47 たどり着く結論はひとつ

 昼休みが始まる前に職員室を尋ねると、ちょうど担任の伊里原いりはら先生がいた。


 見舞いに来てくれた礼をしつつ引っ越しの予定を伝えると、学校へ来るのは落ち着いてからでいいと言ってくれた。どこまで事情を把握しているか知らないが、気遣いはありがたく受け取っておこう。


「イリハラはいい担任ぴよ」


 退院の朝にはピヨも起きて元気になっていた。


「だからテストの点数で迷惑かけちゃダメぴよ」


「学校のために勉強してるわけじゃないから」


 というわけで授業には出ず、そのまま下校。

 一度家に帰って食事を済ませ、必要な物を準備して大家さんの家に向かう。正式にアパートの賃貸契約を交わすためだ。



「具合はもういいのか。上がってくれ」


 大家さんは相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらで居間に通してくれた。室内は以前にお邪魔したときより散らかっている。


 テーブルの上には開かれた本が置いてあった。蝶ネクタイをつけたペンギンが描かれている。


「『こうていペンギンのおとうさんは、からだをはって、たいせつにどもをまもります』前にフデムラが話していた絵本ぴよか。たしかに丸っこくてフデムラに似てるぴよ」


「妻の部屋を整理していた途中でな。座っとれ、茶を出す……あた、痛たた」


 急に腰を抑えてうずくまったので、そのまま座ってもらうことにした。お茶なんていらないし、契約書を交わせばすぐに帰る。


「もしかして、あの夜に痛めたんですか」


 おぼろな記憶が輪郭を帯びる。大家さんは身を挺して僕を逃がしてくれた。


「突き飛ばされて腰を打っただけじゃ。それよりも……済まんかったな。わしのせいでお前さんにまで迷惑かけてしまった」


「大家さんは悪くありません」


「わしがあいつの言うことを聞かなければ、こんなことにはならなかった」


 深いため息が畳に染み込む。

 大家さんが言う「あいつ」とは国前のことだったんだ。僕は途中までクジャクのことだと思っていた。


 事件の犯人だと決めつけていたことを謝罪しなければ。

 逡巡しゅんじゅんしているうちに、大家さんが重い口を開いた。


「この辺りは国が道路を広くする計画が進んでいてな。第二孔雀荘も取り壊しの対象にされていた。わしは反対したが、周りの住民は壊せ壊せと騒ぎよる。後から出てきた都合でどけろとは、納得がいかんでの」


 アパートは築三十年以上の物件。僕が生まれるずっと前からあの場所に建ち、亡き奥さんとの思い出を残している。


「去年の今ごろじゃったか……公園前の交番に配属された警察官が訪ねてきた。国前じゃ。子供のためとか治安維持のためなどのたまって取り壊すべきだと言ってきた。追い返そうとしたら、今度は昔のことをほじくり返して『自分は警察だから国に働きかけるぞ』といいおった」


 国前はアパートに関連する一連の出来事をよく知っていたという。おそらく調べ上げたうえで、孔雀荘を利用する算段を立てた。自身の目的のために。


「立場を利用して脅迫してきたんです。大家さんに非はありません」


「そうは言えん。一部屋貸すだけで大人しくなるなら安いもの、そう考えてしまったからな。実際に取り壊しの声が減って、取引は正しかったとも考えていた」


 よほど近隣の声は多かったみたいだ。それを落ち着かせるのは簡単じゃない。

 同じ地区に住む祖父母を利用する以外にも、人当たりの良さで住民をなだめていたのだろう。「警察の自分がしっかり地域を守る」とかなんとか言って。


 何にしても、大家さんの弱みに付け入るやり方だ。


「部屋のことは誰にも言うなとか、条件とつけるのはおかしいと感じておった。じゃが『あんなこと』のために使われていたとは……無事じゃったとはいえ、捕らわれていた子には申し訳が立たん。妻にも土下座じゃ足りんじゃろうな」


