第49話 天弥道との同盟 

 麻燕マー・イェンに噂されているためなのだろうか、冷懿ラン・イーはくしゃみをした。


 冷懿ラン・イー棗绍ザオ・シャオから頼まれた極秘の同盟を結ぶために天弥道てんみどうに先程到着したのだった。そして政主の顾奕グー・イーと朱雀の南祯ナン・ヂェンに押し切られる形で、酒を飲んでいた所である。


 三人がいる政主の顾奕グー・イーの部屋には、最小限の物しか置かれていない。その中に置かれている赤い漆塗の木材で縁取られたしょうがきらびやかでもあり、武骨さも兼ね備えている。


 しょうの上に向かい合せになるように席を敷き座っているところは同じだが、麻のようにかめから直接飲むようなことはなく、漆塗りの酒器で酒を飲み交わしているので、どことなく上品さが漂っている。


「あれ、風邪をひいてしまいましたかね…… ?」

 くしゃみをしてしまった冷懿ラン・イーが、不思議そうに言った。


 それを見た政主の顾奕グー・イーがすぐに顔を覗き込んで、向かいに座っている冷の肩に左手を置く。


「そんな! 小冷シャオラン、仕事をしすぎて体調を壊しているのか? それとも、雪雲閣せつうんかくは寒いから風邪をひいてしまったのか? あんまり仕事を頼みすぎるなと儀仙堂ぎせんどうの黄龍殿や雪雲閣の政主殿に言っておくからな、雪雲閣が嫌になったらすぐに天弥道てんみどうに来ていいんだよ」


 顾奕グー・イーは一息で喋った。冷を見る左右違う色の瞳があまりにもまっすぐで、真剣な様であるということを示している。


「政主殿、そこまで心配なさらなくても私は元気ですよ」


 冷が、困りながらも優しく言った。


 朱雀の南祯ナン・ヂェンも、顾奕グー・イーを諭すように口を開いた。低く深みのある声だ。


「小冷はもう成人を過ぎているんだ。政主様…… 君が心配しすぎる必要はない」


 南祯ナン・ヂェンは最近政主によって、目上に対する言葉を使うのを禁止されたため、このような話し方になっている。顾は南祯ナン・ヂェンの顔をじっと見つめた後、冷に向き直って言った。


「うん、そうだね朱雀。いまだに、あの頃のかわいい小冷のままだと思ってしまうんだ。小さくて白くて、いつも何かに緊張しているような。…… こんなに大きく育ったのに」


 顾が冷の頭を優しく撫でた。冷が修行に来ていた子どもの頃は頭を良く撫でてくれたが、成人してから撫でられることは無かった。顔には一切出ていないが、どうやら顾は酔っているらしかった。


「政主殿っ!?」


 冷は面映ゆくなってこの場から逃げ出したくなったが、唇を噛んでその場をやり過ごした。自身がどんな子どもだったかを語られると、恥ずかしくて耐えきれないのだ。その様子を見て、南祯ナン・ヂェンも笑いを堪えている。


「それで、黄龍殿に何を頼まれたんだい?」


 ひとしきり冷の頭を撫でまわした後、顾が問いかけた。顾が酔っているようなので、本題を切り出すのは明日にしようと冷は思っていた。だが、問われれば言わないわけにはいかない。


「て、天弥道てんみどう雪雲閣せつうんかくの同盟を、と黄龍殿が…… 」


「「同盟? もう同盟は結ばれているだろう?」」

 顾と南の二人が同じことを聞き返した。


「黄龍殿が…… 不安なのだそうです。儀仙堂の呪部じゅぶは厄災が訪れるという予言を行い、厄災を招く子とされる少年が実際に現れた。泉古嶺洞せんこれいどうでは門下生が何者かに殺される事件が起こっています。そして今回行われた大会でも、不穏な動きがある気がする、と」


 顾が、冷に問いかけた。


「なるほど。中立のため同盟を新たに結べない儀仙堂、事件が起こっている泉古嶺洞せんこれいどう、書部の人間が多い玄郭げんかく、選択肢として自ずと残るのは雪雲閣と天弥道か。……雪雲閣の政主はどう言っているのだ?」


「許可はいただいております。ですが、ここは慎重になるべきだとも仰っていました」


 顾が考え事をするように目線を下げたあと、冷の言葉に頷いた。


「私も同感だ。何か凶事が起こるやもしれない。…… 朱雀」


 呼ばれた南は、畏まって跪居の形に座り直した。


「はい。十年前の戦に似た気配がする。こちらとしては、用心するに越したことはないだろうが。いかがいたしましょうか、政主様」


 南が酒器を置き、顾の判断を待った。


「政主様ではなく呼び捨てで呼んでほしいのだけれど…… 。それは良いとして、十年前の戦か。天弥道うちが襲撃された理由となった噂の出どころも、未だに判明していないからね……」


 顾はそう言って、しばらく黙考するように目を閉じた。


 ちなみに十年前の戦とは、天弥道に他門からの襲撃が起こったことで始まった戦いのことだ。五日ほど続き、儀仙堂をはじめとした四つの勢力による同盟(当時は天弥道は小さな門であったため同盟に入っていない)によって収束された。


 戦いの理由としては、天弥道に法宝暁片が存在するという噂が流れたことによるものだった。その戦いにより当時の天弥道の統率者は亡くなり、顾自身も右手と右頬を斬られ、右目を失明し剣を持てなくなった。


 仲裁に向かった当時の青龍と白虎も全身に傷を負い、一時戦闘不能となった。この戦による死傷者は二百人以上だと言われている。


 顾がゆっくりと目を開けて、冷に明るく言った。


「とりあえず、この話は俺と朱雀だけに留めておくよ。明日もう一度話し合おうか」

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