20 ゲームの主人公じゃあるまいし
「思っていた以上に大変だったようだな」
路希先輩は三角帽子のつばを下げ、居たたまれない様子を見せる。前日の下水処理場での一件を聞いた反応だ。
殴打された部分は省略。自分の口から伝えるには、あまりにも情けなさすぎる。
「だが、苦労に見合うだけの成果は入手できたと思うぞ」
向けられたスマートフォンの画面には、送信しておいた有珠杵との質疑応答一覧が映し出されている。手に入れた情報は、果たして対価に見合っているのか……。
「殴られた甲斐があるってものぴよ」
「お前が言うな」
頭上で胸を張るピヨをはたく手がするりと抜ける。スタンドミラーの正面席は、もはや部室での定位置となっていた。我ながら馴染み過ぎていると思う。
「では有珠杵恋振の悪霊について、改めて検証しよう」
仰々しい前置きに、僕も椅子を正す。
「報告をまとめると、去年の春に取り憑いた有珠杵の悪霊は、ピヨの性質に酷似している。原因は本人にも分からず心当たりはないが、呪術師の存在は考えられない」
「結局、よく分からないことが分かった、ってことですよね」
自虐的に言わざるを得ない。
ワニがピヨと同質なのは予測の範疇だし、具体的な情報は聞きだせなかった。もっと上手く質問していれば……質問劇という設定から間違えたのかも……反省と自己嫌悪は今でも尽きず、おかげで授業の内容はいつも以上に残っていない。
「そう卑下するな。なぜ言動に
発汗、息切れ、目まい。
有珠杵の苦しむ姿がフラッシュバックする。
「取り憑かれると、あんなに酷い状態になるんですか」
「通常なら……という表現もおかしいが、頭痛や倦怠感、幻聴や幻覚、精神的不安などが代表的な影響で、いずれも軽度に留まる。だが、彼女の状態変化は並じゃない」
「それほど悪霊が強力だということですか」
魔女は眉をひそめながら、渋々頷く。
「悪霊そのものは弱いエネルギーしか持っていない。だから霊力の強い人間が使役できるんだ……が。身体に症状と言ってもいいほどの直接的な影響を及ぼす例なんて、文献にあっただろうか……?」
人差し指でこめかみをゆるやかに叩く仕草を見ながら、僕も思考する。
「あいつがなあ……僕には泣いてばかりの穏やかな性格にしか見えないけど」
「人間は情報量の八割から九割を視覚から得るそうだ。私は悪霊の姿を見ていないから、優斗と抱く印象が異なるのだろう。しかし、涙するワニか……ふむ」
悩む表情は真剣だが、頭を使うことを楽しんでいる雰囲気もうかがえる。本当にオカルトが好きなんだな。
「悪霊だとしても、動物が涙を流すって意外に見えました」
泣く動物なんて産卵中のウミガメくらいだ。たしかあれは、余計な塩分を粘液として目から出しているだけだって、テレビ番組で観たことがある。
「そりゃあ動物だって泣くぴよ」
常識だと言わんばかりに、ピヨが口を挟む。
「眼球の乾燥防止や栄養補給のための基礎分泌と、異物が入ったことによる刺激で涙が出る機能は動物にも備わっているぴよ」
「見たことないなあ」
ペットを飼っている人なら、目にする機会もあるのかもしれない。
「人間との違いがあるとすれば、それは感情による涙を流すかどうかぴよ。この点については明確な研究結果が出ていないので、はっきりしないぴよ」
「そうなんですか……勉強になりました」
ピヨ先生のプチ講義に礼を述べる。生物学にも明るいのかよ。
「伝承を調べていて知ったのだが、鰐の涙には特別な意味があるらしい」
タイミングを見ていたかのように、路希先輩が話を引き継ぐ。
「かつて、中世のヨーロッパでは『鰐は嘘泣きで獲物をおびき寄せ、泣きながら獲物を食べる』と信じられていた。今でこそ、ただの塩分排出だと判明しているがな」
ウミガメと同じく、爬虫類特有の基礎機能。
「しかし正しい知識がなかったため、
「嘘泣きで相手を油断させてがぶり、って思われたんですね」
狡猾で残忍な動物だと認識されていたのだろう。鰐にとっては風評被害だ。
「ロキは物知りさんぴよ。ピヨもひとつお利口になったぴよ」
満足そうに笑っているが、こんな知識が一体どこで役に立つのか。
路希先輩とピヨの話は事実だが、悪霊に当てはめると複雑だ。
鰐の涙は嘘の涙。
それがただの生理現象でしかないのなら、どうしてワニは有珠杵の姿を見てぽろぽろと泣いたのだろう。悲しいという感情はなかったのか。
