Ⅲ 少女に捧げる身体探し
36 分の悪い賭け(1)
「口に合わなかったかしら。それとも隣の女が味覚を損なうほど不快?」
「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。美味しいよ」
一口かじったチーズタルトを紙ナプキンの上に戻す。サクサクと香ばしいタルトに収められたオリジナルのチーズムースは濃厚だけど後味はさっぱりとしている。
旨いと感じてはいるけど、感情が言葉に乗っていないのは自分でも分かった。
店内の時計は午後四時を半分回っている。クジャクの協力者が指示した『鍵』の引き渡しまで約七時間。今日何度目の確認だろう。何度見ても落ち着かない。
左隣に座る有珠杵からサクリと小気味よい音が聞こえた。
「用事があるなら断ってと昨日連絡したはずだけれど」
かじりついたパイの断面から覗く焼けたリンゴの果肉と、あふれ出るカスタードクリームはボリュームのせいか、指先の圧迫によるせいか。
先日の約束通り、僕と有珠杵はチーズケーキを食べに街中の地下街へやってきた。
放課後の予定なんて忘れていた僕を見透かすように昨日の夜、メールが送られてきたのだ。
無理なら先に言って。私も期待せずに済むから。
依緒を救うことで頭がいっぱいだった僕はすぐさま断る返信をしようと思ったが、ピヨが大激怒。
「指切りまでした女の子との約束を破るなんて最低ぴよっ! キャンセルなんてしたら寝ている間に嘘つきな小指をへし折って一生後悔させてやるぴよーっ!」
このご時世に聞くとは思えない脅しをかけてきたあと、こうも言った。
「協力者がユートの行動を観察しているなら、たっぷり余裕を見せつけてやるべきぴよ。向こうの気持ちをかき乱せば、足元をすくうチャンスが見えてくるかもしれないぴよ」
自分が少しでも有利になる行動なら行うべき。だから今こうして、カウンター席で二人並んで評判のお菓子を食べている。
「ユート、美味しいものは美味しく食べなきゃ作った人にも誘ってくれた人にも失礼ぴよ」
僕の表情をチェックするように右肩に降りてきたピヨが、いけしゃあしゃあと苦言を
「おばあちゃんが言ってた、時計を気にする男は十中八九やましいことを考えているって」
「真偽は問わないけれど、僕は例外の二か一の方だ。思考はいたって
「私が帰ってから今日まで何があったの」
「まあい……一応の進展は」
有珠杵の視線がトレーに落ちていく。
「仲村君は特別だけれど高校生の領分を出ない。いま関わっていることは警察に任せればいいと思う」
「結晶の話なんて信じてもらえるわけないだろ」
「それだけじゃないでしょう」
依緒が幽霊であること、身体がファントムの管理下にあることは一切話していない。なのに確信しているように言い切る。
「私を助けてくれたときのように、仲村君は危ないことをしようとしている」
「しないよ」
「嘘」
否定が
「じゃあ次に学校で会えなかったら針を千本でも二千本でも飲ませればいい」
「冗談を言わないで」
有珠杵の言葉はおどけた返答を一閃し、僕の喉元に突き付けられる。
「仲村君は自身に対する価値が低すぎる。あなたに価値を置く人間がいることを自覚してほしい」
「そいつは僕に利益を見出しているだけだ。言われなくても僕はいつだって自分が一番だよ」
「……そういうところが本当に……」
つぶやきは最後まで聞き取れなかった。
店外からの雑踏が僕たちの無言を埋める。
「渡したいものがあるの」
苦々しい空気をチーズタルトの甘さでごまかしていると、有珠杵が僕との間に何かを置いた。
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