09 意地の悪いイエローゴースト

「ピヨの言う『真っ当な生活を身につける指導』って具体的になにをするんだ?」


「七時間以上の睡眠時間、一日三食の栄養補給、勉強の予習復習、素行不良の注意などなど、高校生として当たり前のことばかりぴよ」


「そんな生活している奴はいないから」


 存在しても希少種レベルの生息数だろう。一体どこの世界線の当たり前なのか。

 路希先輩にピヨから受けた実害を質問されたが、直接的被害を被ったことはない。

 じゃあこいつはなんで頭の上にいるんだと記憶をさかのぼり、家の玄関先での発言を問いただしたところだ。理想の押しつけが一番の実害だろう。


「あくまで指導だろ。矯正するしないは僕の自由だ」


「自発的に行動するようにピヨも頑張るぴよ。例えば毎晩耳元で『宿題やるぴよ~、歯を磨くぴよ~』って延々吹き込み続けるぴよ」


「今後、悪霊に安眠を妨害される可能性がありそうです」


 路希先輩はふむふむと噛み砕きながらメモ帳に記述する。この部屋に来て三十分ほど経つが、質問は止まらない。


「優斗以外の人間には姿も見えず声も聞こえない。重さは感じない……生気を吸われているような感覚はあるか?」


「吸われた経験がないので分かりかねますが……体の不調はないです。ただ、人生初の事態とピヨの小生意気な性格にはへとへとです」


 若いのにだらしないぴよ。僕の右側に置かれたスタンドミラーにやれやれと羽を広げるピヨが映っている。


「いい人生経験ぴよ。こういう苦労が案外と大人になった時に役立ったりするぴよ。前払いで感謝してもいいぴよ」


 取り憑かれた経験が社会人として役に立つのか?


