序章 厄災を招く子

第1話 伝承と現在

 閉じ込められた鳥であっても、心は大空を羽ばたいている。


 維帝いてい統治の世、本永ほんえい三年。城歴じょうれきの地に呪部じゅぶの予言あり。そう遠からぬうちに”厄災を招く子”が生まれる、と。

 古くからこの地に口伝あり、”厄災を招く子”は生まれた時に殺すべし。厄災を招く子が生まれる時は、例外なく太陽が月に隠れ、空には渦のような模様ができる。


 維帝いてい統治の世、本永ほんえい十八年。厄災を招く子は生き延び、十五歳となる。



 どこにあるのかも分からない暗くて狭い部屋の中、ぼろ布を着た少年は横たえていた身体をゆっくりと起こした。髪は伸び放題で腰ほどまであり、生まれてから一度も切ったことがない。前髪は少年の暗い色の瞳を隠してしまうほどだった。


 部屋の中にはほとんど物がなく、外とつながっているであろう一方は布で覆われていた。布の外には牢のごとく組まれた材木があり、用を足す時でさえも少年はその外に出ることができなかった。


 その外にはいつも見張りが二人ほど立っていた。布は少年の側にあって覗くこともできたが、一度見張りの姿を覗いた時、見張りの一人によって手を無理やり掴まれて叩かれたのだった。それきり少年は怯えてしまって、布の外を覗くことはめったにしなかった。  


 見張りたちは意思疎通のために、時折音を発していた。少年は時折、訳もわからないままその音を真似するのだった。見張りの口から流れるように発せられる音は、聞いていて心地よかったのだ。


 そしてその音こそが人間の情報伝達手段、”言葉”である。


 少年は物心ついた時から、この狭い中で生活をしてきた。


 食べ物の支給は最低限で、何時も餓えていた。かかっている布の端を一度食べたことがあるが、喉につまりかけて腹が痛くなっただけだったので止めた。


 衣服とは言えないぼろ布は一枚しかなく、寒さに震える時もあった。沐浴もくよく用には、いつも身体中が痒くなって随分経ってから、水の入った両手で持てる大きさの器が一つのみ支給される。水は貴重であるので布に含ませて身体を洗い、必ず飲む分を残すようにしていた。


 牢の外では時折何かのうめき声のような音が聞こえる。見張りがうめき声の元を見に行き、二度と戻ってこなかったこともあった。


 沐浴もくよくの器が支給されるよりも長い期間を空けて、“上”の者だと思われる人間が部屋の前に立って言葉を発することがあった。布で見えないのになぜそうと分かるかというと、いつもは怠けている見張りの挙動が張り詰めた糸のようになるからだ。ここから一歩も出たことのない少年であっても、動物的な感覚で上下関係を感じ取っていた。


 “上”の者の声は見張りたちの声よりもかなり低く、言葉一つ一つが少年の身体に刺さるような感覚があった。後に言葉を理解するようになったとき、それは自分を罵っている言葉なのだと知った。


 狭い部屋から出られないこと、外の人間が自分を罵ることは普通なのだと思っていた。しかし、どうやら普通の境遇ではないらしいことが、とある出来事により分かるようになった。


 あるとき、新しく入った見張りの一人が食べ物と共に紙きれを一枚忍ばせて支給するようになったのだ。もう一人の見張りにはその紙を隠しているようだった。


 そして、もう一人の見張りが席を外す時間を狙い、新入りの見張りは言葉の分からない少年に対し、話を始めるのである。布で隔てられているとはいえ、少年に語りかけているのであろうことが、声色から分かるのであった。


 最初は食べ物の支給の一つかと思い、見張りから渡された紙を食べてしまいそうになった。口に含んでも固く繊維質なだけだったので、少年は紙を口から出した。


 くしゃくしゃになった紙を開くと、少しずつ違う文様が何個も描かれていることが暗がりでも分かった。その様々な文様は整然と並んでいる。


 何種類もの紙が支給されるようになってから、それが何を表しているのか次第に分かるようになってきた。


 文様は一つ一つ意味を持っているらしい。複数の文様がつながると、意味もつながり広がっていく。


 外には「山」というものがあり、「山」の「深」くには「鳥」が居るらしい。「緑」は「草」や「木」であり、「山」や「河」の付近にあるものらしい。「河」には「流」れがあり、「魚」が居るらしいという風に。


 少年は紙を読むようになってから、見張りの言葉も聞き取れるようになってきた。文様と同じように音の共通点を見つければ、意味を理解することができると分かったからだ。


 この頃になると、支給される紙は詩であるのだと理解していた。


 その見張りは裕福な家に生まれ詩を詠むのが好きな青年だったが、やってもいない罪を着せられて少年の見張りとなったらしかった。見張りは少年の境遇に心を痛め、自作の詩を書き付けていた紙の書物を千切って渡していたのだという。

 

その話を聞いた時、自分の境遇は、人が心を痛めるほどつらいものなのだと少年は知った。


 それから三十回ほど寝て起きるのを繰り返すと、ようやく見張りの青年が一方的に話す内容が分かるようになった。


 言葉を交わすことはまだできなくとも少年は、少年自身の置かれている状況も理解することができた。少年は城歴じょうれき李氏という有力な権力者によって幽閉されているらしい。


 たまに少年の元を訪れて勝手に罵っていく位の高そうな”上”の者は、城歴じょうれき李氏の主である李绍成リ・シャオチァンであろうことも推測できた。


 しかし、李绍成リ・シャオチァンが少年を幽閉している目的が何なのか分からなかった。


 見張りの青年にも、少年が幽閉されている理由は分からなさそうだった。見張りたちは少年がどういう存在なのかも知らされずに、何を見張るのかさえも知らされずに、牢の前に立たされているのだという。

 

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