31 ユニコーンの霊薬
「チャーシューメン……カルビ丼……期間限定ビーフシチューセット……」
視線を自分のひざ元に落とすと、僕の視線を重たそうに受け止めるピヨがいる。
「そんな目で見られても、ピヨは悪いことしてないぴよ」
「ああ、その通りだ」
悔しいが地下食堂の一件は、取り乱した僕の落ち度だ。
頭から降りてきたことに驚いて口論。他人にはピヨの姿も声も認識できない。だから一人で指先に向かって話しかけているよう映る。控えめに言ってヤバいやつだ。
教室でやらかして以降、注意していたのに……。
タイミングよくやってきた路面電車に飛び乗り、町の中央へと舞い戻ってしまった。店内で食事する気分でもなく、こうして公園のベンチで腹を満たしている。
ちなみに今はしゃべっても不自然に見えないよう、片耳にイヤフォンを装着している。スマートフォンにつなげば、通話しているように見えるはずだ。
「なんで今まで降りてこなかった?」
「お昼ご飯を決めかねて券売機の前で悩む場面がなかったからぴよ」
「……じゃあ今、ひざの上にいるのは」
「ただのお散歩ぴよ。そろそろおうちに帰るぴよっ」
そう言うと、ひざに置いていた手から腕を登り、肩から頭の上に戻っていった。よちよちと歩く足がくすぐったい。
「んー……やっぱりユートの頭の上が一番落ち着くぴよ」
まったりした声が、心に溜まっていたわだかまりの質量を溶かしていく。言いたいことが全てどうでもよくなってしまった。
ポテトの強い塩っ気をコーラで散らす。炭酸の刺激が喉と気分をさっぱりさせる。
「この辺はよく遊びに来るぴよか?」
「たまにだなあ」
中心部に出てきたときに立ち寄る場所を列挙する。書店、ゲームショップ、ゲームセンター。近所よりも品ぞろえが充実しているのは言うまでもない。
「なるぴよ。今どきの高校生はそういう場所で遊ぶぴよね」
「僕をアベレージにしない方がいい。一般的な高校生はきっとカラオケとか、そういう社交場に行くんだよ」
数回だけ、クラスメイトに誘われて行ったことがある。何も歌わないのもおかしいので、前日に何曲か練習して当日に臨んだ。
面白くなかった。気の合う人間同士で行くから楽しい場所なのだろう、きっと。
「なんだこの世間話は。こんなこと聞いて楽しいか?」
「楽しいぴよ。もっともっと、ユートのことや町のことを知りたいぴよ」
知ったところでどうするんだ。結晶を見つけたら空に帰るって言うのに。
「この辺には他にどんな場所があるぴよ?」
「僕だって詳しいわけじゃないんだけど……」
並び立つ灰色の奥を指す。
「あの一番高いビルが父親の職場。そのもっと向こうが母さんの職場」
「完全に大企業ぴよね」
「世間じゃ一流企業って言われてる。でも今日は土曜日だから二人とも家に」
——いたか?
休日の朝は母さんが洗濯機を回しながら、朝食の準備をしている。
午後は車で買い物に出かける。それがいつもの風景。休日出勤もまれにある。だけどその時は事前に連絡があったり、テーブルの上に朝食が準備されていたりする。
スマートフォンに連絡の痕跡はない。何かあったのかな。
……何か、ってなんだ?
ハンバーガーを持つ指に力が入った。肉と薄肌色をしたパンの間から、ぶちゅり、と真っ赤なケチャップが溢れ出る。
それは、まるで。
が を
で に
のようで
突如、脳の中に無数の場面が流れる。まるで目の前に詰まれた大量の画面が、一斉に映像を映し出したかのようだった。情報の波に目がくらみ、耳の奥が揺れる。
横隔膜が大きく痙攣した。腹の底から勢いよく噴き出したものが気道を圧迫し、喉へとせり上がる。僕は衝動的に口元を抑え、近くの公衆トイレに駆け込んだ。
「一度病院に行った方がいいぴよ」
水場の鏡に映る青ざめた顔に、ピヨが気をかける。
「そこまで大ごとじゃないって。ハンバーガーに当たったのかな」
胃の中の物は出し切った。嘔吐感はこびりついているが、粗相の心配はない。
「食中毒だったら、なおさら病院ぴよ」
「とにかく大丈夫」
おざなりに告げた強がりに、体育倉庫裏の有珠杵を重ねる。僕は呪いでも脱水症状でもないはずだ。
ここ数日で突発的な体調不良が続く。原因は分からない。何かきっかけでも……あれ、さっきまでなに考えていたんだっけ?