「話が逸れてしまったな。優斗には引き続き、有珠杵恋振との距離を縮めて欲しかったが……」
「ご期待に添えられそうにありません」
縮めるどころか殴り飛ばされた。次に会えば三発目をもらう可能性もある。
「ユートが強くなればいいぴよ」
「無茶を言うな」
お前だって見ただろ、あの無駄のない動きを。
「あの連続攻撃を一朝一夕で凌げるもんか。戦い慣れしている人間の動きだったぞ」
「幼少期に空手と、武術ではないがスイミングスクールにも通っていたそうだ。体の基礎は出来ていると思う」
「マジですか。本当に武術の心得があったとは……文武両道を地で行くお嬢様だ」
つくづく現実離れしている。現実感のない人間に、非現実的な存在が憑りついたってことか。奇妙な事態だ。
「先輩はどうやって調べたんですか?」
「私にもネットワークがあるのだよ。くぁかか」
ピストルの形にした指をあごに当て、自慢げに微笑む。
魔女の情報網……この学校には他にも魔女がいるのだろうか、なんてくだらない考えを浮かべる。
「有珠杵家は代々、製粉を中心とした食品事業を展開する会社を営んでいる。先代の社長がかなりのやり手で、一気に経営を拡大させたらしい。そこの一人娘として誕生したのが恋振だ」
「シャチョウレイジョウ……」
ピヨがまた貧富の差に当てられて、口をパクパクしている。放置だ。
「小学生の頃から成績が良く、性格も気さくで多くの友達がいた。中学では生徒会長をはじめ多くの役職を全うし、大会に出れば必ず入賞。高校を選んだ理由は家から近かったため。一年前に祖母を亡くしている。去年告白されて断った人数は推定四十九人」
「僕の報告よりはるかに具体的じゃないですか」
圧倒的な情報量の違い。なのに、路希先輩は首を横に振る。
「肝心の悪霊に結びつく情報はない。せめてアマゾンの奥地に家族旅行した事実でもあれば、ワニを連れて帰ってきた仮説が立てられるのに」
本気か冗談か、残念そうに溜息をつく。それはもうこじつけでしかない。
「でも、ワニの悪霊なんて、どこからやってきたんでしょうね。市内でワニの死体が見つかった、なんてニュースは聞いたことありませんよ」
「もしかすると中身は別のものかもしれないぞ」
中身が別のもの……?
「もともと霊には形がない」
どこでもない宙に差し出した手のひらを、そっと自分の胸に置く。
「魂とは無形のもの。それが肉体という器に入ることで物質化し、現世に干渉することができる。宙を漂う煙が私たちに触れることはできないし、こちらも掴むことができないだろう?」
「いきなりスピリチュアルな話ですね……なら幽霊って、なんで人間の形をしているんですか?」
死者の魂を幽霊と呼ぶのなら、形がある時点で矛盾している。
「それは魂が器の形を
「じゃあ、視えないだけで、幽霊ってその辺にたくさんいるんですね」
死んだら全員幽霊になるわけじゃない。路希先輩は立てた人差し指で天井を示す。
「
人差し指をくるりと回し床を指す。
「生前の後悔や恨みが強い魂は地上に居座り、悔しさを晴らそうとする」
「閉店時間を過ぎても帰ろうとしない迷惑客みたいぴよ」
それはただの営業妨害だ。ピヨの例えは上手いようで、飲みこみにくい。
僕としては、想いが重すぎて空に上がれないから、発散して軽くしたいのかなと思う。シャレじゃなくて。
「無念が強いほど、魂の有形化は具体性を帯びる。幽霊の見た目にも様々あるのは、その辺りが理由とされている」
「テレビの心霊特集とか観ても、全身映っていたり顔だけだったり、手だけだったり、見た目も様々ですよね……それだとワニの悪霊はやっぱり鰐じゃないですか」
「魂が真似るのは器の形だけとは限らない。例えば鰐に噛み殺された者が恨みを抱くのは、当然相手の鰐だろう。そして恨みが強ければ強いほど、魂は地上に留まる姿を明瞭にする」
形がないということは、逆に言えば、どんな形にもなれると言うことだからな。
そう付け加えて、路希先輩が背もたれに体を預ける。
「ワニの中身は人間かどうかは不明だが、執着の強い魂ほど力も強い。そして有珠杵恋振の悪霊がもたらす作用は常軌を逸している。果たして私の聖水にどれほどの効果があるのか……くぁかか、楽しみでならない」
