第78話 朱色の紙鳥

「大変です! 政主様、空に大きな陣のようなものが現れています!」


 偵察を行っていた天弥道てんみどう三の班の者が、四合院の中庭で待機していた顾奕グー・イーの元へ戻ってきて報告した。


「大きな陣か……皆には、陣に近づかないように伝えなさい」


 呪部を置いていない天弥道では、方術に詳しい者がほとんどいない。顾奕グー・イー自身も例外ではなく、陣についての対処法について安易に命令できない。顾奕グー・イーは門下生たちが危機に直面しているというのに何もできず、珍しく悔しそうに歯を噛みしめた。


 その報告からそう時間の経たないうちに、空を覆い尽くすほどの大量の朱色の紙鳥が中庭に飛んでくる。それらは皆目の部分に穴が開いていた。つまり、何人もの天弥道の門下生たちが”自分たちでは敵わない相手が現れたと感じている”ことを表している。


「まずいね、悪い事態が立て続けに起こっている。かくなる上は……」


 顾奕グー・イーが呟いた、その時だった。四合院の裏手から人の叫び声がした。


「政主様、逃げてください!」


それからすぐに、剣が使える書部の者が数名、中庭に転がるようにして逃げてきた。それを追うようにして、腐臭とともに動く死体や鬼がぞろぞろと入ってくる。


「なぜ、建物の中まで動く死体が入ってきているんだ!?」

「まずいね、妖鬼避けの陣が解けたのかもしれない」


 思いがけない事態に門下生が混乱して、頭を抱える者や逃げ惑う者が出てきた。剣を手にしている書部たちも、急な実戦に不安な様子だ。


 顾奕グー・イーは他の者たちを落ち着かせるために、使うことができない右手とは逆の手に剣を持ち、決して大きな声ではなかったが皆に語りかけた。


「私も戦うよ。皆が戦っているというのに、私だけが逃げるわけにはいかない」


 門下生も書部も、政主が剣を持つのを今まで見たことがなかった。門下生たちにざわめきが広がる。


「政主様!?」

「……政主様も戦おうとしているのに、我らが戦わずしてどうする!」


 顾奕グー・イーの言葉により、門下生と書部たちの心に火がついたようだ。逃げようとしていた者たちは立ち止まり、妖鬼に対して剣や弓を向ける。


 実は顾奕グー・イーも内心今までにないほど緊張しており、剣を持つ手は震えていた。実戦は十年ぶりで、十年前とは違い左手しか使えない。それでも、剣を握り直して駆け出し、妖鬼を斬り始めた。


 士気が上がったことにより、大方の妖鬼は門下生と書部により倒された。だが、動く死体たちはしぶといようで、腕を斬られても、足を斬られて体勢を崩しても、何食わぬ顔で襲ってくる。


「こいつら、何で倒れないんだ……!」


 書部たちにも疲れが見えてきた。実戦経験が少ない者たちだけでは、あとどれだけもつか分からない。応援が来るのかさえも分からない。動く死体を倒せば、ひとまずこの苦難の波は乗り切れるというのに。


 顾奕グー・イーが頬を滴る汗を拭い、次の一手を考えながら息を吐いたそのとき、白い閃光に灼かれたように目の前の死体が一刀両断された。一瞬、何が起こっているのか理解ができないほどの素早い太刀筋だった。


「おお……! この鮮やかな太刀筋はまさか」


 天弥道の古参門下生の一人が、感嘆の息を漏らした。その奥から現れたのは、灰色の髪に雪雲閣の白い衣を着た、冷懿ラン・イーだった。


「雪雲閣、冷懿ラン・イー。天弥道との同盟により、門下生二十名、呪部五名と共に馳せ参じました!」


 ぱっとその場が明るくなるような少し高めの冷懿ラン・イーの声が響いた。


小冷シャオラン! 来てくれたんだね!」


「はい、妖鬼除けの陣が解けかかっていたため、呪部の者たちにもう一度強固な陣を敷いてもらっています! 皆さん、動く死体を倒すためには、身体の前に貼られている霊符を斬ってください!」


 冷懿ラン・イーは雪雲閣の者たちに手際よく指示を出した。門下生たちが腐臭に顔を顰めながら、死体たちを全て銀糸で拘束し、動く死体に張られている霊符をはがして無力化する作業を始めた。雪雲閣呪部により、妖鬼避けのまじないの再構築も行われている。


「恩に着るよ、小冷シャオラン。君が来てくれて助かった。雪雲閣と二重に同盟を結んで良かったよ」


 冷が到着してから、皆が安堵して場が明るくなったことを顾奕グー・イーは感じていた。冷に天弥道に来てほしいと思ったが、それは心の中にとどめておいた。


「感謝の言葉なら、黄龍殿におっしゃってください。ですが、まだ終わっていません。外の陣をどうにかしないと」


 そう言って、冷は空に浮かんでいる紫色の炎でできた陣を見上げた。

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