第10話 少年と死体
「…… 誰?」
年端もいかない、澄んだ少年の声だ。
「私は
この少年だ、と直感的に秋は理解する。
少年は乱れた長い髪に、くたびれて汚れた衣服を身につけている。どれだけ劣悪な環境で生きてきたのかが容易に想像できる身なりだ。目の前の少年の瞳の色は暗く、強い意思を持っているのが感じられる。闇の中で生きてきた者の目だ。
「うん、僕がやった」
地面には陣が敷かれているのが見えた。その陣からは、白い煙のようなものが立ち上っている。
陣の円の中に蛇をかたどったと思われる文様が床に描かれていたが、すぐに跡形もなく消えてしまった。
陣が消えたということは、その陣が今まさに使用されたことを示す。
壊れた部屋の様子や倒れている見張りからも、十中八九この陣が轟音の原因だろう、と秋には思われた。
「その術は………… 」
秋は消えてしまった陣を眺めながら言った。秋には、その陣に微かだが見覚えがあったのだ。
「僕はここから出たい。お兄さんは助けてくれる? それとも僕をこのまま閉じ込めるの?」
淡々とした口調で、少年が言葉を発する。
秋はそれに答えることなく、倒れている者たちの脈を確認した。見張りが生きていると分かると、すぐに通路を戻り始めた。黒い外套が微かな風に踊る。
「ついてこい、出るぞ」
「え…… ?」
少年は目を丸くして、直立不動のままで動かない。握りしめられた両の拳は、先程よりも少しだけ緩められていた。
「何を立ち止まっている? 私が”助けてくれる”人かどうか聞いたのはお前だろう」
秋はまっすぐとした視線を少年に向けた。少年は、その澄んだ夜空色の瞳から思わず目をそらした。
「……こんなにすぐに出られるとは、思わなくて。急に怖くなったというか……これでいいのかな、って」
少年の言葉には興味が無いと言った風に、秋は通路を颯爽と歩いていく。少年がついてくる気配も足音もしないので、秋が振り返った。
「じきに追っ手が来るだろう。ここから出たいと言ったのは誰だ? 出たいなら、さっさと歩け――」
そう言い終わらないうちに、通路の先から足音がした。
見張りか誰かが来たのだろうか、と秋は振り返っていた頭を戻し、前方を見つめる。その人影を確認すると、すぐに秋の眉間には皺が寄った。
前方から来た”誰か”は、手や首をだらりと下げて二人に向かってくる。低いうなり声のようなものをあげており、ひどい腐敗臭がする。秋でさえも思わず袖で鼻を覆ったほどだ。”誰か”が二人に近づくにつれ、それは人ではないことが分かった。
正確には人間だったもの―― 死体である。死体であるのにもかかわらず、立って歩いている……!
