46 出会ったことは幸運

 院内の休憩スペースに移動した僕たちは、小洒落こじゃれた丸テーブルを挟み席に着く。


「優斗さんは恥ずかしがり屋さんですね。二人っきりで話したいなんて」


「気まずくて病室にいられないんだよ」


 存在するはずのない人間の出現に、僕は周囲を気にかけず絶叫してしまった。おかげで部屋にはいられなくなり、場所を移したわけだ。


 あらためて目の前に座る女子中学生の顔を確認する。


「本当に依緒、なのか?」


「はい。紅鷹こうよう中学一年四組、出席番号二十番、好きな食べ物はお母さんのコーンスープでお馴染みの九蔵依緒です」


「幽霊じゃ、ないよ……な?」


 ほかに聞き方が思いつかない。

 孔雀荘の一〇二号に倒れていた依緒の身体は息をしていなかったし、魂は目の前で光と共に消えた。ここにいるはずがない。


「元気いっぱいな本物ですよ。ほらほら、触ってみてください」


 頭を差し出してきたので触れてみた。人肌の暖かさを感じる。さらさらと髪が揺れると白い花のような香りが広がった。


「えへへへ、優斗さんの手だー」


「……いやこれ確かめにならないだろ。前から普通に触れたんだし」


「嘘じゃないのに。じゃあこうしましょう」


 依緒は席を立ち、奥にあった自動給茶機で飲み物をつぐ。


「こんにちわー」


「あらかわいいお嬢さん、こんにちわ」


 そばを通ったおばあさんに挨拶すると、相手もにこやかに返事する。僕以外にも見えるということは、生身で間違いない。

 僕の病室を案内した看護師さんに見えていた時点で分かっていたけど。


 緑茶入りの紙コップが二つ、テーブルの上に置かれた。


「もはやわたしの完全勝利ですね。かわいいは正義なんですよ。ぶいっ!」


「勝ち負けじゃないし自分でいうな」


「ところでピヨせんせえはどこですか? ふわふわに触りたいです」


「お前も見えなくなったんだな」


 有珠杵のときと同じだ。日常へ復帰した人間にピヨは認識できなくなる。依緒に説明するとかなり残念そうだったが、僕としては喜ばしい。

 元の世界に戻ることができるなら、戻るべきだ。


「僕とピヨのことを覚えてるってことは記憶も」


「全部残ってます。ほらほらわたしお気に入りの優斗さんがごみを捨てるポーズっ」


「座りなさい」


 お前の中でスマッシュヒットしている要因はなんなんだ……とにかく本人には違いない。でもこういうのって忘れてるもんじゃないのか普通。いや創作物の世界でっていう意味だけど。


「あのとき天国に行ったんじゃないのか?」


「わたしもイルミネーションしてたときは空にのぼるんだと思ったんですけど、起きたら畳の上でした。一応検査したんですけどまったく異常なしで……一日くらい入院してみたかったです」


 しなくて正解だ。依緒なら一時間と経たずに飽きると思う。


「制服を着てるってことは学校に戻ってるんだよな。先生とか警察とかに幽霊のときの話はしたのか?」


「ずっと寝てたことにしてます。本当のことを話しても信じてもらえませんから。お母さんもお父さんも無事ならそれでいいと、終わったことにしてます。学校にも休む前と変わらない状態で通ってるし、給食もおいしいです。今日はシチューでした」


 笑顔の明るさは肉体に戻っても変わらない。じかに触れて確かめたぶん、温かみが加わっている。


「でも優斗さんには聞いてほしいんです。あの夜のこと――私が幽霊になったときのことを」


 幽霊になる。

 妙な表現だけど、正確に表せばそれは孔雀荘で国前に襲われていたときだ。

 怖くてつらい記憶に違いない。それをまた思い出すなんて。


「いいのか?」


「楽しくはないですけど、一人でずっと抱え込むのも重たくて。だから誰かに話したいんです。でもそれができるのは優斗さんだけで……お願い、できますか」


 小さな両手で包んだ紙コップの水面が、微かに揺れていた。


 僕も依緒と同じ立場に陥ったときがある。ピヨに出会った日だ。頭にひよこが住み着いたなんて、自分一人でどう処理すればいいんだろうと思った。

 だからあの朝、路希先輩に出会ったことは幸運以外の何物でもない。


 僕には打ち明ける相手がいる。だけど依緒にはいない。

 唯一の相手になるべく、頷いて話を聞くことにした。


「わたしはお母さんとケンカして家を飛び出したあと、あの公園に行きました。帰ろうかどうしようか悩んでいたときに、お巡りさんに声をかけられたんです」


 それが国前――依緒を誘拐した犯人。


「警察がお母さんに連絡したらすごい怒られると思って、今から帰りますって嘘をつきました。そしたら『お家には電話しないからお話して』って言われて……ケンカして家出したって言いました。お巡りさんはニコニコ聞いてくれて、落ち着いたら帰るんだよって、公園よりも安全なアパートの休憩室に案内してくれました」