「今日はもう帰って横になった方がいいぴよ」
「いや、せっかく街中に来たんだ。大きめの本屋に行って鰐の資料でも探そう」
鏡の向こうにぎこちない笑顔を向ける。我ながら意固地だと思う。でも変な心配しないでくれ。
ピヨは何か言いたそうにくちばしをヒクヒクさせたが、やがて根負けしてくれた。
「せめて薬を飲んでおくぴよ」
「分かった。まず近くのドラッグストアに行こう」
まだおぼつかない足取りで歩いたのがいけなかった。トイレを出たところで誰かとぶつかってしまう。完全に不注意だったのですぐに頭を下げる。
「すみません」
「いえ、私の方こそ……ふむ、君とはトイレに縁があるようだな」
「その声……先輩?」
相手の顔を見ると、立っていたのはまぎれもなく
ジャケットとショートパンツをデニムで揃え、キャップを被る姿は、普段の魔女姿とうって変わってスポーティに見える。
「どうした、顔色が良くないぞ」
「あ、えーと、なんか食べ物が合わなかったみたいで」
できるだけ大したことないように話す。
「食あたりか……そういえば、ちょうど薬を持っていたな。飲むか?」
肩にかけていたリュックから、茶色の薬包紙を手渡される。袋状に折りたたまれた中には、白い粉薬が入っていた。
「昔からある薬だ。たちどころに良くなるぞ」
座っていたベンチに戻り、溶けた氷で薄まったコーラと一緒に、もらった薬を服用する。甘くて、胃の中がすーっとする飲み心地。
お礼と共に、気分が楽になったことを伝えた。
「それはなによりだ。今日もピヨは頭の上にいるのかい?」
「はい。降りられるんだから降りて挨拶しろ」
右腕を直角に曲げ手のひらを構えると、ピヨがよちよちと降りてきた。重労働ぴよ、とかぼやくな。
「こんにぴよ。おくすりどうもありがぴよ」
そのまま復唱すると、隣に座る路希先輩は、僕の手のひらに向かって微笑む。
「どういたしまして。数日振りだが、
ピヨにどこまで話していいのか聞くと「他言無用とは言われていないぴよ」とのことだったので、ワニや呪いの正体と、
一方で、有珠杵のプライベートに関わる出来事——校舎裏で絡まれた件、過去の話は伏せた。本人の了承なしに話す内容ではないと思ったからだ。
聞きながら路希先輩は、何度も興味深く頷いていた。
「悪霊が自身を高尚な存在と偽って悪行に及ぶ、そんな話を聞いたことがある。ワニもその例に漏れないのかもしれない」
仮にオカルトの範疇に当てはまるとしても、生半可な方法では対処できないだろう。もはやワニのスペックは規格外といっていい。
「対抗策を探しに図書館へ行ったんですけれど、収穫はほとんどありませんでした」
「私にも貸せる知恵がない……ふむ、頼んでみるか。優斗、時間はあるか?」
突然の確認に問題ないことを伝えると、腕組みを解いた路希先輩はスマートフォンを取り出した。誰かと連絡を取っているのだろうか。
時間にして一分経ったか経たないか。よし、とつぶやき画面から指を放す。
「了承を得た。行こう」
「え、どこにですか?」
「専門家のところだ」
キャップのつばをクイと上げ、自信ありげな目で僕を見る。
「私よりも知識は豊富で頼りになる人だ。きっと力になってくれる」
「いいんですか? 突然……」
「これから伺う予定だったんだ。知り合いの同行を尋ねたら快く了解が返ってきた。迷惑にはならない」
連絡相手がどんな人なのか、もう少し聞きたいけれど、逆に疑っているようで失礼に当たるかもしれない。得体の知れないところには近づきたくないな……。
「ここはロキに甘えてみるぴよ」
判断を後押しするように、ピヨが意見を述べる。
「ピヨたちも当てがなかったし、ロキの紹介なら、悪い相手じゃないと思うぴよ」
断る理由はない、か。
僕はよろしくお願いしますと申し出を受けた。
「よし。ところで、具合は落ち着いたか?」
すっかり忘れてた。気がつけば、嘔吐感はきれいさっぱりなくなっている。
「もらった薬が効いたみたいです」
「そうか。さすがはユニコーンの角を煎じて作った霊薬だ」
……は? ユニコーンって言いました?
