第37話 思わぬ再会

 秋一睿チウ・イールイ冷懿ラン・イーが人を食う妖鬼と戦っている頃、常子远チャン・ズーユエンは山を駆ける紙馬しまの首にしがみついていた。


 紙であるのにもかかわらず、紙馬しまは小雨の降る山中を信じられない速さで走っていく。草をかき分けるようにして、道なき道を真っ白な線が引かれるように。


 常子远チャン・ズーユエンはあまりの速さのために目を瞑っていたが、紙馬しまが急に走るのを止めたため、恐る恐る目を開けた。


「どうしたんだろう」


 紙馬しまをよく観察してみたが、全く動く気配がない。しかし、ここは山の中であり棗绍ザオ・シャオの元に到着したようには見えなかった。


「おーい、動いてよ」


 紙馬しまの首を軽く叩いても、薄っぺらい音が鳴るだけだ。常子远チャン・ズーユエンは困り果ててしまったが、墨で描かれた紙馬の瞳が一点を見つめていることに気づいた。


「もしかして、何かを見ているの…… ?」


 紙馬の見つめる先を常子远チャン・ズーユエンも見てみるが、そこには雷雲で覆われた灰色の空と揺れる木々があるだけだ。さらに常は木々と草木に覆われた闇に目をこらしてみる。


「あれ…… ?」


 今、一瞬何かが光ったように見えたのだ。常は目をこすって、もう一度その場所を見てみることにした。


「誰かいるの?」


 木々に向かって話しかけてみるが、返事はない。やっぱり何もないのか、と常が諦めかけたときに声がした。


「…… 紙馬しまが濡れてしまうから、こちらにおいで」


 声が聞こえると同時に、今まで動こうともしなかった紙馬がゆっくりと動き出した。それを追うようにして歩く常。


「……誰?」


 雨の届かない木陰は暗くて誰なのかよく見えなかったが、近づくにつれどんな服を着ているのかは分かった。布で顔を覆い、闇に溶けるような黒に近い濃茶色の直裾袍ちょくきょほうを着ている。顔を覆うように布を着けているので表情は分からない。青みがかった黒髪をしていることだけが分かった。


 紙馬を撫でる手が優しい。心なしか、紙馬が懐いているようにも見える。


「君と直接話すつもりは無かったのだけれど、この子が立ち止まってしまったから仕方がない。ごめんね、先を急いでいる最中だろうに」


 常はその滑らかな声に聞き覚えがあった。


「もしかして、陣を教えてくれたお兄さん?」


 顔は見えなくとも、なんとなくそうだと思ったのだった。


「…… よく分かったね。変装したつもりだったけれど、意味が無かったかな」


 顔を覆っている布を”彼”が手で退けると、丸く赤い瞳が常を見つめていた。


「どうだい、外の世界に出た感想は? 君の目にはどう映る?」


 ”彼”は常子远チャン・ズーユエンに対して問いかけた。


「光が眩しい、色がたくさんある、いろんな人がいる。知らないことばかりだよ」


「それは良かった。雪雲閣せつうんかくで上手くやっているみたいだね」


 常の着ている雪雲閣せつうんかくの装いを見て”彼”が言った。淡く微笑んだ後、顔を覆う布を戻した。

 常は、目の前の人物に聞きたいことがあるのを思い出した。


「うん、皆優しいんだ。…… ねえ、お兄さん」


「なんだい?」


 常は、意を決して聞いた。棗愈ザオ・ユィーから言われた言葉についてだ。


「お兄さんから教えてもらった陣を使ったら、邪道の禁術だって言われたんだ。そうなの?」


 常の問いかけに、" 彼" は紙馬を撫でるのを止めて、常に向き直った。


「ごめんね、言わなかった私が悪かったんだ。外でも使うことになると思っていなかったから」


 " 彼" の顔は布で覆われているため、表情は読めない。


 木々が揺れる。外の小雨は相変わらず降っていて、常には現実が遠のいていく気がした。


「―― 前に、私には名乗るべき名はもう無いと言っただろう? それはね、私は禁術きんじゅつを使って人を殺してしまったからだ」

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