第23話 友人として

「すみませんが、一刻ほど前に少年を見ていないですか? 常子远チャン・ズーユエンという雪雲閣せつうんかくの門下生なのですけれど」


 会合が終わり日も傾いてくる頃、飛び出していった常子远チャン・ズーユエン冷懿ラン・イーは探していた。護衛として置いていた門下生からの連絡はないため、儀仙堂の中にいて無事であるとは思われるが、不安であるのも確かだった。冷懿ラン・イーが儀仙堂の使用人に片っ端から声をかけていると、それらしき少年を見たという儀仙堂の門下生が現れた。


「雪雲閣の少年なら、この先を走って行きましたよ。顔はよく見えませんでしたが」


「ありがとうございます。この先にあるのは…… 儀仙堂の門下生たちの住まいですか」

 冷懿ラン・イーは少し考え事をするような面持ちで道の先を見た。儀仙堂の門下生たち、とは言ってもこの先にあるのは棗绍ザオ・シャオの甥姪が住まう建物のみである。棗绍ザオ・シャオの甥姪たちは他の門下生とは別の建物に住む決まりとなっているからだ。


 棗绍ザオ・シャオの甥姪は、儀仙堂内では剣術の優れた使い手であるとの評判だ。しかし、その反面、黄龍である棗绍ザオ・シャオの親族であるから剣に優れているのは当然である、ひいきされている、おごり高ぶっているなどと噂を聞くこともあった。


 冷懿ラン・イーはその噂を完全に信じている訳ではなかったが、外交を担当している冷であっても棗の甥姪がどのような人物かはよく知らない。前に儀仙堂で一言二言言葉を交わしたのみだ。そのため、二人に会うのはいささか億劫に思えて、冷は深く息を吸ってから歩き出した。


 細い道を抜けた先に、棗愈ザオ・ユィー棗瑞玲ザオ・ルイリンが住んでいる建物はあった。まるで木々に隠されているような場所にある建物だ、と冷は感じた。外観はきらびやかではなかったが、質の良い建材を使い、彫刻など凝った意匠が施されている。そして建物の横に植えられているのは、棗愈ザオ・ユィー棗瑞玲ザオ・ルイリンの姓と同じ植物であるなつめであった。まだ実はつけておらず、薄い黄色の花が小さく咲いている。


 建物の前に立った冷は、少しのあいだ目を閉じて意を決したように目を開け、朗々たる声で中に居るであろう人間に呼びかけた。


棗愈ザオ・ユィー様、棗瑞玲ザオ・ルイリン様。雪雲閣の冷懿ラン・イーです。雪雲閣の門下生である常子远チャン・ズーユエンを探しているのですが、こちらへ来ていませんでしょうか?」


 返答はない。二人はいないのだろうか、もしくは二人の住まいではなかったのか。


 そのように冷が不安になった頃、戸が開いて常子远チャン・ズーユエンが出てきた。


常子远チャン・ズーユエン!? ここは儀仙堂ぎせんどうの門下生の住まいでは―― 」


 常子远チャン・ズーユエンがすぐ出てくるとは思っていなかった冷は、元々丸い目をさらに丸くした。常が何か言おうとする前に、違う声が聞こえてきた。


「道端で蹲っていたので休ませていたのだ。顔色も悪かったからな」


 棗愈ザオ・ユィーが口を挟んだのだ。常の後ろから戸の外に顔を覗かせたのち、外へ出てきて常と並ぶようにして立った。瑞玲ルイリンも少し遠くでその様子を見守っていた。


 冷は棗愈ザオ・ユィーを見るなり、すぐさま拱手をした。


棗愈ザオ・ユィー様、棗瑞玲ザオ・ルイリン様。ありがとうございます。会合の途中で居なくなったので心配していたのです。…… 常子远チャン・ズーユエン、戻りましょう。白虎殿びゃっこどのも儀仙堂中を探し回っていますよ」


「……もう行くのか」

 棗愈ザオ・ユィーは名残惜しそうな目で二人を見た。常がぎこちなくも屈託のない笑顔を作って棗愈に聞いた。

「そうみたい。また来ても良い?」


 その問いに対し、棗愈は珍しく笑みを浮かべた。

「もちろんだ、待っている。…… 友人として、な」


「ありがと、じゃあね二人とも」

 常は、棗愈ザオ・ユィー、見送りのために建物の外に出てきた棗瑞玲ザオ・ルイリンに手を振った。

「ああ」

 常と冷は並んでその場を去り、儀仙堂の中心部に戻っていく。


 棗愈と棗瑞玲は、常と冷が歩いて行くのを二人の姿が見えなくなるまでずっと見守っていた。


「――久方ぶりに他人と話して楽しい時間を過ごした、短かったが」

 二人の歩いて行った方角を見ながら、棗愈は瑞玲に話しかけた。


「本当に。もっとお話をしてみたかったですね」

 そう言って、棗瑞玲はちらりと兄の様子を見た。普段は口数が少なく無愛想だと評される棗愈だったが、常のおかげであろうか今日は幾分か柔らかな表情をしている。


「……また来てくれると良いが」

「きっと兄上が呼べば快く来てくださいますよ、それに大会もございますし」

「そうか? そう、だな…… 」


 途端に心配そうな顔になった兄を見て、棗瑞玲はくすりと笑った。兄が人との交流のことで不安げに振る舞うことはほとんど見たことがなかったのに、今は起きてすらいないことに対して想像を膨らませて落ち込んでいる。


 先程話していたときも、常子远チャン・ズーユエンは変に改まった態度で接したりしない客人であったので、もてなしていた時に逆に兄のほうが緊張しているのが見て取れた。


 本音で話すことを誰よりも望んでいるのに、同世代の子どもと本音で話すことができるとなると途端によそよそしくなる。


 そんな不器用な兄が親族以外の誰かと交流を図ろうとする様が、棗瑞玲にとっては可愛らしくて仕方が無かった。

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