第41話 雪冰一条

 秋一睿チウ・イールイが次に目を開けると、目の前にあったのは朱色の神殿ではなかった。空は雨雲に覆われて雷鳴が轟いている。


「今見たものは何だったのか……」


 風に揺れる木々は、まさしく玉剣山の景色であった。剣の妖が言ったとおり、瞬きの間ほどの時間しか流れていないらしく、遠くで妖鬼のしゅが咆哮をあげている。


 立ち上がろうとすると背中が痛いが、動けないほどではない。口元に付いた血を袖で雑に拭い、周りを見ながらゆっくりと立ち上がった。


 妖鬼の首のいる方向に向かい、折れた剣を手に走り出す。秋一睿チウ・イールイが地面を大きく蹴ると、履物に施された飛のまじないが作動して足が地面から離れた。


 木々を渡り、風に乗り、妖鬼のしゅまで一直線に飛ぶ。その様子を誰かが見たならば、黒い大きな鳥が飛んでいると勘違いしただろう。


 妖鬼のしゅのいる場所までたどり着くと、木々がなぎ倒されて、人々は相変わらず妖鬼の群れと戦っていた。あれから更に暴れたのだろうことが分かった。


 各勢力の呪部じゅぶと思わしき人々は、別の方法で妖鬼のしゅの力を抑えようとしているのか、大きな陣を張っている。


「白虎殿が戻ってこられたぞ! 陣を重ねて妖鬼のしゅの身動きを封じよ!」


 陣を張っている呪部の誰かが叫んだ。その声に応えて、妖鬼のしゅの周りに幾重もの陣が展開される。


 秋一睿チウ・イールイはひと際大きな木の上に立ち、一つ深呼吸をした。自分がやらなければという小さな緊張と、その場にいる人間たちの期待を身に感じながら、手の中の折れた剣に向かって呟いた。


「剣よ、次の一振りで終わらせよう」


 秋一睿チウ・イールイは木の上から、空中に一歩足を踏み出した。


 そして、落ちる前に空中で“雪冰一条せっぴょういちじょう“を繰り出す。曇天の中、日の光を浴びた氷のように刃が煌めく。まるで全てが凍ったかのように、秋の周りは静かだ。


 剣で妖鬼に触れる瞬間、折れた剣の大きさが何倍にもなって胴体を一刀両断する。


「なんだ今のは……!? 妖鬼のしゅだけでなく、周りの妖鬼まで斬ったのか?」


 各勢力の門下生達は、今戦っていた妖鬼の群れが目の前でふっと消えてしまったのであたりを見回している。


 秋が着地をして、妖鬼のしゅの様子をじっと見つめる。黒い外套が風に揺れた。妖鬼の黒い体液が、飛沫となって雨のように秋の白い肌や外套に降りかかる。


 まもなくして、ずり落ちてきた妖鬼のしゅの上半身が降ってくる。大きな音を立てて、地面に埋め込まれるように落ちた。


 土埃が舞い上がり、秋は顔に付いた黒い体液を袖で拭い、咳を一つした。


「やった! 妖鬼のしゅが倒れたぞ!」


 呪部や門下生たちは急に元気になって喜んだ。妖鬼のしゅの悪しき気が取り去られたからである。いつもは他の勢力であるため協力することはないが、今回は例外だった。ある者たちは涙を浮かべながら肩をたたき合っている。


「妖鬼のしゅ…… 核は人間の死体のようだな。ならば鬼か」


 皆が喜んでいる中、秋は妖鬼の首に近づき、すぐに調べ始める。どろりと妖鬼の首の大部分が溶けて、胴を二つに分断された死体が露になった。木を超えるほどの大きさがあった体躯は、みるみるうちに背丈は小さくなり、干からびた人間の大きさになっていた。


「まさか……人が人を喰っていたとは」


 人の死体が元であるならば、人が人を喰らうことで育った存在であったということだ。


 死体をくまなく調べていた秋は、死体の着ている深衣の前に何かが張ってあるのに気付いた。


「この霊符は…… 人寄せのまじないか? ならば、これは誰かが仕組んだことか…………」


 霊符をはがしてしばらく見ていたが、秋はそれほど霊符に詳しくないため、誰かに聞くために折れた剣と共に布につつんでしまった。


 雨と雷は止み、雲の間から陽光が差し込んできた。秋はその眩しさに目を細める。


「白虎殿、冷師兄が…… 」


 雪雲閣の門下生の一人が駆け寄ってきた。


「すぐに向かう。この死体を調べるよう、儀仙堂に伝えてほしい」


 秋が急いで冷懿ラン・イーの元に駆けつけると、息を荒くして体を横たえている冷懿ラン・イーが居た。何人かの門下生たちから手当てを受けている。秋を見ると、すぐに起き上がり謝った。


「白虎殿、すみません…… 。お力になれずに…… 」


 冷の様子を見て、秋は内心安堵した。目の前の師弟は、身体は強いがそれ以上に無理をしてしまうことが多い。


「いや、無事が一番だ。休め」


 秋は本心のままにそう言ったが、冷は悔しそうに唇を噛んだ。妖鬼の首を倒すための力になれなかったことを悔いている様子で、今にも泣き出してしまいそうなくらい顔を赤くしている。


「妖鬼の首の正体はようでしたか、それともですか。……まさか、生きた人間ではありませんよね?」


 ぱっと顔を上げた冷が、切実な表情をして聞いた。


だ。死体を使っていた。もう死んでいたから問題ない」


「そうですか、それは、良かった……」


 その返答で安心したのか、冷は眠りに落ちた。

 その様子を見て、秋はふっと息をつく。そして、何かを考えごとをしながら、しばらく冷の寝顔を眺めていた。

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