上気する表情。実は、報告していない事実がもうひとつある。有珠杵がプロフェッショナルの力に頼り、結果を得られなかったことだ。
興味本位がベースにあるとしても、路希先輩は唯一の協力者であり理解者。尽力してくれているモチベーションを下げてしまうようで、伝えられなかった。
有珠杵も路希先輩も、自発的にできることを考えて行動している。
対して僕は目の前に提示された選択肢を選び、従っているだけ。自ら行動しているわけじゃない。状況に流されているだけだ。
力になりたい。
あの発言がその場の勢いにしか聞こえなくても、仕方がなかった。
「やっぱり放っておけないぴよ」
ピヨが鏡に映った自分を睨みつけ。体を左右に揺らしている。
もしかしてシャドウボクシングをしているつもりか……? しゅっしゅって、口で音を出しているけれど、パンチしてないし。
「あのワニはコフレにとって害悪ぴよしゅっ、何とかしてあげないといけないぴよしゅっ」
「手段もないのに何ができるんだよ」
「ワニが見えるのはユートとピヨだけぴよしゅっ、だからピヨたちが救うんだぴよしゅっ」
ふぃー、とピヨは満足そうな顔で髪の毛の中に埋もれた。
頭の上でぴーちくぱーちく喋る以外に何ができるんだ、お前に。
「まったく、何の使命感なんだか」
「使命か」
僕の独り言を拾った路希先輩が、頬杖をついて、鏡の中の僕を見る。
もちろん認識できるのは、冴えない高校二年生の男子だけだ。
「ピヨが優斗に取り憑いたのは、運命かもしれないな」
「なんですか、それ?」
「人生何にでも意味はある、と考えた方が受け止めやすいものだ。私の祖父が言っていたよ」
人を憂うような笑みに、僕は生返事しかできない。
運命と書いて《さだめ》と読む……ゲームの主人公じゃあるまいし。
姫を救うのか? 有珠杵姫は僕より何百倍も強いぞ。
世界を救うのか? 僕が取り戻したいのは自分の世界だけだ。
ひよこに取り憑かれたのだって単なる不幸。それ以上でも以下でもないはずだ。
「明日からどうすっかな」
エレベーターのカウントアップする電光表示を眺めながら、持ち上がらない気持ちと向き合う。今日の夜ご飯は、特選炭火焼きカルビ弁当を買ってきた。手持ちのコンビニ袋から、空の胃袋を刺激する香りが漏れ出ている。意識に強く潜り込む匂いだ。
有珠杵のことが気になる。だけど、どんな顔で話しかければいいのだろう。
「お土産を持って行ってご機嫌をうかがうのはどうぴよ」
壁に設置された鏡には、ピヨが片翼を上げて提案する姿が映っている。
「露骨だな。お嬢様に何を献上すればいい?」
「高級飲料水はどうぴよ」
「んで、そのペットボトルでまた殴られるんだろ。完全にフリじゃん」
ペットボトルにトラウマを覚えている自分がいる。そのせいか、今日は紙パックのジュースを選んでしまった。
「あいつ具合、大丈夫かな……話が出来なくても、確認だけできればいいか」
結論が出たところで扉が開く。通路を左に曲がれば家に着く。
「ぴ? 扉の前に誰かいるぴよ」
角を曲がると、家の前に二人の男女が立っている。どちらもスーツ姿だ。向こうも足音で気が付いたのか、僕に会釈する。
「遅い時間にごめんなさい」
女性が口を開くと、後ろの男性も人の良さそうな笑顔を向けてくる。
「以前の話の続きがしたくて、伺わせていただいたの」
「知り合いぴよ?」
態度には出せないので、ピヨには不動を持って否定を示す。
向こうは僕と面識があるようだが、こっちは初対面だ。当然、以前の話に心当たりもない。新手の訪問販売か?
「まだ気持ちの整理がついていないかもしれないけれど、きみの今後にとって大切なことだから、ちゃんとお話したいのよ」
気持ちの整理? 何のことを言っているんだ?
思い当たる記憶はどこを探しても見つからない。
「あの……どちら様でしょうか」
正直な問いかけに、目を見開き驚く男性。
「本当に、まったく覚えていないのかい? 先週あれだけ……」
「想定内よ。だったらもう一度話すだけ」
二人がアイコンタクトで頷くと、女性が一歩前に出る。初めよりもさらに優しげな笑顔を浮かべて、僕に向き直った。
「混乱させてしまったようね。改めて挨拶させてもらうわ。私たちは——」
女性は首から下げたカードケースを、僕の前に差し出した。
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