第2話 課された労役

「――チェン家の二の若君。あなたには常院楼じょういんろうでの見張りの労役に就いてもらいます。これを務め果たせば、他で労役に就くよりも半年期間が短くなります」


 鄭蔚文チェン・ウェイウェンが裁判の後に言い渡されたのは、城歴じょうれきの地を治めている李氏の住まい――通称、常院楼じょういんろうと呼ばれている建物の地下で見張りをするという労役であった。鄭蔚文チェン・ウェイウェン判部はんぶからの言葉に仕方なく頷く。


 官人として働いていた鄭蔚文チェン・ウェイウェンは実の兄に無実の罪を着せられ、労役に就くこととなったのだ。幸い罪は軽かったため、官人の身分を保ったままで二、三年の労役を務めることとなった。ただ、納得がいかないのも事実だった。何かにつけて弟の蔚文ウェイウェンを目の敵にしてきた長兄は、蔚文が居ない数年の間、家を好き放題に荒らすつもりなのだろう。



 常院楼じょういんろうに集められたのは、数名の人間だった。鄭蔚文チェン・ウェイウェンのように軽い罪ではない者もいるようで、体格が良く腕っぷしの強そうな者もいる。中にはやけにぎらついた視線の者もいた。常院楼の者から、囚人である証の赤い色の短衣を手渡され、おとなしく身につける。


 着替えながらも、蔚文ウェイウェンは二日前に判部の人間から言われたことが気にかかっていた。


「――チェン家の二の若君。常院楼……定期的に人手が欲しいと労役を募っているのは良いのですが、中には二度と帰ってこない者もいるとか。戻ってきた者はいれど、常院楼に関して口を噤んでしまう。とにかく、怪しい噂が立っています。気を付けてください」


「……なぜ私にそのようなことを?」


「罪を犯したとはいえど、あなたは官人です。私たちは玄郭の判部ですので、他勢力である城歴李氏に干渉できません。チェン家の二の若君、玄郭げんかくであなたに助けられた者は多い。あなたならば……」


 すがるような目で見てきたので、鄭蔚文チェン・ウェイウェンは手で制した。


「やめてください。官人ではありますが、私はしがない紙職人です。内部で何が起こっているのか伝えることはできると思いますが……あなたがたを助けるほどの力はありません――」


 着替えを済ませた鄭蔚文チェン・ウェイウェンたちが連れてこられたのは、常院楼の地下深くだった。土を踏み固めて作られた階段を下りると、土を掘って作った広い道のような空間があった。一番奥には木枠で囲まれた部屋らしき空間がある。全体が丸みを帯びたように掘られているところから見て、この空間自体が囚人を閉じ込めておくための圜土えんどなのだろう。


 道の両側にも、土でできた壁の一部に木枠がはめ込まれた小さな空間があるようだ。右には注視しないと気づけないくらいの細い道があり、その先に労役に就く者たち専用の部屋があった。その部屋というのが、まさに劣悪な環境であった。明かりとなるのは、小さな銅燈が二つ。しょうや床などの寝具はなく、湿った土の上に布を敷いて雑魚寝をしなければならない。さらに、糞尿でもためておく場所があるのか、動物の死骸でもあるのか、ひどい異臭がする。

 

 常院楼の者からの説明はほとんどなく、持ち回りで見張りをしてほしいと伝えられたのみだった。このまま何の情報も得られないと、玄郭の判部に情報を伝えることさえもできないだろう。



 労役に就いてから数日が過ぎた。地下での衣食住に慣れることはなく、だんだんと蔚文ウェイウェンの気分も暗くなってきた。陽光の下にいられないことがこれまでに気分を沈ませるとは今まで思いもしなかった。常院楼の労役から帰ってこない者が居るという話も頷ける。


「なあ、鄭蔚文チェン・ウェイウェンと言ったか? そういえば、あんたはどうしてここへ来たんだ?」


 暇を持て余したのか、今回のもう一人の見張りに話しかけられた。何しろ長い間立っているだけの労役なのだ、退屈するのも無理はない。もう一人の見張り――氾孟ファン・ マァンは貧困により馬を盗んだ罪で捕まり、常院楼の労役を課され、刑罰として髪も切られたらしい。常院楼の労役は期間が短くなる。唯一の働き手である彼は、一刻も早く労役を終えて働かなければいけないのだという。


「私も……同じようなものだよ。はやく労役を終えて家に戻らないといけないんだ」

「へえ! じゃあ俺たち仲間だな」


 氾孟ファン・ マァンが歯を見せて豪快に笑ったが、急に辺りを見回して声を潜めた。


「――そういえば、仲間のよしみとして忠告するが、あいつには気を付けたほうがいい」


「あいつとは?」


「見張りの中にとびぬけて体格のいいやつがいるだろう? 俺はあいつと同じ東弥道とうみどう出身なんだが、他人と諍いになって相手を殴り殺したって噂だぜ。どこまで本当かはわからないが、こんな狭い空間で生活するんだ。用心するに越したことはないだろう?」


「そうなのか。君は物知りだね、忠告ありがとう」


 蔚文ウェイウェンが微笑むと、氾孟ファン・ マァンは嬉しそうに頭を掻いた。蔚文ウェイウェンは目の前の男ならば何か情報を持っているかもしれないと思い、聞いてみることにした。


「そうだ氾孟ファン・ マァン、君は私たち見張りが何を見張っているのかを知っているかい? 私は何も知らされずにここに来てしまったんだ」


「いいや、あんたと同じだ。よくわからずに連れてこられただけさ。ああでも、この中にいるのは人間なんだとよ、どんな大罪人なのか噂になってるぜ」


「人間……!? てっきり動物でも飼っているのかと……」


 蔚文ウェイウェンが思い返してみると、常院楼の者に命令されて一日に数回木枠の向こうに盆を差し入れて食料を支給している。中にいるのが生物なのは間違いなさそうだ、とは思っていたのだが。


 そのとき、小さな動物の鳴き声か、遠い土地の言葉のような音が聞こえた。


「あれ、今何か聞こえなかったかい……?」


「そうか? 俺には何も聞こえねえが」


  氾孟ファン・ マァンは首を傾げていたが、蔚文は確かに声のような音を聞いた。まさか、噂になっている大罪人の声だろうか――? と、蔚文は布が垂れていて見えない木枠の奥を不安げに見つめるのだった。

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