第3話 閉じ込められた鳥

 初めて言葉を交わしたその後も、何日かに一回は鄭蔚文チェン・ウェイウェンと二人になる時間があり、そのたびに話をした。


 話ができるのは他の見張りが席を外した少しの間だけだったが、雪が積もるように回を重ねていった。


 外の世界について、鄭蔚文チェン・ウェイウェンの故郷について、今の世の情勢、昔ながらの説話、鄭蔚文チェン・ウェイウェンの好きな詩について。


 話が尽きることはなく、鄭蔚文チェン・ウェイウェンの話は巧みであり少年の創造力をかき立てた。


 見たことのない景色も、色も、匂いも、光も、音も、すべて少年の心の中にありありと描けるのであった。



 そのようにして一年ほどが経ち、少年はほとんどの言葉を理解し、流暢に話すこともできるようになった。書物の文字も読むこともでき、詩をそらんじることもできる。

 鄭蔚文チェン・ウェイウェンは、少年が外に出ても苦労することなく生きていけるだろう、と言うようになった。少年は外の世界を見たいと前々から思っていたが、その思いは日を経るごとに強くなっていった。


 しかし状況はさして変わっておらず、依然少年は幽閉されたままであり鄭蔚文チェン・ウェイウェンは罪をかぶせられて見張りをしていた。今日もまた、鄭蔚文チェン・ウェイウェンは牢の前にしゃがみこんで、優しそうな微笑みを向けた。


「私も外の世界がどうなっているのか分からないのだ、見張りになってからはずっと外に出ていない」


「そうなの?」


 少年は初耳だった。確かにほとんどの時間は見張りとして牢の前に立っているが、まさか一歩も出られていないとは思っていなかったのだ。


「そうだよ。閉じ込められた鳥であっても、心は空を羽ばたいているんだ」


「鳥。前に言っていた生き物?」


 少年が頭を傾げると、鄭蔚文チェン・ウェイウェンは手を広げて壮大な話をし始めた。


「そうだよ。鳥は空を飛ぶんだ。小さいやつもいれば、大きいやつもいる。そして、小さいやつは高い声で鳴く」


 鄭蔚文チェン・ウェイウェンは下手な鳥の鳴きまねをして、少年を笑わせた。


「昔、小さい鳥があまりにも綺麗な声で鳴くものだから、その鳥を閉じ込めてしまおうとした人間がいた。なんとか捕まえるのに成功して、鳥は綺麗な声で鳴いた。でも、だんだんと弱っていったんだ。だから、惜しいけれど空に放すことにした。すると、鳥は自由に空を飛んだ。閉じ込められたことなど、覚えていないようにね」


 鄭蔚文チェン・ウェイウェンは決して見えることのない青い空を見るかのように、牢の天井を見上げた。つられるようにして、少年も顔を上げる。そこには、ただ闇があるだけだった。鄭蔚文チェン・ウェイウェンが、少年に問いかけた。


「外はどうなっているのだろうな、君はどんな風になっていると思う?」


 少年は想像した。光の下の世界を。太陽があり、木々があり、大きな川が流れている世界を。


「僕は――」


その時であった。


「何をしている?」


 声の主はもう一人の見張りであった。話に夢中になるあまり、足音に気づかなかったのだ。いや、いつもはやたら大きな足音だったが、気づかれないように歩いてきたのかもしれなかった。


 二人に緊張が走る。布をどけて話をしているのを聞かれてしまったため、どう言い訳しようと言い逃れはできそうになかった。


「ただ、話をしていただけだよ」

 鄭蔚文チェン・ウェイウェンは柔和な笑みを浮かべて言った。


 すると、もう一人の見張りは声を荒げて鄭蔚文チェン・ウェイウェンの短衣の襟を掴み、顔を力一杯殴った。鈍い音が、空間に響いた。


「何故見張りが見張る対象と話す必要がある? 何があっても牢の中の子どもとは話すな、目を合わせるな、と命令されただろうが。


 ただ、俺らは仕事をすれば良いのだ。こいつを一年見張るだけで、自分に課される刑が軽くなると言われたのに、何故お前はその仕事すらもしない? 


 お前がこそこそと”何か”をしているのは分かっていたんだよ! いつも顔に貼り付いたような、薄気味悪い笑い方をしやがって」


 少年は牢の木枠を握りしめながら、思わず目をつむった。布を戻すことさえも忘れて、少年は歯を食いしばっていた。


 もう一人の見張りは気性が荒く、いさかいの末に人を殴りかかり、罪に問われた男らしい。もう一人の見張りに殴られた相手は立ち上がることもできなかったという。そんな恐ろしい人間なのだ、とチェンに聞いていたのだ。


 そして、チェンは殴られて地面に倒れ込んだあと、その気性の荒い見張りによって瞬く間に縄で縛られ、無理やり違う場所に連れて行かれてしまった。


少年は、牢の木枠から手を伸ばしたが、その手が届くことはなかった。チェンが連れて行かれるのを、ただ見ていることしかできなかった。

 

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