第82話 人を分かつ

「それで常子远チャン・ズーユエン、俺は何を手伝えばいい?」


 棗愈ザオ・ユィーは空に立ち上っている紫色の炎を手で示した。常子远チャン・ズーユエンは広い場所に歩み出て、地面に腰を下ろした。


「僕は今から陣を描く。そのあいだ、僕に近寄ってくる妖鬼を君に討伐してほしいんだ」

「承知した。ではその前に、”お兄さん”とやらに見つからないよう霊符を貼っておくか」


 棗愈ザオ・ユィー人の目を避ける霊符を地面に張り、季宗晨ジー・ゾンチェンに気づかれないようにする。

 その霊符の貼られた中で、常子远チャン・ズーユエンは自らの身長ほどもある直径の陣を木の棒を使って描いていく。

 妖鬼を斬っている棗愈ザオ・ユィーが、剣を振りながら叫んだ。


常子远チャン・ズーユエン! これはいつまで続ければいいんだ!?」

「……僕が描き終わるまで!」


 近くの妖鬼は大方討伐したはずだが、常に吸い寄せられてきたのか思ったより数が多い。人使いの荒い常子远チャン・ズーユエンの返答に、棗愈ザオ・ユィーは頬の汗を片手で拭いながら、ふ、と口元を歪めるように笑った。


「俺をこのように使うのは、お前だけだぞ!」

「そりゃあ友だからね! ……よし、あとは目を描くだけ!」


 それは、今まで書いたものよりも大きな巴蛇はだの陣だった。棗愈ザオ・ユィーが陣をのぞき込む。


「大会で描いていた陣か。いいのか? それは禁術だろうが」


「これは、僕がお兄さんを止めるためにできる唯一のすべだ。僕はここにいる人を守るために陣を描くんだ。罰せられようと、構わない」


 常は覚悟を決めた目をしている。夜の底のような暗さでいて、強さも持ち合わせている。


「そうか。……お前は、すごいな」

「すごくないよ。ただ、僕は後悔したくないだけだ。あの時のように」


 巴蛇はだの目の部分を描き終えると、常はおもむろに立ち上がって、目をとじた。


「聞こえている、暁片?」


 暁片の妖を呼ぶ。瞼の奥に、崩れかかった朱色の漆塗りの建物が一瞬だけ見えた。


「ああ、貴様の声はずっと聞こえているし、見えてもいるぞ」

「ねえ、暁片。僕に力を貸してくれるって前に言ったこと、覚えてる? お兄さんを止めるには、僕が陣を描くだけでは駄目なんだ」


 暁片の妖がくつくつと笑い出した。声だけでも上機嫌であることが分かる。


「はは、貴様の意図が分かったぞ。暁片わたしを使うのだろう……! よかろう、我が力をもって、止めてみせろ! 姬陶ジー・タオの子孫よ」


 ほどなくして、巴蛇の目の部分から炎が現れた。姬陶ジー・タオが王を殺した際に放った火を思わせる。陣の線をなぞるように、ゆっくりと着実に赤い炎が広がっていく。やがて陣の全てに炎が重なると、勢いが一層強くなった。


 大きな風が巻き起こり、目を開けていられないほどだ。人の目を避ける霊符が舞い上がり、炎の中に消えて灰塵となった。


 季宗晨ジー・ゾンチェンを止めるために銀糸を紡ごうとしていた秋一睿チウ・イールイであったが、霊符が燃えたことにより、常の姿に気づいて叫んだ。


「なぜ常子远チャン・ズーユエンがここにいる、逃げたのではないのか!? それは巴蛇の陣か……お前、何を……!」


「師兄、僕がお兄さんを止める」


 巴蛇の陣に赤い炎は天へと上り、紫色の炎を侵食していくように広がる。季宗晨ジー・ゾンチェンは、常が何をしようとしているのか悟ったらしく、不敵に笑った。


チャン子远ズーユエン……! まさか君が私を止めようとするなんて……!」


「……この陣はお兄さんが僕に与えたものだよ。そして、僕は“厄災を招く子”だった。こうなるのって天命なのかな? でもね、お兄さんの起こしたことも、十年前の戦も、常院楼で李紹成リ・シャオチァンがやったことも、僕の先祖が起こしたことも、厄災だと思いたくない。あったのは天の意思ではなく、人の意思だ」


 常は季宗晨ジー・ゾンチェンを見つめて、静かに言い放った。常の目には赤い炎が映りこんでいる。季は急に冷めたような表情になり、地面に視線を落とした。


「……仕方ない、仕方ないね。では、贄を殺して、十年前の復讐を終わらせよう」


 赤い炎に完全に侵食されてしまう前に、季は陣の贄となっている人間たちへ雷を落とし、殺した。あっけないものだった。


 そしてただ一人、紫色の炎を纏い季宗晨ジー・ゾンチェンが立つ。袖から血がぼたぼたと落ちる。十人を贄とする陣を一人で背負っているのだ。


「師父! もうやめてください! これで十年前の復讐は終わったはずでしょう!」


 季へと手を伸ばしながら、秋一睿チウ・イールイが叫ぶ。一瞬強い光が皆を照らした後、辺りに雷鳴が轟いた。赤い炎により侵食されかかっていた雷の陣が、贄を得て元の紫色の炎へと戻っていく。


「まだだよ。自分への復讐がまだだ」


 痛みを感じない季宗晨ジー・ゾンチェンは、自分の身体が壊れようがどうでもよかった。


 そして、季の近くにのみ配置されていたらしい香炉から、人と人を分かつ煙が立ち上りはじめた。煙は、季を取り巻くように白い渦となり、誰からも見えなくなった。



「あの人は、本当にどうしようもない人だ!」


 季宗晨ジー・ゾンチェンは人と人とを分断する煙の出る香炉を使い、常や秋、その他全ての人間が季に近づけないようにしてしまった。


「暁片、これを突破する術はない?」

「いや、これがどういう仕組みか知らぬことには、私にも無理だろうよ」


 もし暁片の妖が人の貌をとっていたならば、かぶりを振っていただろう。香炉に使われている符は暁片の妖であっても見たことのないもので、解読するのに時間を要するだろう。紫色の炎が勢いを取り戻したことで、常の描いた陣も消えてしまった。


「それでも、お兄さんのところに行かなきゃ」


 ふらふらと、吸い寄せられるように常が歩く。 秋一睿チウ・イールイも何も言わずに、ためらいなく煙の中に消える。


 「おい、常子远チャン・ズーユエン! 離れると危ないだろうが!」


 二人を棗愈ザオ・ユィーが追いかけて、煙の中へと入っていく。


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