第36話 人食い妖鬼現る

 棗绍ザオ・シャオによる大会二日目開始の合図が宣言された。


 常子远チャン・ズーユエンは昨日と同じく冷懿ラン・イーについていくこととしたが、今日は秋一睿チウ・イールイも同行することとなった。雪雲閣せつうんかくの他の門下生たちと別れた三人は、静かな竹林を歩いて行く。


「妖鬼は昨日で大方刈り尽くされた。私を阻もうとする者もほとんどいないだろう、彼らのもくろみ通りに私の成績は落ちたしな」


 秋一睿チウ・イールイは二人に対してそう言ったが、大会の成績については特に気にしていないようだった。成績どころか大会すらも興味の無い様子で、妖の宿った剣の切れ味を山で試そうとしているらしい。大事そうに剣を包んだ布を斜めに身体に縛り付けている。


白虎殿びゃっこどのが共にいれば、百人力ですから有り難いです。でも、残っている妖鬼もちゃんと討伐してくださいね。雪雲閣せつうんかくの面目もありますから」


 昨日大会中に常子远チャン・ズーユエンとはぐれたことを気にしているのか、冷懿ラン・イーは少し自信なさげであるが秋への忠告も忘れない。人々を率いる立場ではない自分が、白虎と並ぶ成績であってはならないと思っているのだ。


「そうだな。これは大会が終わってから試そう」

「今試すつもりだったんですか!?」


 冷が驚いて大きな声を出すと、秋は当然だとでも言うように不思議そうに首を傾げた。


 その時だった。


 いままで聞いたこともない大きさの、地響きのような衝撃が玉剣山ユィージェンシャンに響き渡ったのである。


 三人の目の前にある山の一部が動いたと思えば、波打つように地面が盛り上がった。


 何本もの竹が倒れて降りかかってくる。草木が地面から剥がれる音と咆哮のような音が辺りには響き渡り、人間の三倍以上もある生き物の形をとった。身体には草木が生い茂り、苔が生え、動く度に岩石が転がり落ちる。


 それはまさしく、人を食う妖鬼のしゅである。玉剣山ユィージェンシャンで人を食い荒らして儀仙堂ぎせんどうの人々を悩ませている存在であり、棗绍ザオ・シャオによって邪魅じゃみではないかと予想されていた、あの妖鬼だ。


 先程まで澄んでいた気が漂っていた辺りには禍々しい気があふれ、黒い雲がたちまち空を隠して雷光が轟く。常子远チャン・ズーユエンは悪しき”気”に当てられて、立っているのもやっとだ。


 ひとたび妖鬼が咆哮した。すると地面が盛り上がっていき、三人のいる方向に向かって一直線に進んでくる。


「まさか、常子远チャン・ズーユエンを狙っているのか…… !」


 秋一睿チウ・イールイはとっさに常の首根っこを掴んで横に飛んだ。間一髪のところで地面がせり上がっていく。冷懿ラン・イーは逆方向に飛んだため、崖のように盛り上がった土に分断されてしまった。


「師兄、私は大丈夫です! 二人は逃げてください!」


 冷の声が聞こえた。いつもの白虎殿びゃっこどのではなく、師兄と呼ばれたことによって秋は口角を少しあげて、折りたたまれた一切れの紙を取り出した。息を吹きかけると紙は独りでに広がっていき、白い馬の形となった。呪部じゅぶ謹製の紙馬しまである。


黄龍殿こうりゅうどののところまで」


 秋は紙馬しまに命じた。そして常を両手で抱えて紙馬に乗せると、紙馬はすぐに妖鬼とは逆方向に走り出した。


「師兄は行かないの!?」

「ああ、此処で食い止める」


 常を追うようにして人食い妖鬼が動き出すので、秋は背負っていた妖が取り憑いた剣を取り出して、すぐに構えた。


「力を貸せ、名も無き剣よ」


 その剣は折れているはずであるのに、刃は鋭く、陽光の如くきらめいている。血の気の多い妖が取り憑いているらしく、うずうずと妖鬼を斬りたがるように震える。


「行くぞ」


 秋一睿チウ・イールイが地面を蹴り剣を振ると、人とは思えない距離を飛んだ。秋自身の跳躍力だけでなく履き物に施された”飛”のまじないによるものだ。秋は妖鬼の肩にふわりと着地すると、すかさず”梅花雪落ばいかせつらく”の構えをとった。


 白虎殿、という冷懿ラン・イーの慌てた声が秋の耳に聞こえる。先程逃げてくださいと言ったのに何してるんですか、とでも言いたげな声色だ。


 蔦が絡みついた妖鬼の腕が、虫を追い払うように秋一睿チウ・イールイに迫り来る。また戻ったら冷に小言を言われてしまうだろうな、と秋は思いながら、身体を回転させて妖鬼の腕を躱した。


 そして躱す勢いを利用し、円を描くように秋は折れた剣を振った。


 妖鬼の腕に刃が触れる。その時、秋には剣の折れた先が出現したように見えた。それは腕を飲みこむようにして剣が大きくなったようでもあった。妖の力なのか、やけに斬ったときの感触も軽い。


 妖鬼の腕に細かいひびが入ったと思えば、ぐるりと一回りするように太い線が走り、滑らかな断面で断ち切られていく。それは、柔らかな玉の加工に失敗した時に似ている。


 輪切りになった腕が地面に落ちていく。その様子はやけに緩慢であり、時間が経つのが遅くなったのかとさえ思えるほどであった。


 そして、腕を切られたからか、妖鬼から天を衝くような咆哮が発せられる。折れた剣も共鳴するように震え、耳をつんざくような大きな音に秋は顔を顰めた。


 咆哮と同時に地面が盛り上がり、鋭い雷は地面に落ちる。木々は揺れ、動物はすでに逃げたあとで、集まってくるのは門下生たちと討伐から生き残った妖鬼たちだけだ。


 門下生の中には、先程の妖鬼の咆哮に当てられて、頭を押さえている者も、倒れている者さえも居る。死屍累々になる前に、白虎である秋は門下生たちを逃がすことを優先しなければならない。


 なんとしてでも目の前の妖鬼の動きを止めなければ。


「……常子远チャン・ズーユエンは無事に逃げられただろうか」


 秋一睿チウ・イールイは誰に言うでもなく、妖鬼の肩の上で呟いた。

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