第11話 手を引かれて

 土を踏み固めた階段をのぼると、地下の暗さは嘘のように辺りは明るかった。

 少年と秋一睿チウ・イールイは、その光に目を細める。


 あの動く死体は何だったのだろうか、と少年は秋一睿チウ・イールイに手を引かれながら思った。


 全てが夢みたいだ。外の世界は眩しくて、思ったよりも静かで、別段綺麗という訳でもなかった。綺麗ではなくても、少年にとっては初めて見るものばかりだ。通路の脇にきらきらと透明なものが流れている。


「これが”水”かな」


 少年が周りを見わたすのを止めて前を見ると、秋一睿チウ・イールイの黒い外套が視界いっぱいに広がる。その背中は大きく見えた。


「……」


 秋一睿チウ・イールイは右手に剣、左手で少年の手を掴みながら、静かに通路を歩いていく。少し怖いけれど、自分に危害を加えてこない人だ、と少年は思った。


 常院楼に人の気配が戻りつつある。先程逃げ惑っていた人々は、轟音に少々恐れつつも元通りになっていた。


 死体の赤黒い体液にまみれた二人は、常院楼じょういんろうの人々に遠巻きに見つめられて噂をされながらも、通路に足跡を残しながら歩んでいく。


 立っている人間の顔を少年が見つめると、目が合った途端に皆小さな悲鳴を上げた。少年は数回瞬きをして、秋に問いかけた。


「僕たち、怖がられてる?」


「……私たちは死体の血に塗れているからな。やはり臭うのだろう」


 すでに秋は死体の体液の生臭さには慣れてしまい、堂々と通路の真ん中を歩いていく。


「うわ、もしかして”黒衣の白虎”じゃないか?」


「噂通りだな。妖鬼を斬り刻み、血を浴びたのだろう」

 

 人々に怖がられている理由は死体の体液の臭さのせいだけではなく、秋一睿チウ・イールイを恐れているせいでもあるようだったが、それに本人は気づいていない。


 道の脇にある水路を頼りにして二人が歩いて行くと、皆で酒を飲んでいた大広間にたどり着いた。


白虎殿びゃっこどの、戻ったのですか? まったく、宴の最中で急に居なくなるのはやめてくださいよ」


 大広間の入り口に冷懿ラン・イーが立っていた。先程までそわそわとしながら秋を待っていたが、無事で帰ってきたので安堵した表情になった。


 だが、赤黒い液体に塗れた秋と、秋に手を引かれている見知らぬ少年が目に入った途端、表情が固まった。秋の身に”何か”があったことを察したのだ。


「……白虎殿?」


 冷懿ラン・イーは真面目な表情で少しのあいだ少年を見つめていた。そして、今朝報告した”厄災を招く子”に関する噂の内容を思い出したのか、顔色が真っ青になった。


「……もしかして、常院楼に流れている噂は本当だったのですか? 」


その言葉に、秋は頷いた。


「ああ。お前の言った通りのことが起こっている。いや、それ以上かもしれないな」


 冷懿ラン・イーにそう言ってから、秋は大広間の奥に座っている李绍成リ・シャオチァンの前まで、少年の手を引きながら一直線に歩いていく。


白虎殿びゃっこどの! なにをなさるおつもりですか!?」


 冷が制止するのも構わず、秋は進む。そして、李绍成リ・シャオチァンの目の前で歩みを止め、剣の切っ先を向けた。


「城歴李氏の主、李绍成リ・シャオチァンよ。お前たちは、”厄災を招く子”として、この少年を長らく閉じ込めていたのだろう」


「な、何を急に!」


 李绍成リ・シャオチァンは席から立ち上がったが、清廉な光を宿している剣の切っ先に慌てふためいている。その様子を冷ややかに見つめていた秋の目が、より鋭くなる。


「もう一度聞こう。お前たちは、この少年を地下に閉じ込めていたのではないか?」


「いや、そんなことは! 私は知らない!! 何も知らないのだ!」


 李绍成リ・シャオチァンの目は絶えず泳ぎ、その広い額には脂汗が流れている。何も知らないと喚いているが、その態度こそが、少年を閉じ込めていたのは李绍成リ・シャオチァンであることの証明であった。


「…… これはどう説明する?」


 一向に認めようとしない李绍成リ・シャオチァンに対し、秋は袖からを取り出して、床にぼろぼろと何個か落とした。


「ひっ……!?」


 落ちたものを見て、李绍成リ・シャオチァンや使用人たちが悲鳴を上げた。


 それは、秋が切り刻んだ死体たちの指の一部だった。既に乾ききって、黒く干からびたようになってしまっている。指についている爪だけが、妙に人間だった名残のように、生々しく感じられる。


 幸い、指先がひとりでに動きだすようなことはなかったため、更なる阿鼻叫喚は起きなかった。


「お前たちは死体を動かす研究をしていた、違うか?」


 秋は、一層低い声で李绍成リ・シャオチァンに向かって問いかけた。


「白虎殿、どういうことですか! 動く死体とは禁じられた術のはずでは…… !?」


 大広間の入り口から慌てて歩いてきた冷が口を挟んだ。ちらりと秋が振り返り、髪をまとめている白い布が揺れた。


「それは本人に説明してもらう。観念して話せ」


 秋が鞘に剣を仕舞ってから、秋と冷は李绍成リ・シャオチァンをまっすぐに見据えた。少年は秋の後ろに隠れ、秋の黒衣の袖を握りしめていた。


 水の流れる音以外は静かな大広間。一刻が過ぎたかのような長い静寂ののち、李绍成リ・シャオチァンは観念したのか、言葉をしぼり出すように徐々に語り出した。

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