第四章 蔵書殿の書簡

第44話 玄郭への道

「ようし、出発するぞ!」


 麻燕マー・イェンが酒を片手に、儀仙堂ぎせんどうから続く一本道を元気に歩き出した。その後に、秋一睿チウ・イールイ常子远チャン・ズーユエンが続く。儀仙堂に来る際にも通った、露店が両脇に並んでいて活気のある広い通路だ。


 麻燕マー・イェンは酒のかめから直飲みしては、露店を冷やかしている。麻燕マー・イェンには手に持っている酒以外には剣くらいしか荷物がなくて身軽そうだ。


 大会前に歩いたときには政主や他の門下生たちもいたため店を見て回ることはできなかったが、今は三人だけで歩いている。露店に興味津々な常子远チャン・ズーユエンは、麻燕マー・イェンについていって様々な店を見て回った。


「これは何?」

「揚げた魚を売っている店だね。食べたいなら買おうか?」


「あれは何?」

「玉の飾り物を売っている店だね」


 儀仙堂ぎせんどうの人々の間でも青龍や白虎は有名らしく、麻と秋の着ている外套を見て、声をかけてきては物をくれたり、売り物を売りつけたりしようとしてくる。麻は軽くあしらいつつ、もらえる物はもらっているが、秋一睿チウ・イールイは何も言わず、鋭い目つきで人々を見つめるだけだ。話しかけてきた者は困惑するか、怖がって店へ戻っていく。


 意気揚々と歩いていた麻に向かって、無口だった秋一睿チウ・イールイが声をかけた。


「少し見たい店がある」

「へえ、屋台に興味のない君にしては珍しいね!」


 くるりと麻が振り向いた。麻のくくった長い髪も円を描く。

 そのとき、大きな声が道に響いた。


「法宝にも勝る代物、沢山の煙を出す世にも不思議な香炉ですよ!」


 秋が立ち止まったのは、その大きな声がした露店だった。香炉を売っている店のようだ。いや、今は煙で包まれて、店なのかすらもよく見えない。白い煙の中であっても、店主だろう男のよく通る低めの声が道に響きわたっている。


「これでは何も見えないな!」

 視界が真っ白になる中、からからと笑う麻の声がはっきりと常子远チャン・ズーユエンには聞こえた。


 少し経つと、煙が少し晴れてきて何を売っているのかが見えるようになってきた。青銅でできている香炉がずらりと並んでおり、壮観だ。動物の姿をかたどった香炉や、透かし彫りになった香炉もある。露店にぶら下がっている布には、煙を出す香炉が描かれている。常子远チャン・ズーユエンは、確か儀仙堂に向かう際に歩いた時にもこの露店があったのを思い出した。


 麻は店主の目の前であるにもかかわらず、店を悪気無く爽やかにけなした。


「とっても怪しい屋台だね! 煙の出る量が尋常じゃない!」

「怪しいのは事実だな」


 秋と麻の言葉が聞こえたのか、店主は一瞬怪訝な顔をしたが、商売人の笑顔に戻り三人に声をかけた。


「すごいでしょう、世にも珍しい代物ですよ。お一つ土産にでもどうですか?」


 麻がにこやかに答える。

「いやあ見事ですね、おじさん! 先ほどの煙で前が見えなくて、思わず人にぶつかってしまいそう!」


「それは、目を凝らして避けてもらうしかないですね。これなんか、お客さんにお似合いの代物ですよ」


 麻に龍をかたどった香炉をお勧めする店主。


「面白い香炉ですね。龍の口から煙が出るなんて! その横に置いてある香炉も美しい。昨日、私が山で拾った香炉にそっくりで―― 」


 そして、並んでいる香炉を指さしたまま、言葉を忘れてしまったのかと思うほど、麻は口を開けて固まってしまった。まるで時間が止まってしまったように。


「…… 青龍さん?」


 常が心配して麻の顔を下から覗き込むと、予想とは反して、きらきらとした目をしているのが見えた。間髪入れず、興味津々な表情をしながら秋のほうを向いた。


「そういうことか、一睿イールイ子远ズーユエン!  この煙の出る香炉を使えば、玉剣山ユィージェンシャンで霧を発生させることができるはずだ! だから一睿イールイはこの店を見たかったのだろう?」


