第16話 もう一人の師匠

 静白殿の中心にある大広間では政主の沙渙シャー・フアン、書部の白明バイ・ミン、呪部の松星宇ソン・シンユィーがすでに集まっていた。李紹成を雪雲閣に連行してきた門下生が、急ぎ政主に対し人を集めて欲しいとの伝言を伝えたためである。


 雪雲閣に戻った秋と冷が静白殿に入ってきた。三人が集まっているのを確認すると、秋と冷は拱手をして、秋は朗々と報告をし始めた。


「城歴李氏と交易に関する結盟を行う予定でしたが、李氏が動く死体の研究をしており、長年”厄災を招く子”を幽閉していたことが分かりました。そのため話し合いを中止とし、同盟の決まりに従って李氏の主を雪雲閣に連行しました。”厄災を招く子”と思われる少年も連れてきて、現在静虎殿せいこでんで身なりを整えさせています」


 それから、三人に対し、城歴で起こったことを冷が時系列順に事細かに説明した。


「なるほど…… 結盟が中止になったのは残念だが、禁術に手を染めている者とは交易の同盟を結ぶことはできない。物資の交易に対しては、他を当たってみるとしよう。そして、城歴李氏の所業や”厄災を招く子”について、話し合いをする必要があるな」

 冷の報告を聞いた政主の沙渙シャー・ファンが、ひげを蓄えた自身の顎を触りながら言った。


「では、儀仙堂、泉古嶺洞、天弥道、玄郭に対して会合を開くように使者を送りますね」

 書部の白明バイ・ミンがそう言って静白殿を出ていった。白明バイ・ミンは書部を統率する頭であり、仕事が早いことで有名だ。一日も経たないうちに各勢力に対して使者を送るだろう。


「呪部は邪払いの呪具を作り、常子远につけさせよ。常が“厄災を招く子”であることは門下生たちには伏せておき、雪雲閣に縁のある門下生が入るとだけ伝えるのがよいだろう。一睿と冷懿には常子远の監視と世話を頼む」


 呪部の松星宇ソン・シンユィーと冷は政主の言葉に頷いて出て行き、秋一人だけが残された。


 大広間に政主の沙渙シャー・ファンと白虎の二人だけが居るという場面は少なくはない。


 だが、今回は独断で話し合いを抜けだして、”厄災を招く子”を助け出した。結果的に城歴李氏は禁術に手を染めていたが、秋は交易同盟を結ぼうとしていた相手にとっての敬意が感じられない行動をとってしまったのだった。


「政主、罰ならばなんなりとお申し付けください」


「常院楼での独断での行動は褒められた物ではないが、叱るほどのことではない。冷の情報があったゆえの行動だと分かる。だが、今後は気をつけよ」


 秋は表情にこそ出さなかったが、心中で胸をなで下ろした。


「……本題はそこではない。常子远が使っていたのが、巴蛇はだの陣であったというのは本当か? 確証がなかったために、先程皆がいる前では言わなかったのだが」

 沙渙シャー・ファンが眉間に皺を寄せながら言った。


「はい。消えてしまったため、師匠の使っていたものと同じかどうかは分かりませんでしたが」


「全く…… あやつが今になってさえも関係してくるとは」

 呆れてしまった様子で沙渙シャー・ファンがかぶりを振った。


「まだ関係しているとは断定できません、可能性があるというだけです」

 秋が食い気味に反論する。その拳はいつも以上に強く握られていた。いつもの秋とは違い、どこか余裕の無さが言葉や態度からにじみ出ている。


「しかし、私の勘がそうだと告げているのだ。あの馬鹿が絡んでいると」

 沙がため息をついた。


「…… 」

 秋は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。


「おまえは、まだあやつを探しているのか? 消息も分からない。死んでいるやもしれない。破門されてすでに数年が経ち、白虎であったにもかかわらず”無かった者”にされているというのに」


「はい」

 夜空色の瞳が微かに揺れたが、秋は沙の顔を静かに見つめた。


 秋は今でも鮮明に師匠の姿を思い出すことができる。


 緩やかなくせ毛で、頭の高い位置で括られた髪は歩くと左右にゆらゆらと揺れていた。血のような赤茶色の瞳は猫の目のように丸かった。無邪気な笑みが印象的だった。雪雲閣を表す真っ白な外套がよく似合う人だった。


「…… 私が黒衣を羽織る限り、私の師匠はあなたともう一人、二人いるのです」


「頑固だな、全く」

「ええ、私は雪雲閣の”虎”ですから」


 秋はいつになく、まっすぐで強いまなざしをしていた。

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