第53話 来訪者ありて

 それから五日ほどたった頃、軒車に乗り玄郭げんかくを訪れた人物があった。


 明黄色の深衣を着て、玉の髪飾りを着けた少女が軒車から下りてくる。棗瑞玲ザオ・ルイリンであった。儀仙堂ぎせんどうの黄龍、棗绍ザオ・シャオからの書簡を届けにわざわざ訪れたらしく、玄郭の書部と話しこんでいる。


 そして常子远チャン・ズーユエンと二人で話がしたいとのことで、玄郭の園林で話をすることとなった。


「今回私がここに来たのは、あなたと話をするためなのです。書簡を届けるというのは口実にすぎません」


 園林にある亭の内部に、棗瑞玲ザオ・ルイリン常子远チャン・ズーユエンは向かい合わせで腰掛けた。


「僕と?」


「ええ。…… それで、話したい内容なのですが、兄上のことについてです」


棗愈ザオ・ユィーのこと……?」


 常の指がぴくりと動いた。瑞玲ルイリンの兄、棗愈ザオ・ユィーとは仲違いのような形で別れてしまったため、思い出すたびに常の気が落ち込むのだった。


「はい。兄は玉剣山ユィージェンシャンでの大会後から、様子がおかしくて。ですから、すべて話してもらいました」


棗愈ザオ・ユィーは何て言っていたの?」


「友である貴方を信じるべきなのか、それとも家訓を信じるべきか……」


 瑞玲ルイリンの話す顔が、似ていない棗愈ザオ・ユィーの顔と重なる。急に瑞玲ルイリンが微笑み、常は現実に戻された。


「そして叔父上――棗绍ザオ・シャオに問いただしました。あなたが“厄災を招く子”とされていたことも、暁片が我が先祖の死ぬ原因となったことも聞きました。……念のため、兄上にはまだ知らせていませんが」


 儀仙堂で棗愈ザオ・ユィーと共に話をした時は、棗瑞玲ザオ・ルイリンは兄に話を譲っているように見えた。てっきり常子远チャン・ズーユエンは彼女を恥ずかしがり屋だと思ったのだ。


 だが、今こうして二人で話をしてみると、決して人の影に隠れるような人間ではないのだろうと分かる。


「……やっぱり暁片のせいで先祖が亡くなったんだね」


「それは事実のようです。家訓にも、暁片を持つ者を殺せと書いてありますから」


 瑞玲ルイリンがさらりと言った。それを聞いた常は、心臓が止まりそうになったが、すぐに瑞玲ルイリンが話を続けた。


「しかし私は、昔のことは昔、今は今だと思うのですよ。あなたが私の先祖を殺したわけではない。あなたはただ、暁片を導く存在であるだけで、あなたに罪はないのですから」


 そうは言われたが、瑞玲ルイリンの話を聞いた常の手は震えていた。


「でも、怖いんだ。僕が人を殺す道具を導くなんて」


「ええ。私でも怖いと思います。……人はそれも天命だというけれど、天命だけじゃない。叔父上が家訓に背きあなたを生かすのは、何か思惑があるからです」


 瑞玲ルイリンが近づき、常の手をとった。


瑞玲ルイリン……?」

「すみません、思わず手を握ってしまいました。あなたの手が震えていたから。……幼い頃によく兄が、夜の静けさが怖いときにこうしてくれたので」


 遠い過去を懐かしむように、瑞玲ルイリンが手を離した。


「見えなくとも、どこかに人の意思は関わっているのです。何かを変えたいならば、行動を起こさないと」


 瑞玲ルイリンが微笑んだその時、遠くにいた儀仙堂の見張りが叫んだ。その言葉が呪部の術により、増幅されて伝わってくる。


瑞玲ルイリン様、刺客です! 十数人ほど、布で顔を隠しており、相当な手練れです! すぐに蔵書殿へとお逃げください!」


「いえ、私が戦います」


 瑞玲ルイリンは立ち上がり、剣を抜いた。もうすでに、五人の刺客が二人を囲んでいたからだ。


 剣の名は“月仙”、棗愈ザオ・ユィーの使う“為天”と作成者が同じ剣であり、すらりと細く優美で美しい刃を持つ。


「私があなたを守ります、常子远チャン・ズーユエン


 じりじりと寄ってくる刺客たちから目を離さずに、瑞玲ルイリンは剣を構えた。


「そんな! 君が戦うなんて!」


「問題ありませんよ。じつは私、兄上よりも剣が得意なんです」


 刺客の一人が、その言葉が終わる前に剣を突き出してきたため、瑞玲ルイリンは弧を描くように相手の剣を絡めとった。


 刺客の体勢が崩れたところを、剣をくるりと回すようにして斬る。これは“皓皓雲月“、棗愈ザオ・ユィーの使う技" 凄凄雨陽" と対となる剣の一連の技である。月のように優美で曲線的な剣技であるため、そう名づけられた。


 そして、地面に倒れた刺客に対し、間髪いれずに紙でできた拘束の霊符を貼り付けた。


 その瑞玲ルイリンの隙を突こうと、他の刺客四人が同時に襲い掛かってくる。それに気づいた瑞玲ルイリンは、向かってくる刺客の間をぬうように優雅に進む。


「死ね!」


 刺客が剣を突き出してきたが、しかし、その剣は瑞玲ルイリンに刺さることなく空を切った。


 瑞玲ルイリンが縦に開脚して、地面に顔がつきそうなほど体勢を低くしたのである。


「うまくかかりましたね」


 そう微笑んだ瑞玲ルイリンは、体を回転させて立ち上がりながら敵の足を払い、四人の体勢を崩させる。拘束の霊符を刺客の背中に貼り付けると、刺客たちは自ら地面に転がった。


 瑞玲ルイリンは一人で手早く刺客たちを片づけてしまった。みるみるうちに彼女が刺客たちを倒していく様を見て、常は目と口を開けたまま突っ立っていた。


「よし、こちらは終わりました。儀仙堂(うち)の門下に判部へと連行してもらいますね」


 儀仙堂の見張りに刺客たちの身柄を引き渡し、二人は蔵書殿へと戻った。


 蔵書殿に着くと、急いで秋一睿チウ・イールイが走ってきた。


「すまない、黄龍殿からの書簡が私にも届いて、刺客に気づくのが遅れた」

瑞玲ルイリンがすぐに倒してくれたから、心配ないよ」


 秋一睿チウ・イールイは沈痛な面持ちだったが、瑞玲ルイリンの姿を見るやいなや拱手を行った。


「感謝する。…… 何はともあれ、二人とも無事でよかった」

「お久しぶりです、白虎殿」


 二人の様子を見て、常は二人の顔を交互に見た。


「二人は前に会ったことあるの?」

「はい、何度か。長く話すのはこれが初めてですけれど」

 瑞玲ルイリンが頷いた。


常子远チャン・ズーユエン、そういえばこの剣をお前にやるのを忘れていた」


 秋一睿チウ・イールイは刃の先が折れた剣を常に見せた。大会の際に玉剣山で見つけた妖鬼(のような何か)が憑りついた剣である。


「折れた剣? これを何故、常子远チャン・ズーユエンに?」


 瑞玲ルイリンも剣をのぞき込んで、秋に問いかけた。剣を人にあげるのは縁起が悪いとされているのでどこか不安げだ。


「この剣自身が常子远チャン・ズーユエンの近くにいることを望んだからだ。この剣、折れてはいるが物は斬れる」


「剣って意思があるんだ。師兄、ありがとう」


 そう言って剣を受け取ろうとして、折れた剣に触れた、そのとき。

 辺り一面の炎が常の眼前に広がった。

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