている土地にわざわざ現れません」


 今まで瑞玲ルイリンに話の主導権を譲るようにして、一歩引いた場所で黙っていた棗绍ザオ・シャオが口を開いた。


「目的…………君のか? それとも季宗晨ジー・ゾンチェンのか?」


 可笑しくてたまらない、という風に柳の口角が吊りあがる。季宗晨ジー・ゾンチェンという名前を聞いて、いつも貼り付けているような笑顔をしている柳だが、初めて感情の乗った笑みに見えた。


「どちらもです。季宗晨ジー・ゾンチェンのことを口に出すということは、何かしら筋道を立ててお考えになったのでしょう。あなたがたが一体どういう風に考えたのか、瑞玲ルイリン殿、教えていただけますか?」


 柳はすぐに元の貼り付けたような微笑に戻ってしまった。瑞玲ルイリンは、緊張した面持ちで息を吸い、一度頷いて話を始める。


「まず一つ。あなたたちは、城歴の常院楼、そして儀仙堂の玉剣山ユィージェンシャンで死体を動かす研究をしていたのではないかと考えています。そして同時に、人と人を分断する香炉についても研究を行っていたのでしょう。香炉の中の香は泉古嶺洞が輸入している物ですし、香炉に使われていた霊符は雪雲閣で古くから使われている文様に似ています。


 そして玉剣山の大会で現れた妖鬼のしゅや人と人を分断する煙は、動く死体や香炉の効果を試したのではないかと思われます。


 季宗晨ジー・ゾンチェン殿についてですが、十年前に雪雲閣を破門になり失踪した彼は、禁術を使用したことで破門になっています。また、先代青龍の岳明亮ユエ・ミンリャンとも親交があり、まじないを教わったこともあると聞きます。死体を動かす方法や香炉を利用するまじないは、彼が考えたのではないですか?」


「聞きたいことは何個かありますが、いいでしょう。続けてください」 


「私が玄郭へ行ったとき、”厄災を招く子”として閉じ込められていた常子远チャン・ズーユエンを殺そうとつけ狙っている何者かがいました。常院楼で動く死体を見たことがあり、厄災を招く危険性のある少年を殺そうと考えたのではないですか?」


 瑞玲ルイリンがすらすらと挙げていくが、柳は聞きながら草木の葉を人差し指で弾いた。


「あなたがたが私を疑っているのは分かりましたが、なぜ季宗晨ジー・ゾンチェンと私がつながっているとお思いで? 今の話を聞くに、私と彼とのつながりが見えてこないのですが」


 瑞玲ルイリンは自身の左手を右手で握りしめるようにして、少しうつむいた。暗緑色がかった茶色の髪が肩からさらりと落ちる。


「それが……季宗晨ジー・ゾンチェン殿が主な実行役だというのは分かるのですが、それを手助けしていた人が誰なのか私には断定できませんでした。でも、叔父上がリウ殿とジー殿のつながりを示す情報を持っていたのです。それに、天弥道で妖鬼や動く死体が出ている中、今このように柳殿が現れました。それだけでも、季殿とつながっていると考えられませんか?」


 棗绍ザオ・シャオ瑞玲ルイリンに助け舟を出すように、”リウ殿とジー殿のつながりを示す情報”を示した。


「……お前が袍に焚き染めているのは匂いからして沈香だと思うが、香炉に使われていたのも同じく沈香なのだ。先程、瑞玲ルイリンが言った通り、沈香は泉古嶺洞せんこれいどうが単独で輸入している。件の香炉には、その中でも特に質の良い香が使われていた。そのような質の良い香を入手できるのは――お前のような者のみだろうよ」


 その言葉で、柳が細めていた目をうっすらと開けた。棗绍ザオ・シャオを金色の瞳が見つめている。


「……そこまで分かっているのなら、結論を出すのはたやすいでしょう。瑞玲ルイリン殿、明確に言ってください。今おっしゃったような筋道を考えて、どのような結論になりましたか?」


「恐れながら申し上げますと、今までに起きた事は全てリウ殿とジー殿が仕組んだこと、なのではないかと」


 柳は返答にたっぷりと時間をとった。観念したのだろうか、柳は大きく伸びをして二人に向き直った。


「全て仕組んだというのは言い過ぎですよ。想定外の出来事は何度も起こりました。あなたがたの思うように、完全なものではない」


 柳の言葉には、自嘲するような響きがあった。


「……どういうことですか?」


「柳殿、本当のことを聞かせてくれないか? 君たちの行いは、同盟内で敵対しようとして起こしたことではないと思うのだ。……話し合いでの君の言葉を、私は信じたいのだよ」


 腹の底の読めない政主であろうとも、本音をはっきりと話す性格の柳が殺し合いは避けたいと言ったのだ。


「そうですね。いずれにせよ刑は免れないでしょうが、一つ一つ話しましょう。そのために、私は待っていたのですから」


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