第48話 先代白虎

 楽しい話をしようと、麻燕マー・イェン常子远チャン・ズーユエンに問いかける。


子远ズーユエン玄郭げんかくで見たい所はある? せっかく来たのなら、いろんなところを見に行かないとね! まあ、玄郭は蔵書殿くらいしか見るとこ無いけど」


 常子远チャン・ズーユエン麻燕マー・イェンの大きな翠玉の瞳が見つめた。曇りのない、綺麗な丸だ。


「えっと…… 」

 常子远チャン・ズーユエン棗绍ザオ・シャオに命令された、”厄災を招く子”に関する書物を読む、という目的しか頭になかったため、少し考える時間が要った。


「僕は外を見て回るだけで、すごく楽しいよ」


 実際、雪雲閣せつうんかくでも儀仙堂ぎせんどうでも、話に聞いていただけの外の世界を見て回るのは、常子远チャン・ズーユエンにとって大きな刺激となっていた。


 道端に生えている雑草も、悠々と流れる大河も、まぶしすぎる陽の光も、焼いた肉に温かい湯、瑞々しくて甘い果物も。


 それだけでなく、怪しい妖鬼に、門下生たちの巧みな剣裁き、沢山煙が出る変な香炉でさえも。


「そうか」

 嬉しそうに物事を思い出す常を見て、秋一睿チウ・イールイが穏やかな笑みを湛えていた。


「わ! そんな風に笑う一睿イールイを見たのは久しぶりだ!」

 麻は大きく口を開けて驚いた。


「…… そんなことは無いだろう。これが普通だが」


 秋一睿チウ・イールイはすぐに元の厳しげな表情に戻った。


「いやいや、君の師匠が居なくなってから、ずっと気を張り詰めていただろう。白虎としての振る舞いだとか、門下生たちの統率を、とか言ってさ。一日中厳しい顔をして、眉間に皺ができるようになってしまって」


 秋一睿チウ・イールイは麻の言葉を聞いて、何度か瞬きをした。


「お前から見た私はそんな風だったのか?」


「そうだよ! 白虎になってから一緒に遊んでくれなくなったじゃないか、妖鬼退治も、怪しい集団を尾行するのも、秘境に眠る法宝探しも!」


 拳を握りしめて、麻は心底悔しそうに言い、甕から直接酒を飲みはじめた。


「あのときは白虎として必死で、お前もすぐに青龍になったから忙しいかと思って…… 」


「遊んでくれないから暇すぎて妖鬼退治やら剣術の修行をしてたら、気づいた時には門下生全員に剣術で勝っちゃって青龍になってたんだよ! なりたくてなったんじゃない! 青龍って仕事も多いしさ…… 」


 手足をばたつかせる麻に、秋は困惑したように再度瞬きをして目を伏せた。


「…… その言葉、青龍になりたい門下生が聞いたら怒髪天を突きそうだが」


 泉古嶺洞せんこれいどうは全ての勢力の中で門下生が一番多く、青龍になりたくてもなれない人間は沢山いる。普通に修行していたら強くなってしまった、などと聞けば、最悪命を狙われるだろう。


「だろうね! 前に言ったら睨まれたよ」

 大きな声で笑う麻。


 それには構わずに、常がつぶやいた。


「妖鬼退治、怪しい集団の尾行、秘境に眠る法宝探し…… !」


 秋と麻の二人がその言葉に顔を見合わせ、常を見ると、いつになく目を輝かせている少年の姿がそこにはあった。


「お、興味あるかい?」


「止めておけ。興味あると言ったら最後、こいつは本気で危険な場所に行くぞ」

「話だけでも聞きたい…… !」


 常がそう呟いた瞬間、麻は間髪いれずに話し出した。


「じゃあまずは、私が雪雲閣せつうんかくにお世話になっていた頃の話をしようかな!」


「他門での修行のとき?」

 ザオ兄妹が言っていたことを思い出した常が尋ねた。麻は大きく開いた丸い目を常に向けた。


「お、よく知ってるね! そうだよ、私は一時期雪雲閣せつうんかくで修行していたんだ。初めて来たときには驚いたよ。緑が多い泉古嶺洞せんこれいどうとは違って寒くて、見渡す限り白い山だったからね。自分が死んだのかと思ったくらいだ」


「それは言い過ぎだろう」

 大人しく酒を飲んでいた秋が口をはさんだ。


「いやいや、白虎は死を連想させる。当時の白虎は優しい人だったけど、私には怖かったよ」

「…… 師父が?」

 秋が不思議そうに聞き返した。


「そう、君の大好きな師の一人、季宗晨ジー・ゾンチェンのほうだね」


 麻は甕の中の酒を一飲みしてから、秋を指さした。


「どんな人? 怖い人なの?」

 目を輝かせて常が二人に聞いた。今日の常はいつになく好奇心旺盛だ。秋が常の前で自身の師匠の話をすることは今までなかったからである。


「怖くはない」

「とても強い人だったよ、今の私と同じくらいかもね!」


 麻が嬉しそうに言ったが、常は麻が戦っているのを見たことがないため、よくわからなかった。首を傾げている常には気づかずに、麻が言葉を続ける。


「通常師匠は一人だけど、一睿イールイにはいろいろあって二人師匠がいるんだ」

 麻の説明を補完するように、秋が口を開く。


「師父が破門になったため、今の政主である沙渙シャー・フアンの弟子になった。元々は、私は政主の孫弟子だった」


「そういえば、冷懿ラン・イーくんも元々は季宗晨ジー・ゾンチェンの弟子だね。冷懿ラン・イーくん……あの子も何でもよくできる子だよね」


 麻の言葉に、秋が頷いた。


「冷師兄もその人の弟子なの? 僕、大会で師兄が妖鬼と戦うところを見たんだ。とってもすごかったよ」


 常は、冷の戦う姿を思い出して言った。竹と竹を渡り、剣を使う姿は優美でありつつも、すばやく妖鬼を倒す実力も兼ね備えていた。


「そりゃ冷懿ラン・イーくんは一睿イールイと並ぶほどの剣の実力だからね! おっと、話がそれてしまった。じゃあ昔話を始めよう。雪雲閣で修行していたときに、山で仙女のごとく綺麗な人に出会った話をしようか―― 」

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