第45話 青龍の立場

 店主の身を判部に引き渡した三人は、玄郭げんかくに向かう一本道を歩いていた。儀仙堂ぎせんどうから玄郭げんかくは比較的近く、半日もすれば到着する。


 三人が半刻も歩けば、すでに家や店はなくなって、道の周りには緑が広がっている。空は青く、雲がゆったりと流れていく。そよ風が吹き、秋一睿チウ・イールイ麻燕マー・イェンの外套がかすかに揺れる。常子远チャン・ズーユエンの束ねた髪もゆらゆらと風に揺れている。


「穏やかだねえ。こんな時には、酒を飲もう!」


 いつものことであるが、麻燕マー・イェンが歩きながら酒を飲みだした。いつの間にか露店で干しなつめを買ってきており、二人にも分けてくれた。


 干したなつめは儀仙堂の特産品である。黄龍の棗绍ザオ・シャオ、その甥の棗愈ザオ・ユィー、姪の棗瑞玲ザオ・ルイリンと同じ字を書くので、常子远チャン・ズーユエンの頭の中に三人の顔が浮かぶ。常子远チャン・ズーユエン棗愈ザオ・ユィーと仲違いしたことを思い出して、急激に気が沈んだ。


「もしかして、あまり好きじゃないかい?」

「ううん。友達のことを思い出しただけ」


 しわしわとした赤茶色の果実を常子远チャン・ズーユエンはじっと見つめていたが、ようやく食べることを決心した。小さい一口で、干しなつめをかじる。


「…… おいしい」


 常がそう言うと、麻燕マー・イェンが大きく口を開けて笑った。


「そうだろう? 私は儀仙堂に来たら必ずこれを買うんだ。酒に合うからね」

 干しなつめをかじった後、甕の中の酒をまた飲み始める麻。


「酒の飲みすぎには注意しろ」

 秋一睿チウ・イールイがすかさず忠告するが、分かってるよ、とでもいう風に麻は手を振った。


 そのまましばらく歩いていたが、後ろを歩いていた常のほうを麻が振り向いて、後ろ向きに歩きだした。


「ねえ子远ズーユエン、もしかして君は“厄災を招く子”として幽閉されていたのかい?」

「…… !」


 常は声も出せずに、秋のほうを向いて、助けを求めるようにその瞳を見つめた。


「ああ、そんなに怖がらないで。黄龍殿から聞いた情報から、なんとなく分かっただけだよ。暇そうだから雪雲閣せつうんかくの門下生に着いていけ、なんて他の思惑があるに決まってるからね」


 麻は、酒をあおりながら空いているほうの手を大きく動かした。


 それを見て、今まで喋らなかった秋が短く尋ねた。


「お前は、どの立場だ?」


 常は自分の脈が速くなるのを感じた。常を罵倒し、幽閉した李紹成リ・シャオチァン。常を救おうとして言葉を教えた鄭蔚文チェン・ウェイウェン。常を暗闇から救い出した秋一睿チウ・イールイ。常を利用しようとする棗绍ザオ・シャオ。様々な人間が常子远チャン・ズーユエンに対して各々違う思惑を持っている。


 麻が不敵に笑った。


「私はどうでもいい、かな。厄災が起ころうが何が起ころうが、私ならそれを終結させられる自信がある。でも、泉古嶺洞うちはあまり良く思わないかもね」


 泉古嶺洞せんこれいどうは強さを重んじる門である。門の中で武芸の腕を競い、戦い、一番強い者が青龍となる。数多の門下生を一人残らず打ち負かして青龍となった麻は、反対意見を持つ者たちをその強さで従わせている。


「だろうな」

「門下の半数ほどの人間は、子远きみを殺そうとするかもね。うちの政主も不確定な要素が嫌いだからなあ…… いい顔はしないかもね」


「え……半数? 」

 常が瞬きをしていると、秋がため息をついた。


「あまり変なことを言うな」


「つい揶揄いたくなっちゃって。だって“厄災を招く子”なんて、あんまりお目にかけられないでしょ?」


 おちゃらけた様子で、麻はくるくると踊るように歩いた。


麻燕マー・イェン

 諫めるように、秋が麻の名前を呼ぶ。


「分かった、やりすぎたよ。子远ズーユエン、私はよく人の心を慮ることができないと言われるんだ。直したいと思ってはいるんだけど、なかなか難しくて」


 麻が頭を掻いた。青みがかった黒髪が、さらりと揺れる。


「青龍さんみたいな人でも、変わりたいって思うんだね」

 常は干しなつめをかじりながら、けろりとした様子で聞いた。


「うん! 私はよく悪口を言われるんだ。強さも、性格も、髪や目の色もおかしい。人の子じゃない、ってね。私もなるべく悪口は言われたくないんだ。だから、変わりたい。私の強さも見た目も変えられないけど、性格なら変えられるからね」


 麻は口を大きく開けて笑った。形の良い白い歯が見える。


 常はその様子を見て、冷が麻のことを見ていて気持ちのいい性格だと言っていたことを思い出した。その性格は、たとえ目の前が真っ暗であろうとも、陽が照らすように前向きで明るい。


 それからは穏やかな緑の中を半日ほど黙々と歩み進んで、三人は途中休憩をはさんだりして歩き続けた。


 常は紙馬しまを使えばいいのにと言ったが、紙馬にも休息は必要らしく急いでいる時にしか使えないそうだ。


 退屈を紛らわすためなのか、麻が飛のまじないを利用して飛び跳ねて歩いたりした。しばらくして、陽が傾いてくる。


「あ! もうすぐ着くよ。あれが玄郭のある地だ!」


 麻は遠くに建物が見えてくると一気に元気になって前方を指さした。大方、少なくなった酒を補充できるから元気になったのだろう。



 玄郭げんかくのある土地に入る。玄郭の地は、大きな蔵書殿を囲むように家々が立ち並んでいる。大きな店もほとんどなく、細々と店や宿屋があるくらいだ。


 玄郭げんかくの者は、蔵書殿の管理や書の編纂を行う書部しょぶがほとんどである。妖鬼を払うために戦う者は数少ないのだという。


「玄郭の色は黒、一睿イールイの外套も黒。その外套の色はいつもの事だけれど、歓迎はされないんじゃないか?」


 麻が、秋の黒い外套を見て言った。玄郭を表す色は黒であるのに、秋の外套は白ではなく黒く染まっている。


 玄郭の地に入ってから、人々が秋に注目しているのは常の目にも分かった。外を出歩いている人間はそう多くない。三人が通りを歩くと、秋を見てなのか、人々がひそひそと内緒話をする。それは心地の良いものではなく、常は言いようのない不安を感じるのだった。


「被るのは承知の上だ」


「それならいいけど。妖鬼の血を浴びすぎたから、白い外套が黒く染まった、だっけ? 噂にしては面白いよね」


「違うの?」


 常が尋ねると、秋と麻は頷いた。


「ある程度浴びてはいるが、あれは洗えば取れる汚れではある」

「そうなんだ…………」


 初めてその噂を聞いたとき、かっこいい噂だな、と常は聞いて思った。それなのに、本人から妖鬼の血は洗えば取れると言われて微妙な気持ちになった。


「妖鬼の血で黒く染まるっていうなら、私の外套も今頃黒くなってるさ」


 そう言う麻の外套は、濁りなき青雘せいわくの色に染まっている。


 妖鬼の血が容易に取れる汚れであるのならば、秋が黒い外套を着ているのは他に理由があるということだ。本来は白であるはずの外套がなぜ黒色なのか。常はその理由を聞いていいのか躊躇い、結局口を噤んだ。

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