第55話 剣の名を

 常子远チャン・ズーユエンはまぶしい光に目を開けた。だが、そこもまた元の世界ではなかった。見渡す限り白くて、靄がかかったように周りがよく見えない。目線はいつもの高さになっていて、姬陶ジー・タオの身体ではなく元の自分の身体に戻っていた。


「ああ。やっと来たのか」


 少年とも少女ともつかない声が前方から聞こえた。その声が聞こえると同時に靄が薄くなり、段々と情景が見えてきた。


 目の前に現れたのは、朱色に塗られた豪華絢爛な建物。だが、所々崩れていて植物が生えており、手入れはされていない。


「…… きみは、誰?」


 常子远チャン・ズーユエンは不思議そうに辺りを見回して、こてんと首を傾げた。


「私は、秋一睿チウ・イールイが玉剣山で拾った剣の妖みたいなもの、と言えば分かりやすいか。私の寝起きが悪くてな、秋一睿チウ・イールイの前で少々暴れてしまったのだ」


 くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえる。


「えっと、僕がさっき師兄にもらった、折れた剣のことだよね……」


 常は自信なさげに問いかけた。もらった剣について細かいことを聞く前に、秋一睿チウ・イールイの姿が見えなくなってしまったからだ。


 玉剣山で拾ったという話も大会中に聞いたような気もするが、あのとき常は棗愈ザオ・ユィーとのことが気がかりで話をあまり聞いていなかったのだ。


「いかにも。貴様は常子远チャン・ズーユエンだろう? 貴様のことは知っているぞ、此処から見ていたからな」


「君は物知りなんだね。じゃあ、ここはどこなの? さっき見た景色のことも知ってる? 僕について他に知っていることはある?」


 常はここぞとばかりに剣の妖に対して質問を浴びせかけた。 


「まずは落ち着け。貴様の問いに順番に答えてやろう。ここは剣の中にある世界だ。剣が血を浴びると、此処に通じる道ができるのだが……貴様は触れただけで此処へと辿り着いたのだな」


「触れただけで……?」


「そうだ。さて、次の問いについてだが……さっき見た景色とは何だ? 私にはその景色とやらは見えなかった」


 剣の中からいつも外の世界を”見ている”妖といえど、先程常が見た姬陶ジー・タオに関する光景は見えなかったらしい。


「最初は、辺り一面が燃えていたんだ。僕は剣を持っていて、手は真っ赤な血で濡れていた。亡くなっている人もたくさんいたのが見えたよ。その後に、短剣……暁片を王からもらったんだ。僕はそのとき常子远チャン・ズーユエンではなく、姬陶ジー・タオという人になっていた」


 常がそう答えると、ほほうと声がした。その光景が何なのか分かったらしい。


「それは私の記憶かもしれないな」

「君の記憶? ずっと昔だよね?」


 暁片を作ったとされる王、帝寿ディ・ショウの治世は、気の遠くなるほど昔の時代だった。書簡を読んでいるときに于に聞いたのを常は思い出した。


「いかにも。私は“暁片”に住んでいたのだ。寝ぼけていて名前を忘れていたが、貴様らが書簡を読んでいた中で思い出したのだ」 


 暁片に住んでいた剣の妖と聞いて、常の身体に緊張が走った。


「僕は…… 暁片を導くと言われたんだ。厄災を招く子、とも言われたこともあるよ。僕が君を導いたのかな? 君は僕について、何か知ってる?」


 常は朱色の建物に向かって、一歩踏み出した。だが、冷たい返答のみが返ってきた。


「知らんな。なぜか貴様には惹きつけられるが、ただの子どもにしか見えん」

「そう…… 良かった」


 その言葉は確かに冷たかったが、ただの子どもだと言われて、常は安堵したのだった。剣に住む妖から見れば、常は厄災を招く子でもなく、暁片の導き手でもなく、無力な子どもなのだ。


「そうだ貴様、秋一睿チウ・イールイに言伝をしてほしい。私が探している剣、そして貴様たちの追い求める”暁片”は同じである、と。今から遥か昔に、姬陶ジー・タオが王より賜った”暁片”という名を持つ短剣。……どこにあるかは私にも分からないけれどな!」


 声高らかに剣の妖が言葉を告げると、靄がかった中に陽光が射してきた。


「うん、分かった。伝えるよ」

「目を閉じて、次開けた時には戻っている。私はここで貴様を見守っているからな、何かあれば私を呼べ。力を貸そう」


 朱色の建物が白い世界の中に遠ざかる。常は剣の妖に言われたとおりに、目を閉じた。

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