第31話 黄龍からの呼び出し

 大会の一日目が終わり日も落ちた時、冷懿ラン・イー儀仙堂ぎせんどうの政主であり黄龍の、棗绍ザオ・シャオに呼ばれた。雪雲閣せつうんかく冷懿ラン・イーがわざわざ棗绍ザオ・シャオに呼ばれるのは難しい事を頼まれるときか、外交についての話をするときだけだ。今回はそのどちらかか、それとも別の事柄か。


 棗绍ザオ・シャオが誰かと二人で話をする時には、必ず棗の住まいである居龍殿の一室で行われる。そして今回も例外ではなく、風雅で品のある調度品が置かれた居龍殿に冷は足を踏み入れることとなる。


 三百歳を超えるという噂のある棗绍ザオ・シャオは物腰は柔らかいが妙な圧があり、冷は会う前に必ず気が重くなるのだった。嫌だなと思いつつ歩んでいると、いつの間にか居龍殿に到着していたので、癖であるため息をついた。入らないとそこらへんを歩いている門下生に怪しまれてしまう。


 棗绍ザオ・シャオはいつものようにしょうに腰掛けていた。冷はその正面に立ち拱手を行う。二人を分かつように天井から垂れている紗の布によって、棗の表情は靄がかかったようになり冷にはよく見えない。


 沈黙ののち、棗が一つ問いかけをした。いや、問いかけではなく確認と言ったほうが正しい。


「雪雲閣に入った門下生、あれが”厄災を招く子”だろう?」


 棗の声は滑らかであったが、棘のように突き刺さる言葉遣いには、確信が感じられる。


 気づいていたのか、と冷はため息をつきそうになって誤魔化すように咳払いをした。布の向こうから、微笑むような夕日色の瞳が自身をじっと見つめていることを容易に想像できた。先程発せられた棗の言葉によって、太陽に雲が陰るように、冷の肌に触れる空気が少し冷たくなった気がした。


 全く、この人は底なし沼のように得たいが知れない、と冷は思ったが外交を担当している者らしく言動には一切出さないでいる。


 冷は息を吸って、わざと明るい調子で言った。

黄龍殿こうりゅうどのに隠し事はできませんね」


 棗が薄く笑ったのか、小さく息を吐いたのが分かった。少しずつだが、温度が部屋に戻ってくる。


雪雲閣せつうんかくはあの子どもをどうする? 李の言葉に震え、怯え、逃げ出した子どもを。世界を何も知らぬ雛を」


 冷はどう答えるかを迷ったが、本当のことを話すことにした。


「政主もまだ決めかねているご様子なのです」


「そうよなあ。交易の話し合いをしに行ったと思ったら白虎が”厄災を招く子”を拾ってきたとあれば、私でも迷うさ。……さて 本題だが」


 一度言葉を切り、冷に問いかけた。これも厳密に言えば、問いかけではなく要求だ。


「あの子どもと話したい。良いか?」


 なぜ急に常と話したがっているのか冷には分からなかったが、棗の要望とあっては断るわけにはいかない。


「え……。 は、はい、承知しました」

 冷は拱手をして、急いで常を呼びに走った。



 常は棗愈ザオ・ユィーとのことで頭がいっぱいであったが、儀仙堂の主とも言える棗绍ザオ・シャオに呼び出されれば、気が進まなくても行かなければならないのだった。


 冷と共に居龍殿に向かう際に、冷からは”厄災を招く子”であったことが黄龍にばれていることを聞いた。


 常は先程棗愈ザオ・ユィーから言われた言葉を思い出し、気分はさらに憂鬱になった。


 もしも棗愈ザオ・ユィーの先祖が亡くなったのが暁片のせいならば、叔父である棗绍ザオ・シャオも同じく祖先を亡くしているということになる。


 偶然が重なれば、それはやがて大きな渦となり人々を巻き込んでゆく。その渦の中心が暁片なのではないか、と常は恐れてしまっているのだ。


 冷に連れられて部屋に入ると、薄い布の先に牀に腰掛けているであろう棗绍ザオ・シャオが見える。常は見よう見まねで拱手を行った。


「そう畏まらずともよい」

「は、はい」

 棗のくすりと笑う声が聞こえる。


「私はお前が”厄災を招く子”であると知っている。もう冷懿ラン・イーから聞いただろう?」


 常が頷いて、隣に立っている冷のことをちらりと見た。冷は何も言わず、常を見つめ返しただけであった。このとき、冷の瞳が丸くかたどられた玉のように見えて、感情が分からなかった。常は棗に目線を戻して、一つ呼吸をした。


「僕を呼び出したのは、僕を罰したいから? ”厄災を招く子”である僕を殺したいの?」


 常は霞がかった棗の姿をまっすぐとした視線で見つめた。

 棗は身動きもせずに言葉を発する。雨音のような、静かな声色である。


「ああ、お前のことを殺してしまってもよい」

 

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