第59話 再び

 李紹成リ・シャオチァンが殺されたとの知らせを受けて、秋一睿チウ・イールイは儀仙堂へと向かうことにした。すでに秋一睿チウ・イールイの中では決定事項であったが、目の前に突っ立っている常子远チャン・ズーユエンに問いかける。


「お前も一緒に戻るか?」

「うん」


 常子远チャン・ズーユエンが頷いて二人が儀仙堂へ向かおうとしたその時、急いで走ってくる足音が一つ。


白虎殿びゃっこどの! 待ってください!」


 玄郭げんかくの玄武、智墨辰ヂー・モーチェンである。 智墨辰ヂー・モーチェンは鍛錬と妖鬼討伐で忙しいため、常たちが書簡を読んでいる間はほとんど見かけることはなかった。


 青々とした稲穂のような色の丸い瞳をまっすぐと秋一睿チウ・イールイに向けて、智墨辰ヂー・モーチェンは二人の前で立ち止まった。鍛錬中だったのか、長いほこを手にしている。


「紙鳥の報告を受けました。その少年の身柄を引き渡していただきたい」


 そういうと、持っていたほこの先を常子远チャン・ズーユエンの首先へと突き付けた。


「ひっ!?」


 常は首先に突きつけられた刃により一歩も動くことができない。秋一睿チウ・イールイはとっさに常を後ろに突き飛ばし、矛の前に出た。


「玄武、これはどういうことだ?」


「この少年が“厄災を招く子”だ、との知らせがありました。我が政主は、“厄災を招く子”を捕らえなさいと僕に命じたのです」


 突き飛ばされた常は鍛錬の成果か、地面に倒れることなく数歩後ろに下がったのみだった。 


「だが、こちらは黄龍のめい玄郭げんかくに来ている。勝手なことをしてもらうと困るが」


 秋は剣を抜こうと身構えた。


「こちらこそ困ります。ここは玄郭げんかくなのです。いくら白虎殿とはいえど、玄郭の政主に従っていただきたい。玄郭の決定に背かれると、雪雲閣せつうんかくと玄郭の対立――ひいては儀仙堂ぎせんどうとの対立にもなります」


 智墨辰ヂー・モーチェンが秋をきっと睨みつけた。同盟勢力の対立と言われてしまうと、秋は剣を抜いて戦うことはできない。


 すぐに駆け付けた玄郭の門下生たちに、常が拘束される。


常子远チャン・ズーユエン!」


「師兄、僕は拘束されようが、何されようが問題ないから。僕にはかまわず、早く儀仙堂に行って」


 常が門下生たちに連れていかれる。それを、秋は追うことすらもできなかった。


 ◆


 急ぎ儀仙堂に戻った秋は、常が心配で何も手に着かなかったが、とりあえず天弥道てんみどうから戻った師弟、冷懿ラン・イーに会うことにした。


「白虎殿、さきほど紙鳥を読みました。常子远チャン・ズーユエンが玄郭で囚われてしまったということですが…… 」


 玄郭から戻る前に、秋は冷懿ラン・イーと政主の沙渙シャー・フアン棗绍ザオ・シャオに対して紙鳥を飛ばしたのだ。


「ああ。連れて行くのを止めようとしたが、玄郭げんかく政主に従えと玄武に言われてしまった。会わせてもらうことすらも不可能だった」


玄武殿げんぶどのなら危害を加えることはないと思いますが、どちらにせよ心配ですね」


 常が囚われた理由として、玄郭の政のために利用されるだろうと想像できた。暁片の持つ力が未だ不明であるからには、慎重な玄郭の政主が常を雑に扱うことはないはずである。


 玄郭に対する交渉は白虎の役目ではなく、政主の役目である。常子远チャン・ズーユエンに会うこともできない以上、政主を信じるほかはない。


冷懿ラン・イー、そういえば李紹成リ・シャオチァンが殺されたとの知らせを受けたが、それはどうなった?」


判部はんぶが調べています。牢の近くにいた見張りは殺されていたのですが、牢の入口の外の見張りは殺されていなかったそうです。奇妙なことに、入口の見張りは皆、強い眠気に襲われて眠ってしまっていたとか」


「入念だな。死因は?」


「首が斬られたのが理由かと」


 秋が顎に手を当てて考えこむ仕草をしてから口を開いた。


「……李紹成リ・シャオチァンの件は後ほど確認する。それと、儀仙堂の店で売られていた香炉について、分かったことがあると黄龍殿からの知らせも届いたが」


 冷が頷き、竹簡を取り出して秋に渡した。


「それは私が黄龍殿こうりゅうどのに頼まれて、儀仙堂の判部の方と共に調べていたのです。香炉は天弥道てんみどうの外れにある家で作られたもの、香の種類は沈香で、この国では作っておらず泉古嶺洞せんこれいどうが輸入しているものでした。使われていた呪部じゅぶの霊符は、雪雲閣の物と類似していました。分かったことは、それくらいですかね」


 話を聞きながら竹簡を読み進め、秋は感心して冷に声をかけた。


「感謝する、冷懿ラン・イー。お前が調べたおかげだ」


「いえ、私は頼まれたことをしただけですから」


 望んでいた以上の情報が手に入ったことや、冷と顔を合わせたことにより、常が囚われて不安だった心がいつもの落ち着きを取り戻していくのを秋は感じていた。


「さて、これからどう動くか。雪雲閣はどうなっている?」


「今のところ大事ありませんね。いざとなれば、私が戻ります」


「いざとなれば…… ? お前は儀仙堂に残るつもりか?」


 冷が儀仙堂に引き抜かれてしまうのではないかという新たな不安が秋の頭をよぎったが、そうではないらしかった。


「いえ、このような状況で申し訳ないのですが、雪雲閣の北東にある大麓岵ダールゥフに行ってきます。…… そこに、私の先祖を知る人が居るとお聞きしたものですから」


 冷が自身の親について調べているのは、秋もよく知っていた。子どものころ、親がいない、というだけでからかってくる門下生もいたのだ。現在、そのような人間はすでに雪雲閣にはいないが、本人としては気がかりなのだろう。


「そうか。何かあれば紙鳥を飛ばす」


 冷がとっさに秋の手首を掴んだ。


「…… 白虎殿、お気をつけて。くれぐれも危険なことはしないように」


「お前こそ、顔色が優れないようだが。いつもの心配のしすぎか?」


 秋が少しだけ口角を上げた。


「私も心配したくて心配しているわけではないのです! ………… いや、本当は私が寂しいだけかもしれませんね。師父のように、急にどこかに行ってしまうのではないかと」


 冷が目を潤ませた。そのとき秋は、当たり前のことに今になって気づいた。


 数年前に師匠がいなくなって悲しんでいたのは、秋だけではなく冷も同じなのだ。誰かが何も告げずに急に消えると、師匠を思い出してしまう。それは秋の行動でも同じで、常院楼でも玉剣山でも冷に心配させていたのかもしれない。


 冷が心配のしすぎなのではなく、自分が何も話さないから冷を心配させているのか。


 それに気づいた次の瞬間には、秋は自然と言葉を発していた。


「すまない。お前には、いつも心配をかけてばかりだ。私は、李紹成リ・シャオチァンの牢を調べた後、常院楼じょういんろうへと向かおうと思う。何か見落としている気がしてな」


 それを聞いて、冷が安堵したような顔をした。秋には、それが小さな子どものように見えた。いつも気丈に振る舞い、様々な仕事をこなしているため忘れがちだが、冷は成人してから日も浅いのだ。

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