「むしろ今日一日の精神的苦痛に対する慰謝料を請求したいんだけどな」


「じゃあ内容証明による書面で根拠を提示して欲しいぴよ。まあ弁護士に相談したところで精神科を紹介されるオチが見えるぴよ」


「そういうところが生意気なんだよ……!」


 悪霊と言えば、物言わず不気味に寄り添ってくる印象だが、おしゃべりで知識豊富なやつも厄介でわずらわしい。小賢しい。


「内容は分からないが楽しそうだな」


「どこがですか」


 路希先輩は腕組みをしながら、僕を推し量るように見ている。


「仲のよい友達と会話しているようだぞ。もしかしたらピヨはイマジナリーフレンドに近い存在なのかもしれないな」


「イマジナリーフレンド?」


「当人が生み出す空想上の友達だ。解釈は諸説あるが、未成熟な人間が寂しさを埋めるために無意識に作り出す心理現象らしい」


 ピヨが妄想の産物……そっちの方がマシかもしれないが、どうだろう。

 この世界は異常だと訴えながら、実は主人公の頭だけが狂っていた内容の映画を観たことがある。僕の頭や心はおかしくなっているのだろうか。


 たしかに友達はいないけれど、心細さを感じたことはなかった。昔から一人で過ごす時間が多かったため、他人を求める考えがないだけ。寂しさも湧かない。

 別に人付き合いを避けているわけじゃないし、コミュニケーションもそれなりにこなせる。ただ、一人で本を読んだりゲームをしている方が楽しいだけだ。


 だけど、無意識に友達の存在を求めていたとしたら……にしても。


「いくら寂しくてもひよこはないですね」


 この結論に尽きる。僕の人生でひよこにまつわるエピソードは何一つない。空想するにしても選択肢にない動物だ。路希先輩も同調するように笑みをこぼす。


「友人として創り出すのは近しい世代やモデルの確立した人間らしい。言葉を話す動物が空想の友達なんて聞いたことがない」


「ですよね。やっぱり悪霊の線が濃厚だと思います」


 鏡の中のピヨを見る。向こうもまた鏡を介して、半眼で僕を見ている。


「そもそも成立しない仮説だって、数学の時間で証明されているぴよ」


 午前中の授業を思い返す。問題を解けたのはピヨの知識のおかげだ。情けない話だが、路希先輩にも授業中の出来事を話した。


「ユートの知能では解けない問題をピヨが解いた。それが存在の裏付け、はい証明終了ぴよ」


「いま、遠回しに馬鹿ってメッセージも含んだだろ」


「それは被害妄想ぴよ。でもそう思ったのなら授業の予習と復習を推奨するぴよ」


 無意識だとしても、こんな口の悪い空想の友達は絶対に生み出さない。やっぱり悪霊だ。僕は悪い霊に取り憑かれている。


「さて」

 閑話休題を明示するように路希先輩が仕切り直す。

「鏡でしか見られない悪霊だが……これはどうだ」


 ブレザーからスマートフォンを取り出し、画面を僕に向けてボタンをタップすると、動画が再生された。朝のトイレで撮られた映像だ。

 鏡に向かって話したり怒ったり、落ち込んだりする僕が映っていた。

 かなり奇妙で気持ち悪い。俯瞰ふかんして理解する現実。今後は本当に気をつけよう。


「映像の中にピヨはいるかい?」


「……いないです」


 言われて気がついたが、動画内の僕の頭には何も乗っていない。


「映像媒体では本人も確認できないか、ふむ、もう一つ試してみよう。優斗、はいチーズ」


「うぇっ?」


 カシャリ。路希先輩は不意を突くように、僕に向けてスマートフォンのシャッターを切り、画像を見せる。


「これならどうだ?」


「いないですね」


 見せられた写真には、慌てる僕の間抜け面しか写っていない。


「せっかくのピヨのキメ顔が写っていないぴよ」


 どうでもいいし、よく不意打ち撮影で対応できたな。


「静止画でも本人の確認は不可か。なるほど……」


 路希先輩は得心したようにうなずき、席に戻った。両肘をテーブルに置き口元で指を組む。


「優斗、結論を導き出した」


「解決法が見つかりましたか?」


「さっぱり分からん」


 じゃあ雰囲気を出すな!

 重々しい空気を纏ったまま、路希先輩は手元のメモ書きに視線を落とす。


「一般的な悪霊の性質とピヨの情報は合致しない部分が多い。特に気になるのは知能の高さだ」


 眉間にしわを寄せ、文章化された自分の思考に没入していく。


「霊体を構成しているのは情や思いといった『ねん』であり、知性の保有は成立条件に含まれない。だがピヨは生者と音声によって意思疎通し、高校二年難度の計算もできる……魂には知識を記憶する保存領域ストレージが存在する……?」


 漏れ聞こえてくる独り言は、何を言っているのかまるで分からない。ただ、その道には詳しいのだろうなと思わせる外郭がいかくを成している。


「そもそも悪霊ってどういう存在なんですか? 呪いも同じ意味なんですか?」


 気になっていたことを尋ねた。話しの流れで、なんとなく同じ意味として捉えていたが、たぶん違うだろうとも思っていた。

 潜考から浮上した路希先輩は、嫌な顔一つせずに応答する。


「特定の人間に災いや不幸をもたらす状態、または行為が『呪い』。その原因となる人間や動物や精霊などの存在が『悪霊』だ。世間一般では同じ意味合いとして捉えられているし、厳密に使い分けなくても話は通じる」


 悪霊に取り憑かれている状態=呪われている。同一視しても不都合はない。


「呪いがふりかかる場合、霊が自らの念に従って憑りつく直接的な原因と、霊の力を借りて呪わせる間接的な手段があるな」


「心霊スポットに行くと幽霊に取り憑かれるっていうのは理解できますが、力を借りるっていうのは?」


「儀式などで交信するんだ。アフリカでは未だに呪術師と呼ばれる者がいる。と言っても、呪術だけではなく薬草を煎じて治療したり、医者としての役割も担っているそうだ。のろいはまじないいとも読むように、災いを避けたり取り除くためにも使用されている」