 アパートの休憩室ってなんだよ。

 誰もが思いそうな点だけど、気まずい事情を抱えた子供が警察官に言われたら信じる気持ちも分かる。


 事情を知ればこそ「手慣れている」としか感じない。

 そうやって何人の子供をあの部屋ろうごくに誘ったんだ。


「もらったお菓子を食べていると、制服が汚れるといけないから着替えたほうがいいって言われました。断ったんですけどダメだって言われて、足をつかまれて……なんか、怖くて……それで」


「話したいことだけでいいんだぞ」


「……大丈夫です。玄関に行けないから押入れに入ってふすまを締めました。隅っこで隠れなきゃ、逃げなきゃって必死に考えてたら、なにかが光ってたんです。鍵みたいな形をしていました。どこかに逃げ道を開ける鍵かと思って手に取ったら、急に身体が軽くなって――目を覚ましたら部屋の外に倒れていました」


「それが鍵の結晶だった……クジャクは妨害しなかったのか」


「孔雀って羽のきれいな鳥ですよね。小学生の遠足で動物園に行ったときに見ました。また行きたいなあ」


 依緒はクジャクと接触していない? あれだけ鍵に執着があったなら、誰かが触ることを見過ごさないはずなのに。


 あらためて話すことでもないだろう。結晶を手に入れた経緯は分かった。あともうひとつ、気になることを尋ねる。


「いきなり僕の前から消えていたのは結晶……鍵を使ったんだな」


「鍵を使う? あー忘れてました。幽霊になったら持ってなかったんです」


 使い方を知らなくても、願うだけで作用は発揮されるということか。僕の手錠が外れたのも同じ理屈で間違いない。


「その、消えようと思って消えたわけじゃなくて、お巡りさんを見ると隠れなきゃって思っちゃって。そしたらすぐ真っ暗な場所に行くんです。誰も知らないところに」


 以前話していた「誰もいない場所にワープ」というのは結晶の力だったのか。

 路希先輩も言っていた鍵の使い方。依緒は隠れるために鍵を利用したんだ。


「誰にも気づかれないし忘れられたんだなって思っていたら、わたしの名前を呼ぶ声が聞こえるんです。そこに向かって行くと――いつも優斗さんがいました。だから部屋の中から優斗さんの声が聞こえたとき、わたしは決めたんです。今度はわたしが助ける番だって。もう隠れちゃダメだって」


 依緒は紙コップの中身を一気に飲み干す。


「ぷはー、いっぱいしゃべったら疲れちゃった。でもスッキリしました」


「もう大丈夫か?」


「はい。でも思い出しちゃったらまた聞いてくださいね。あっそうだ、優斗さん連絡先教えてください。ピヨせんせえにもあいさつしたいし」


「おお……ってごめん、いま手元にスマホなくて。今度でもいいか」


「じゃあ優斗さんの家に遊びに行ったときに交換しましょう」


「え、うちに? 古いし何もないぞ」


「一回お邪魔したから知ってます。それにお母さんとお父さんがお礼したいって言ってました」


 別にそんな……と言いかけて、話の流れがおかしいことに気がつく。依緒は話していないのに、なんで僕のことを知っているんだ。


「うちに来た黒旗さんが言ったんです。わたしを助け出した高校生がいるって」


 依緒の両親に捜索を依頼されたと言っていたのは本当だったのか。あの人の話はどれが嘘でどれが真実か分からない。当人の正体すら謎だ。


「わたしがこっそり聞いたら優斗さんがいる病院を教えてくれました。面会もできるから会いに行けばびっくりするだろうって。結果はだい・せい・こうっ!」


「だからさっさと帰ったのかあの人……」


 生きていることを伝えなかったのも、依緒が直接来ると踏んでいたから。

 依緒に聞いても「優斗さんの三人目の彼女さんとしか」なんて誤情報しか持ってないし、分からずじまいだ。もう会うこともないだろうからいいけど。



 そして翌日、予定通り退院。合わせたかのようにピヨも目を覚ました。

 やっと僕の日常が再開する。

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