「奥さんのこと大切になさってるんですね」


「わしみたいなモンと一緒になってくれた珍しいやつじゃ。大事にせんとばちが当たる」


 照れくさそうに頭をかく。こんなにも思いやりのある人を疑っていたなんて……申し訳なく思う。


「ぴゅあぴゅあぴよぅ。ピヨも素敵な人と添い遂げたいぴよ~」


「あの大家さん、ちょっと聞きたいことがあるんです」


 話が賃貸契約に移る前に切り出す。質問の内容はもちろん結晶についてだ。


「大家さんが国前に部屋を貸す前、押入れの中におもちゃが残っていたりしませんでしたか? あとは……鳥の鳴き声を聞いたとか」


「前の住人が残していった物はなかったな。それとアパートはペット禁止じゃ。ただ国前が持ち込んだものなら分からん」


 予測通りの返答。やはり結晶やファントムについての情報は調べられない。


「仕方ないぴよ。今回は無事に終わったことがなによりぴよ」


 目覚めたピヨと今回の件について話したが、ほとんど分からないとのこと。

 もう僕とピヨでほとんどの情報を共有している気がする。それくらい基礎知識が少ないのだ。

 結晶探しをやめはしないが、避けられる危険は避けたいぞ。


 今後のためにも新しい情報を手に入れたかった。

 クジャクはいつからあそこにいたのか。どうやって結晶を手に入れたのか。なぜ協力関係を築いたのか――


「国前はなんの目的で……?」


「あいつの考えなんぞ分からん」


 うっかり口から洩れた言葉を、自分への質問だと思って大家さんが拾った。


「百歩譲って同情する『何か』があったとしても、坊主や子供たちに対する国前の行為は許されない悪行じゃ。正義を背負う警察官ならなおのこと。あいつの過去なんぞ知りたくもない、必要な奴だけが知ればいい。わしは明日を生きなきゃならん」


「フデムラもいろいろ背負ってるぴよ。伊達におじいちゃんじゃないぴよ」


「心の傷は消えることはない。だから過去にするしかないんじゃ」


 腰をさすりながら縁側に目をやる。広がる庭の真ん中で雀がじゃれ合っていた。


「人間の脳が忘れるようにできとるのは、人間の生み出す薬では治せない、深い傷を癒すために神様が備えたのかもしれんのう」


「そうぴよね……独りになっても他人を求めても復讐しても、心は完治しないぴよ」


 だから「時間が傷を癒す」なんて言葉があるのかもしれない。


「望むのは罪を償うことだけ――そしてわしも罪を償わなければならん」


「罪って……警察に何か言われたんですか?」


「法のおとがめはなかった。じゃが今回の事件を起こした要因が孔雀荘に……わしにあったことは間違いない。だから国の計画事業に従って立ち退くことを決めた」


「償うってそこまで……」


 立ち退く?

 それって、つまり。


「第二孔雀荘は取り壊される。すまん坊主!」


 大家さんは丸い身体をさらに丸くして頭を下げた。


「手はずが整い次第すぐに着工されるらしい。他の物件を紹介してやりたいが、あいにくどこも満室で空きがなくてな……わしの持っている物件では世話ができん」


「じゃあ、僕の……いや、明日でマンション出なきゃ……ぇえうん?」


 住む部屋がなくなるってこと?

 また物件探ししなきゃいけないってこと?

 明日中にみつけなきゃいけないってこと?


 僕の不安と想像力はあっという間に思考力をパンクさせた。


「いや、でも、だって……あの、僕が住む約束の方が先で……」


「もともとがフデムラの好意で進んでいた話ぴよ。それにユートは正式に契約していないから、仮に訴えても勝てないぴよ」


「じゃあ僕は……」


 どれだけ可能性を模索しても、たどり着く結論はひとつだった。

 ホームレス高校生活、確定。

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