36 分の悪い賭け(2)

 ペンだ。ボディは薄いピンク色、天使の翼を思わせるクリップ部分は、いかにも女子受けしそうなデザインだ。


「お守り。私だけもらうのは不公平だから仲村君にも渡す」


「なんだそのバランス調整は」


 僕は以前、有珠杵に幸運のお守りラビットフットを渡した。そのお返し、ということだろう。


「そのシャープペンは私が小学校に入学した記念に両親から贈られたの。お守りと思っていつも身に着けておきなさいって。そのおかげか、今まで危険なことに巻き込まれず過ごしてこられた」


「じゃあ有珠杵が持ってなきゃダメだろ。それに男子が使うには色味が……」


「受け取って。受け取りなさい。受け取らないと右手の小指から順番に折る」


「指折りって流行はやってるの!?」


 有珠杵なら造作もなく実行できる。力を持つ者の脅迫は実行宣告に等しい。


「二十本耐えきったら次は関節を一か所ずつ逆に折り曲げる。それでも受け取らなかったら下半身の骨から順に……」


「分かったありがたくもらっておくよ!」


 拷問メニューを聞いていられず、急いでシャープペンを制服のポケットに入れた。


「喜んでもらえて嬉しい。困ったときに使ってちょうだい」


 今すぐ紙ナプキンに「助けて折られる」と書けばいいの? ハイレベルなフリなのか、本心の喜びか、僕はまだ有珠杵のレベルに到達できない。


「ペンの使い方は分かる?」


「お前はあらゆる方向から僕を痛めつけるな」


おとしめてなんていないわ。ペンの頭部にあるノックボタンを押すと……」


 ごめんなさい、と話を打ち切ってスマートフォンを取り出す。震えていたので着信かと思ったらアラーム機能だったらしい。


「稽古の時間だわ。行かないと」


「あのさ有珠杵、今日はなんか……ごめん」


「いいわ。もう慣れた」


 ドライに言い放つ一言が問責もんせきのように聞こえた。だけど僕に咎める権利はない。 


「今日だって私が無理やり誘ったようなもの。謝る必要なんてない」


「それじゃ僕の気が収まらない。どうすれば埋め合わせできる?」


 少し考えると、有珠杵は少しだけ笑った。


「答えは言わない。だから思いつくまで考えて、私のことを」


 言い残して彼女は人の流れに消えていった。残された僕はカウンター席で一人、チーズタルトをかじる。クリームチーズはとっくに冷めて硬くなっていた。


「今日のユートは百点中、二点ぴよ」


「ちょっと低すぎませんか指導員」


「女性に答えを聞くなんて情けない男の典型ぴよ。『今度は満足させてやる!』くらい大口叩いて挽回を期待させるようなテクニックを身に着けてほしいぴよ」


 なんで有珠杵の機嫌を取るためにそこまで……代わりに英単語を十個覚えるから許してくれ。


「じゃあ今日は帰って女心の勉強をするぴよ! レッスンワンは日常のふとした場面で使える印象アップテクニック、一日で叩き込んで明日から実践ぴよっ! あ、その前にスーパーによって夜ご飯買うぴよ。ちょうど特売の時間に行けそうぴよー」


 息もつかせずまくしたてるピヨ。余計なことを考えさせる間も与えないくらいに。


「……もしかしてさ、僕を大家のところに行かせたくないのか?」


 昨晩からピヨは、僕の行動を変えようとする意見が多い。「行動を操作したいからそれっぽい理由をつけている」強引さを感じていた。


「そんなの……決まってるぴよ」


 あっさりと認める。


「コフレも言っていたように、ピヨもユートが無茶を考えているように思うぴよ。得体のしれないファントムだけじゃない、何を考えているか分からない人間も相手だし……ピヨはこれ以上、ユートが危険な目にあうのはいやぴよ」


「大丈夫だ。上手くやるよ」


「保証なんてどこにもないぴよ! それにユートには……失うものがないぴよ」


 言葉を選んでの発言だろうが、言いたいことは十分に伝わってきた。


 もともと依緒の身体を救う責任などない。結晶探しも協力を要請するピヨがやめろと言えば、探しに行く理由もない。


「でも僕は大家――クジャクの協力者に目をつけられてしまった。これから鍵欲しさについて回られるのは落ち着かない」


「それこそ警察にお願いする案件ぴよ。孔雀荘だって住むべきじゃないし、今からでも他の家を探すぴよ」


「優良物件だったけど仕方がない。でもそうしたら」


 諦められない理由が残っている。


「誰が依緒を救うんだ」


 独りぼっちの魂は彷徨さまよい続け、あの場所に縛られる。身体は暗くて冷たい箱の中。

 どうして牢に閉じ込められる? 依緒は罪なんて犯してないのに、あんなところに……。


 脳裏に残る記憶が心を冷やす。かつて閉じ込められた箱の中。


 両親を失い、夜の闇に沈んだ部屋の中で味わった温度のない時間。それはやがて光をも喰らい、日常からも熱を奪っていく。もう出られないと諦めていた。


 凍てついた刻の牢獄を壊してくれたピヨには感謝している。もしピヨと出会っていなければ、依緒と同じ状況になっていたかもしれない。

 誰とも関わることなく、独りで永遠の時間を感じる。そこに生も死も関係ない。


 依緒が差し伸べる手は誰もつかめない。

 だから僕が握るんだ。この世で唯一、存在を認識できる僕だけが。


 依緒を救い出して願いを叶える。


 それがあいつと、忘れたい過去への手向たむけになるはずだから。


「止めても行く。もう決めたんだ」


「……どうにかできる手があるぴよ?」


「ひとつだけ方法を考えた」


 僕は席を立つ。

 分の悪い賭けだと分かっている。だけど僕にとっては最良の手段を講じた。あとは揃えた手札で相手に勝つしかない。

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