第28話 霧の中の戦い
「冷さん、冷さん…… 師兄! どこにいるの? 答えてよ、誰か…… !」
涙が出そうになっていたその時だった。草が動く音と誰かの足音が聞こえてきた。
「…… お前は
足音の主は
「こっちこそ驚いたよ。君は妖鬼じゃないよね?」
「妖鬼な訳があるか。妖鬼に乗っ取られるほど俺は柔ではないからな」
剣を仕舞いこちらに歩いてきた
「でも良かった…… この霧で冷師兄と離れてしまったんだ」
常は胸をなで下ろし、
「お前は剣すら持っていないのか? 何をしに大会に来たんだ。この山は危ない噂が絶えない。さらに
「……うん。 今日は師兄の見学だったから」
”厄災を招く子”の話が急に出てきたため、常は内心気が気ではない。
「あきれた奴だな。入門したばかりとはいえ、剣を持たないなどあり得ない」
その言葉を聞き、常は落ち込んだように肩を落とした。
「…… ごめん」
目を潤ませる常を見て、
「とにかく、この霧から出るのが先決だ。進むぞ」
二人が並んで歩いて行くと、竹の生えていない空間へと出たようだった。相変わらず霧は濃く、五寸先も白くぼやけたようになって見えないほどであった。
棗愈が急に足を止め、常も先に行かないように手で制した。歪んだような不祥な鳥の鳴声がして、不安を煽るように轟々と風に草木が当たる音がした。
「どうしたの?」
「気配がする。鬼の類いだろう、それも凄まじい邪気を感じる」
常が不思議に思って問いかけると、棗愈は自身の剣を抜き、構えた。
しかし、常の目には一面霧の世界が広がっているばかりだ。
「そんな―――― 」
何かを言いかけた常を棗愈が手で制した。先程まで啼いていた不祥の鳥が飛び去ったのか、翼を羽ばたかせる音がして、草木が風に強く揺れる音だけが二人を包んだ。
常は辺りをぼんやりと見つめ、何が起っているのかさえも分からずにその場で突っ立っていた。
辺りをゆっくりと見回しても何かが起こる気配もないため、常はふたたび歩き出そうとした。
左足を踏み出そうとしたちょうどその時、何体もの灰色の影が次々に姿を現して、常の背後から刃のごとき腕を振り下ろしたのであった。
それに気づいた棗愈はとっさに左手で常の右腕を掴んで右まわりに身体を回転させ、振り向きざまに右手では剣を抜いて鬼を打ち払った。
鬼はよろめくように体勢を崩したが、間髪入れずに第二の攻撃が胴を突くように迫った。
しかし棗愈は慌てた様子を見せず、一歩もその場から動かずに剣を下から上に円を描くように動かして腕をなぎ払った。
棗愈は一転攻勢に転じ、強く一歩踏み出して鬼に対して愚直ながらもまるで剣舞のように流麗な太刀筋を披露した。常にはよく分からなかったが、今まで見たことのある秋や冷の剣技とはまた違った美しさがあるように思われた。
これは、" 凄凄雨陽" と名づけられた儀仙堂特有の剣技の一つである。寂しげな雨雲の間から一筋の日の光が差すように、鋭くも重い剣の技として有名だ。
「俺の剣で斬れないほど固いとはな…… !」
棗愈は素晴らしい剣技を披露したにもかかわらず、苦い顔をした。それもそのはず、棗愈の剣”為天”は一振りで妖鬼を斬れなかった試しのない、まさしく名剣なのである。
”黄龍の甥は妖鬼を必ず一振りで葬り去る”との噂は、もはや
十を超える数の鬼たちはおどろおどろしい声で咆哮し、何十もの攻撃を棗愈に対して仕掛けた。棗愈が常の腕を引っ張って攻撃を躱し、時には打ち払いながら一匹ずつ鬼を数えたところ、全部で十五体であった。
「くそっ……!」
十五体の鬼の攻撃が、まるで雨の様に二人に向かって降り注いでくる。その雨を剣を滑らせるようにして受け流す。棗愈の剣技にも余裕はなくなり、おまけに常を守らねばならなかったため、猛攻を躱すことで精一杯となった。
常の身体は棗愈に腕を引っ張られ、時には身体を回転させられることによって、素早い攻撃を紙一重で躱している。常はあちこちに引っ張られたため目が回りそうだった。だが、一度も攻撃を受けていないのは棗愈のおかげなので、振り回されながら心の中で感謝した。
攻撃が前後左右から突き出され、間一髪で避けた棗愈が常をかばい剣を振る。幾たびもの金属音が、目には見えずとも技が繰り出されていることを表していた。
しかし、儀仙堂の次期黄龍と噂される棗愈とはいえ、太刀筋に疲れが見えてきた。やはり、鬼の数が多すぎるのか劣勢だ。
そしてあろうことか、鬼の中の一匹が隙をねらって、常の首を絞めあげるようにして掴んだ。
「……
灰色の腕が常の身体を持ち上げ、逃げようとしたが足をじたばたと揺らすことしかできない。
常は息もできず苦しくなるばかりで、首には鬼の鋭い爪が食い込み、血が滲んでしまっている。さらに、身につけていた邪払いの玉の首飾りも運悪く鬼の指に絡み、首を締め上げる一因となってしまっている。
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