持っていた包み紙を見る。表面や裏側には何も書かれてはいない。
「それってあの……ファンタジー出てくる、おでこに角が一本生えた馬ですか?」
「そうだ。神聖さの象徴とされる
「普通に説明しますけど、伝説上の動物ですよね?」
少なくとも動物園にはいない。僕が見たのは図書館の空想動物大百科と、ゲームの中だけだ。
「実際に取引されたのはイッカククジラの角と言われているがな。伝わった地域によっては竜の角とも呼ばれていたらしい。ちなみに薬をくれたのは、これから会いに行く人だ。ぜひ礼を言ってくれ」
「さすがロキの紹介相手……類は友を呼ぶぴよねぇ」
少し残念そうなつぶやきが漏れ聞こえてくる。大方、胃薬をそれらしい袋に移し替えて、ユニコーンの霊薬と脚色したのだろう。
薬が効いたのは事実だからお礼は言おう。だけど人物像を描く上では、不安の材料にしかならなかった。
「未成年がこんなところを歩くのは、公序良俗に反するぴよ!」
公園から歩くこと十五分。
中心部の歓楽街をさらに奥へ進み、ちょっと質の異なるホテルや店が立ち並ぶエリアに向かう。右を見ても左を見ても見上げても、いかがわしい想像を掻き立てる彩りと店名が入ってくる。おかげで、健全な高校生活を監督する指導者は大層ご立腹だ。
こういう場所があるのは知っていた。だけど、実際に来たのは初めてだ。
歩いているだけで、罪悪感めいた緊張が募る。ピヨの言うように、高校生がいるのはマズいところなんじゃないのか? 補導されたらどうするんだ?
そわそわを隠し切れない僕とは対照的に、路希先輩は涼しい顔で通りを歩く。
「先輩はよく行くんですか、今から会う人のところには」
「ああ。なかなか通好みの取り揃えで興奮するんだ……と、ここだ」
統一感のないビルや店が立ち並ぶ通りで立ち止まった先は、レンガ調の外壁をあしらった建物。色めいた看板は掲げられていない。周囲と比べると地味な佇まいだ。
「この二階の店だ」
「……真っ黒なんですけど」
暗幕か何かで閉め切っているのか、全ての窓が黒一色で覆われている。
「中はとても居心地がいいぞ」
一言一句が意味深に聞こえてしょうがない。周囲とは別の意味で怪しく、そもそも店かどうかも判別できない。
「ぞぴぃ……得体が知れなさ過ぎて怖いぴよ……」
僕らが戦々恐々しているのも構わず、路希先輩は建物の中に入ってしまった。ここで引き返すわけにも行かないと意を決し、後を追う。
扉から入ってすぐの階段は人ひとり分の幅で、上と下に伸びている。
地下階段の電灯は消えており、奥にスタンド型の電飾看板が置いてあった。バニースーツのシルエットに、店名らしきカタカナ。いちいち地下から上げ下げするのは骨が折れそうだ。
上階も手狭で素っ気ない通路だった。だからこそ、突き当りに備え付けられた立派な木製の扉が浮いて見える。
不気味だ。向こう側が別の世界に繋がっていてもおかしくないほどに。
扉には「準備中」の札がかかっている。そばの壁には、木製の板に金色の文字で『マジックショップ Anna-Barbara』と書かれた表札。なんて読むんだろう……手品の店かな。
「営業しているんですか?」
「問題ない。さあ、扉を開けて」
路希先輩の真意が読み取れない。なんで僕が初めに入らなきゃいけないんだ。
疑問は浮かべど、嫌ですとは言えず、真鍮製のドアハンドルに手をかけた。心臓が早鐘を打ち始める。
取って食われることはない……よな?
僕は生唾を飲みこみ、重たい扉をゆっくりと開けた。
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