 麻の言葉に頷いて、秋は麻が拾ってきた香炉を取り出した。


「そうだ。この香炉は、この店の香炉と似ている」


 秋が二つの香炉を並べて見てみると、店のものと瓜二つだ。大きさも手のひらで包めるほどで、四つ足が付いている。


「店主。玉剣山ユィージェンシャンにあった香炉とこの店の香炉。関係があるのではないか? この店で買われたものか、作った人間が一緒なのか」


 秋が店主の顔をじっと見つめると、店主は慌てた様子で店をたたみはじめた。


「いやいや、あなた達の持っていた香炉がうちの店かどうかなんてどうでもいいでしょう…… !」


 店主が店をたたむのを秋は黙って見つめていたが、とどめを刺すようにこう言った。


「この売り物になっている煙の出る香炉、霊符で煙を増幅させているだろう? 呪部ではない一般人は霊符を作ることは不可能だ。門外には方法が秘匿されているのだから」


 店主はその言葉を聞いて、体をびくつかせた。


「どういうこと?」


 常が首を傾げていると、麻が店主を指さした。


「つまり、このおじさんに呪部の技術をこっそり教えた人がいるってことさ!」


 秋が補足するように常に話しかけた。


「もしくは、呪部の技術を持った人間がこの香炉を作り、店主に横流ししたか、だな。どちらにしろ、門外不出の技術を使った香炉だというわけだ」


 三人に見つめられて、店を畳んだ店主は逃げるように走り出したが、麻が手を掴んでいたので、逃げられなかった。青銅の香炉が入った箱にぶつかり、大きな音をたてる。その金属音に周りの人々も気づいたのか、どこからともなく見物人が集まりだした。


「なんだなんだ、騒ぎか? 喧嘩か?」

「盗みかもしれないぞ、やっつけろ!」


 見物人が次々と集まりだして、いよいよ店主が慌てふためいた。


「ち、違いますよ! 私はただ、面白い商品があるから売ってみないかと言われただけで…… !」


「誰に言われた?」


 秋が、鋭く聞き返した。もう少しで、剣を抜きそうなほどの勢いだ。


「知らない人でしたよ! 役人のような見た目でしたし、怪しい風貌でもなかったから…… こんな怪しいものだとは思わなかったんです!」


 麻がため息をついて、店主の腕を掴んでいた手を離した。


「なーんだ、つまんないね。玉剣山に出た霧の正体がわかるかと思ったのに」


「とりあえず判部はんぶにでも連れていくか」


 麻が店主の腕から手を放したのをいいことに一目散に逃げはじめる店主。


「あっ! 逃げちゃうよ!」


 常がそう叫んだ途端、店主はどこからともなく飛んできた銀色の糸に絡まるようにして倒れこんだ。


 秋の手から伸びた銀の糸が店主を拘束したのだ。店主は根っからの悪人ではなさそうだが小物らしく、逃げだそうと藻掻もがいている。


「お見事だね!」


 麻が銀の糸で拘束された店主の様子を見て大笑いした。秋は身をよじる店主を見て、不機嫌そうにぐいっと糸を手繰り寄せて店主を立たせた。



 儀仙堂の判部はんぶは、先ほどまで常たちがいた広い道ではなく、中心部から離れた場所に存在している。秋が言うには、中立であることを重んじる儀仙堂の中でも、ことさら中立なのだという。


 判部はんぶというのは国の治安維持を行い、罪を犯した者の処遇を判断する人々の集まりである。例外として、城歴李氏のような大罪人は、判部だけでなく政主などの判断も重んじられる。つまり儀仙堂での会合が、大罪人の処遇の判断の場であったのだ。


「おい、自分で歩け」


 店主は銀の糸でぐるぐる巻きにされて、ぐったりとした様子で秋に引っ張られていた。麻は秋の銀の糸に興味津々で、琴を奏でるように糸を爪で弾いては喜んでいる。常はその様子に困惑しつつも、二人について歩いていく。


 判部は、塀の中に最低限の建物しかなく、簡素でありつつも厳しそうな雰囲気が漂っていた。人の数もそんなに多いわけではなく、大通りのにぎやかさと比べると大分静かであった。


白虎殿びゃっこどの青龍殿せいりゅうどの! …… 一体何がありました?」


 駆け寄ってきた人の好さそうな判部の者が、糸で拘束された店主を見て怪訝な顔をした。


「この者が、呪部じゅぶの技術を使った品物を売っていた。玉剣山の大会で発生した、人を惑わす霧と関係があるのかもしれない。調べてくれ」


 秋がそう言うと、判部の者は恭しく拱手を行った。


「承知しました、総力をかけてお調べいたします!」


 判部の者が店主を連れていくのを見ながら、麻が笑顔で秋に話しかけた。


「あの人は他の勢力の者では珍しく、君を尊敬しているようだね。皆君を怖がるのに」


「…… 」


 お前も性格的には尊敬されていないだろ、と言いたげに秋は麻を一瞥したが、なにも言わなかった。

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