13 もっとも望まない結論(2)
「それって……思い出したのか? 家とか親とか、自分のこと」
依緒本人もハッとしたが、すぐに伏し目になる。
「お母さんの顔や家の中は浮かびましたが、それ以外は出てきません。家を飛び出してからも全然覚えてなくて……あとはアパートの前で倒れていた記憶だけです」
一瞬、回復したと期待したけれどそんな簡単にはいかないか。
「スマホはどうした? 取り上げられたのか、それとも持って家を出たのか?」
「……それも覚えていません」
返答までの間で本人も思い出す努力をしているのがうかがえる。
こちらも思い出すきっかけを与えたいけれど、スマートフォンの記憶は偶然出てきたにすぎないし、意図的な会話は出来ない。
「そう言えば、お前の気になっていたアパートの部屋、誰も住んでいないぞ」
「えっ?」
「空き部屋で今は修繕中だ。大家さんが言ってたから間違いない」
「そんなわけない……だって……」
立ち上がり、壁のように並ぶ木々を隔てた孔雀荘を正面に見据える。
「あの中に……絶対に開けなきゃ……開けないと、あそこから——!」
「おいっ、依緒!」
走り出した依緒の後を追って、再び修繕中の部屋にやって来た。
依緒はドアの前に立ち、その向こう側にある『何か』をじっと見つめているようだった。この部屋も他と同じであれば、室内は
修繕中ならどこかに不備があるんだろうけれど……そう言えば聞いていなかったけれど、部屋のどこを直しているのだろう。
依緒がゆっくりとノブに手を伸ばすが、直前でぴくりと動きが止まり、力なく腕が落ちる。
「わたしだけじゃ開けられない」
「僕にも開けられないよ」
ドアノブを捻るが、当然鍵がかかっていた。
入室の方法があるとすれば、筆村さんにお願いするしかない。でも先ほどの別れ際の反応を見る限り、他の部屋にこだわることを快く思っていないようだった。
でもそれだけじゃない、他の理由があるような言い方に聞こえたけれど……。
視線を下げると、ドアの投函口にチラシが挟まっていた。筆村さんが回収したはずの隣室のドアにも同じチラシが。どうやら別の業者が配りに来たらしい。
「新築マンション入居者募集……チラシと言えば出前か家ってイメージだよな。でも誰も住んでいないアパートに配る意味なんてあるのかな?」
「不動産のチラシって、売りたい部屋よりワンランク下の部屋に住んでいる人や家族のいるところに配るのが効果的なんです。だけどアルバイトで配る人はノルマをこなすためにとにかく差し込んでいることが多い……」
何気ないつぶやきは、意外なことに依緒がアンサーを返してくれた。
「……って、お父さんが言ってました」
両親がいることは判明したが、特に有益な情報とは言えない。
今は依緒の家族構成より部屋に入る方法だ。せめて中を覗くだけでもできないものか……待てよ。
「この投函口から部屋の中って覗けないかな」
たしかドアの内側も、外側と同じ造りだった。ということは、パカッと開けば部屋の中を眺めることができる。
思えば古い建物のせいか、ずいぶんと不用心なつくりだ。部屋に住むことになったら何かしらの対策を考えよう。とにかく今はラッキーだとしておく。
「もちろん誰か住んでいれば良くないけど、空き部屋ならいいんじゃないか」
「よくないぴよ。でも……それで何か思い出せるなら、一回だけピヨは目を閉じておくぴよ」
モラルに厳しいピヨが許しを与えるとは、こいつも依緒の手助けになればと願っているのだろう。
「部屋の中がどうなっているか分かるだけでも気持ちが違ってくるだろ。どうかな、依緒?」
「うん。知りたい。優斗さん、覗いてもらっていいですか?」
「え、僕が? いいけど……」
知りたがっているわりに率先しないのな。まあ言い出した奴から実行するのは当然かもしれない。
僕はしゃがみこむと、そっとチラシを一度引き抜き、手でカバーを抑えて投函口を覗いた。
……。
「変わった所は何もないぞ。他と同じ空っぽの畳部屋が見えるだけだな」
同じ過ぎてどこを修繕しているのかも不明だ。トイレか風呂なのかな。
「ほれ、手で押さえてるから覗いてみ」
「……なんで……なんで何もないの……?」
「空き部屋だからだろ」
事実を見てなお信じられない様相の依緒を尻目に、これで少し気持ちが落ち着けばいいなと思う。何か別の記憶と混濁しているのかもしれないし。
「最初からこうすれば早かったな。これで部屋に入る必要はなくなった」
「ユート、逆ぴよ。ピヨたちには部屋に入る理由ができたぴよ」
肩まで降りてきて耳打ちするピヨの声は真剣だ。
その理由は——
「結晶の反応がしたぴよ」
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