「なんでこいつが……!? こいつは人を食うんだ、僕の、友だちも…… !」
見るも無惨な
術を施され、自力で歩行し、人間に対して危害を加える。人間のあるべき道をねじ曲げて作られた動く死体は、世間では邪とされている。
「
秋は冷静に死体を観察した。薄汚れてしまっているが、生前の身なりは綺麗だったのだろう。衣には刺繍が施されており、身分も低くないことが分かる。頭には布冠をしており、多少頭髪が乱れているが生前の姿が保たれている。李氏の服装にどことなく色味が似ている。関係者だったのかもしれない。
ゆっくりと死体が近づいてくる。徐々に腐敗臭が強くなってくる。不規則な足取りは、目の前の人間に心がないことが分かる。
先程少年の使った陣で他の部屋も壊れ、研究されていた死体が自由の身となり、外へ逃げだしたのだろうか。少年のように。
「うわっ! こっちへ来るな! 嫌だ、お前のせいで…… ! 死にたくない!」
秋が声のした方向を見ると、死体が後方からも現れたらしく、少し遠くで少年が後ずさりしながらあたふたと両手をばたつかせている。瞬く間に死体たちが秋と少年を挟むような形となった。
何故か死体は、一番近くにいる秋ではなく、少年に向かって歩みを進めているように見えた。
その時、少年は死体のうち、ある一体と目が合ったように感じた。その死体には眼球がなく、窪んだ丸い暗闇と目が合ったのだが。急に死体の動きが早まって、二人に襲いかかってくる。
「――――え、なんで?」
「おい! 呆けている場合か!」
秋は少年の首根っこを掴んで自身の身体に引き寄せた。少年は絞められた鳥のように苦しげな声を出したが、秋は一瞥もせず少年をかばうようにして立った。
秋は手に持っていた細い剣をすらりと抜き、二、三歩踏み込んだ。そして、少年に向かってくる死体を横に撫でるように斬った。剣の切れ味は鋭く、一振りするだけで死体は胴の辺りで真っ二つに切れた。
そのまま、死体の胴体が倒れる前に縦に斬る。まるで氷柱のように真っ直ぐで鋭い剣の軌道だ。ふ、と短く息を
この剣さばきは、雪雲閣に伝わる剣の一連の技によるものだ。”
「行くぞ」
少年の首根っこを掴むのをやめて少年の手を引き、次々と出現する何体もの死体を斬りながら進む。絶え間なく、どこからか死体が出現する。もう少しで通路が埋まりそうなほどの量だ。
「……多いな」
見張りのような服装をした者、李氏と似た服装をした者、生前は美しかったであろう着飾った女性。
誰も彼も、秋が全て斬り刻んでいく。その剣捌きは雪の中で咲く梅の花のように鮮やかで目を引く。死体の部位を断つ様は一振りの無駄もなく、襲い掛かる死体たち全てを無力化している。
しかし、少年への配慮はされていない。
死体を斬った時に血が飛び散るのか、何度も少年の顔や身体に水のようなものがかかるのだ。
「うぇえ……」
拭うとぬるりとしており、腐敗臭に慣れていた少年でさえ耐えられないほどの臭いだ。ひ、と少年の喉からは声にならない音が出る。
おまけに秋は走るのが速く、少年の身体は着いていくのに必死で、引かれた腕だけが先に行ってしまうのではないかと思われる。
「ねえ、速いんだけど!?」
足がもつれそうになって少年が慌てて言うと、ぶっきらぼうな声だけが返ってきた。
「これくらい我慢しろ」
秋がすぐに死体を斬るものだから、目の前で真っ二つになるのがはっきり少年にも見えて尚更怖い。斬られる死体から血液のような何かがまた飛んできて、少年はこれが一刻も早く終わりますように、と心から願った。
死体は通路の横にある他の部屋から、絶えず湧き出るように現れてはうなり声を上げて襲いかかってくる。
通路はそれほど長くはないので、もうすぐで通路の先にある土の階段になっている場所に到着しそうだ。しかし、死体が出てくるせいであまり前に進めなくて、近いはずの階段が随分と遠く感じられた。
「こんなに沢山、一体どこから来るの!?」
少年がいた部屋が一番広く、その他の通路に面した小さな部屋は数が多いわけでも広くもなかったはずだ。なのに、数十を超える動く死体が現れるなど、常識ではありえないことだ。
少年も秋にもその謎は解けないまま、やっとのことで土を踏み固めて作られた階段に到着した。
「……」
ようやく階段にたどり着いたというのに、少年は心から喜ぶことはできなかった。
少年は生まれてから初めて走ったため、今までにないほど息があがっている。どくどくと血が体内を巡り、死にそうなほど心臓の鼓動が早い。少年が全身に浴びてしまった死体の体液は、ぬめりけがあって臭い。
おまけに、助けてくれた人が無愛想すぎて、少し怖いのだ。
挿絵
https://kakuyomu.jp/users/KanooSio/news/16818093083314053703
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