第7話 原因不明の轟音

 日が頭上高く照らしている中、雪雲閣せつうんかくの軒車と荷車が城歴じょうれきの地にたどり着いた。


白虎である秋一睿チウ・イールイ冷懿ラン・イー、そして門下生数人は軒車に数刻ほど揺られていたのだった。


 城歴は天弥道てんみどう儀仙堂ぎせんどうの近くに存在しており、里が数十ほどある中規模の土地だ。


 常河チャンフーという川を交通の要としており、のどかな風景が広がっている。城歴の情勢は長らく平安であり、物資にも困らず住民たちは朗らかだ。城歴の李氏は雪雲閣せつうんかくほどではないが、多くの戸を統治するほどの力を有していることの現れだろう。


 城歴李氏は常院楼じょういんろうという建物を本拠地としている。常河の澄んだ水を引き入れ、五階まである建物の至る所に流している。その様は、まるで山水が室内にあるようであることで有名だ。


 主である李绍成リ・シャオチァンに常院楼の中を案内される。


 李绍成リ・シャオチァンは栄養価の高い食べ物を食べているのだろうか、恰幅の良い体型であり年齢の割に張りのある肌をしていた。白髪の混じる髪を束ねて布冠を被っている。身に着けている曲裾袍きょくきょほうには刺繍が施されており、高価であるのが後ろを歩く秋の目にも分かった。


 その横を歩く冷や後ろに続く雪雲閣の門下生数名は、引き入れられた水に興味津々のようだ。


「李殿、これはなんとも風流ですね。一年中雪が降り積もる雪雲閣には行えない素晴らしい意匠です」

 冷懿ラン・イーが柔和な笑みを浮かべながら言った。


 忙しくて他の土地へ出向けない政主や、他の土地へ出向けるが口下手な秋に代わり、冷が名代として主に外交を行っている。


 大広間に着くと、皆の席が用意してあり、長机の中央には酒樽が置かれ、その周りには焼いた肉や魚などの料理が置かれていた。


 皆が困惑したように立ち止まっていると、李绍成リ・シャオチァンが席に座るように皆を手で促した。


「まずは本題に入る前に、皆様にくつろいで頂こうと思いまして」


「お気遣いありがとうございます、李殿。しかし、私どもは話し合いを……」

 冷が慌てて言ったが、結局、押し切られる形で皆席へと案内される。


「ほら、遠慮なさらずに座ってください」

 ほどなくして宴が始まった。


 冷は宴の場もそつなくこなせているが、秋は騒がしいのが苦手であり、もちろん宴は好きではない。


 会合だけならば仕事として割り切れるが、仲良くない相手と酒を飲むと往々にして相手は馴れ馴れしく接するようになる。


 そのうえ、李绍成リ・シャオチァンが交易の約束を結んでも居ないのに宴を催すとは予想していなかったので、この後の話し合いが不本意な結果になるのではないかと憂鬱になった。


 とどめとして冷から城歴李氏に対する妙な噂を聞いたこともあり、得体のしれない胸騒ぎがして、噂が気に掛かって心は晴れない。


白虎殿びゃっこどの、食事や酒が進んでいないようですが、料理が口に合いませんか?」

 針で刺すような李氏の視線が秋に注がれている。


「……いえ。とても美味しく頂いています」

 普段なら言わないような気づかいの言葉を口に出し、秋は誤魔化すように酒をあおった。


 食事は雪雲閣の地方の濃くて塩辛い味付けに寄せてあったため、口に合わないということはなかった。常河チャンフーで取れたという魚も新鮮で、焼いただけであるのに格別の味わいであった。酒も水の有名な地方であるからか、質の良いものだ。


 しかし、秋が宴に集中しようとしても、城歴李氏の噂が頭の中から振り払えなかった。


 今まで雪雲閣は城歴の地と細々と交易を行うにとどまっていた。だが、雪雲閣への物資の供給を安定させるために、より堅固な交易を行いたいという政主の考えから行われることになった重要な話し合いであるというのに。


「そろそろ本題に入りましょうか、李殿――」


 冷がしびれを切らして交易についての話を持ちかけようとした。

 

 その時、爆発音のような何かが崩れるような、けたたましい轟音が常院楼じょういんろうを包んだ。


「何事だ!?」

 人々はざわめき、困惑の感情が顔に現れていた。


 秋は床に置いていた剣を手に取って立ち上がり、すぐさま音のあった方向へ走り出した。

 異変をこの目で確かめに行くためである。このとき、この場から一刻も早く離れたいという心も無いではなかった。


白虎殿びゃっこどの! どこへ向かうのですか、危ないですよ!」

 焦った冷の言葉は、秋には届いていない。素早く常院楼の大広間を出て、水の流れている複雑な形の通路を抜ける。


 黒い外套をはためかせて走りながら、秋は考えていた。


 轟音が起こった時、彼は瞬時に李氏の表情を読み取っていたのだ。部下だけでなく李紹成でさえも、困惑し驚いた表情を見せていた。


この轟音は、李氏も知らないものだ。


 李氏が知らないならば、ただの災害か、事故か。


 それとも、李氏ではない誰かの仕業なのか。


 慌てふためいている人々の表情とはちがう、静かな水面のように凪いだ表情をしている者を探す。誰かの仕業なら、そのような人間がいるはずだ、と秋は判断した。


 人が次々に逃げてくる。凪いだ表情をした人間はこの中にも居ない。


 人々が逃げてくる方向に音の原因があるのではないかと思い、秋は常院楼の通路の先へ向かう。


 常院楼の奥の奥、人の気配すらもなくなっていく場所に下の階への通路があった。


 物陰にひっそりと存在する階段はまるで人の目から隠されているようで、目の良い秋でさえも見逃しかけたほどだ。踏み固められただけの土でできた階段は湿っており、いつ崩れてもおかしくない。


 下りると一本の線のような通路があり、通路は荷車が難なく通れるくらいの十分な広さであった。通路は暗くて先がほとんどなにも見えず、かろうじて左右にいくつかの部屋があることと、奥には比較的大きな空間があろうことが分かった。かすかに水のしたたる音がしており、何か肉が腐ったような変な臭いがして、秋は顔をしかめた。


 奥に向かって歩いて行くと、先程の音の原因であろうか、木材の破片やらが足下に散らばっていた。


 その木材は、通路の一番奥正面の部屋に付けられた格子状の柱だったものだと次第に分かった。


 柱のうち数本が折れて、人が出入りできそうな大きさの空間ができている。格子の中には薄い布が掛けられており、部屋の中はよく見えない。


 部屋の前には人が二人倒れており、短衣たんい袴褶こしゅうという服装からして見張りだろう。


 部屋の外に付けられた格子状の柱、そして見張りが二人。


 その情報から、この場所は牢であるのではないかと秋は推測した。


 剣を構え暗い部屋の中に入り目をこらすと、そこには人影があった。

 さっきの音で崩れたであろう壁や物の破片や埃が舞っている。


「お前は――」


 秋はせき込みながらも人影に語りかけて近づいていく。


 秋より一回り、いや二回りほど小さい輪郭の人間が暗闇に立っている。

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