 淀みなく説明しながらテーブルの下で脚を組み替える。僕が座る位置のわずかな視界から、黒いハイソックスとスカートを結ぶ脚の白さが覗き見えてしまった。邪念を払い視線をテーブルに上げる。


「ゲームの中だけだと思っていましたが……実在する職業とは知りませんでした。現実ではどうやって回復するんですか?」


「呪術師が使役や契約によって相手を呪った場合、術者本人に呪いを解いてもらうのが手っ取り早く安全だ。直接霊に取り憑かれた場合は専門家に祓ってもらうのが確実だろう」


 路希先輩がシャープペンで宙に円を描く。魔法の杖のように。鏡の中のピヨが冷めたおめめで軌道を追う。


「現実の話に聞こえないぴよ」


 非現実的な存在が何を言っている。


「ちなみに呪われたことに心当たりはあるか?」


 学内では無難で目立たない言動を選んでいるから、恨みを買うようなことはしていないと思う。幽霊がいそうな場所に行った記憶もない。憑りつかれたのは自室でだ。

 ここ一、二週間にしていたことは………………まったく記憶がない。よほど代わり映えのしない毎日を送っていたのだろう。


 質問に対して僕は、首を横に振った。


「ふむ。どの場合にも属さない例外、くわえて存在自体も前例に当てはまらないとなると……」


 魔女の渋面を見て、僕も不安にかられる。

 知らずのうちに頼りにしているのは、専門的な知識を持っていると分かっただけでなく、真剣に悩んでくれているからだろう。人を見かけで判断してはいけない。

 とは言っても相手は高校三年生。ぽん、と解決策が出てくるわけもない。


「どうにもならないですか」


「結論を出すには早すぎる!」


 仕掛けたバネが弾かれるよう立ち上がる路希先輩。


「未知の解明に必要なのは諦めない事、事象に立ち向かう根気、知識、努力、感性、閃き、探求心、そして超常現象に対する情熱!」


 それだけあれば、その他の困難にもだいたい対処できると思う。


「私は悪霊祓いの専門家ではないが、呪いに有効な知識はいくつかある」


「それで、今の状態をなんとかできると?」


「能力がなくても、きちんとした手順と道具を揃えれば悪霊に対抗できる。プロのコックじゃなくても、レシピに従って指定の食材と手順を踏めば、美味しい料理が作れるだろう。それと同じだ」


 なるほど。風邪は医者にしか治せないわけじゃない。ドラッグストアで薬を買って用法・用量通りに使えば回復は早まる。重要なのはやり方だ。


「しかし、私一人では準備に時間がかかる」


「僕にできることであればお手伝いします!」


 工面できるのは努力ぐらいだけど。

 今日みたいな一日が続けばストレスが溜まるし、『真っ当な生活の指導』という名の束縛なんてまっぴらごめんだ。僕は平穏で平凡な日常を取り戻す。


 絶対になんとかしてくれる、なんて思っちゃいない。だけど悪霊祓いの有識者なんて簡単に会えるものじゃないし、何もせずに待つよりも、身近で可能性を感じる提案に乗るべきだ。


「詳細は追って伝える。連絡先を交換しておこう」


 スマートフォンを取り出し、互いの番号を登録する。異性の上級生と連絡先を交換するのは初めてだ。もっと言えば、上級生と知り合いになったのも学生生活で初めて。僕の人生でこんな日が来るとは思ってもいなかった。


 ぴぴっ。嘲笑するような鳴き声が耳をくすぐる。


「的外れもいいところだと聞いていたけれど、一回りしてどんなことをするのか興味が湧いてきたぴよ。面白そうだからピヨもお手伝いするぴよ」


 絶対にどうすることもできないと高を括っているのだろう。ピヨは右の羽で明後日の方向を指し示す。


「青春時代の挑戦意欲は大切にするべきぴよ。ボーイズビーアンビシャスぴよ」


 意地の悪いイエローゴーストだ。見てろよ、その鼻っ柱……いやくちばしをぽっきりと折ってやる。

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