48 新しい生活が始まる
「夕焼け、きれいだな」
今の僕には染み入るような黄昏の空を見上げながら、ブランコを漕ぐことしかできなかった。
いつもと変わらず賑わう公園。みんな明日への希望に満ちている。
もうちょっとしたらお家に帰ってご飯を食べて、暖かい布団で眠るんだろうな。
いいな、いいなぁ……。
「やっぱりフデムラに甘えたほうがよかったと思うぴよ」
「本気か?」
大家さんは僕が新しい部屋を見つけるまで、自宅の空いている部屋を使っていいと言ってくれた。一方的にアパートの取り壊しを決めた負い目だろう。
もちろん丁重に断る。急に他人の家に住み着けるほど、神経は太くない。
「気まずくて疲れる一方だよ。それならネカフェの方が何倍もマシだ」
「ねかふぇ? どんなとこぴよ?」
スマホで説明しようと思ったが、ひび割れた画面はボタンを押しても反応しない。完全に壊れている。
修理ってどれくらいかかるんだろう。買い替えたほうがいいのかな。
「インターネットカフェだよ。えーと、数千円で寝泊りできる個室があって、食べ物とかシャワーもある。確か学生割引とかあったような……使ったことないから詳しく知らないけど」
「なるぴよ、今どきの安いカプセルホテルぴよね。しばらくはそこでしのぐぴよ」
問題は高校生が寝泊りできるかどうか。会員証を作る時点で身分はバレる。もし追い出されたら……そのときまた考えるしかない。
どんどん良くない生活に進んでいる気がする。
人間ってこうやって落ちていくのかな。底にたどり着いたとき、僕はどんな生活をしているのだろう。
狭い段ボールの家とか暗い路地裏で一人、誰にも知られることなく死んでいくのかもしれない。その前に冬の寒さで凍死だな……ははっ。
「優斗さん」
真っ白な指先を眺めていると、目の前に依緒がいた。どこか見覚えのある光景だと思ってしまう。
「もう引っ越したのかなと思って見に来たんです。そうしたらここにいました」
依緒が隣のブランコに座ると、カシャリと鎖が揺れる。前後に揺れる影は奇妙に、規則的に伸びたり縮んだりを繰り返し映す。
「夏はここで花火ができますね。秋はお祭りするのかな? 楽しみだな。優斗さんは出店といえば何を食べますか? わたしはチョコバナナと焼きそばと綿あめと……」
両手の指を八回折り曲げたところで、依緒がそうそうと言って鞄を開ける。
「じゃーん。引っ越しそば買ってきたんです。これでお祝いしましょう! ところでどうしてそばを食べるか知ってますか? ふっふーん、では教えてあげましょう。それは『おそばに越してきました』っていうダジャレから来てるんですよ。面白いですよねー」
「江戸時代の一説ぴよね。他にも『細く長く切れないように』ご近所さんとのご縁にかかっている説もあるぴよが……」
「ピヨせんせえはもう起きてますか? 起きてたらこんにちわ! あ、もう夕方だからこんばんわ、かなあ? どっちでもいいか――って優斗さん泣いてる!」
我慢の限界を突破し、僕はぽたぽたと涙が流れてしまった。
「すまん、夢のような明るい未来に比べて……迫りくる現実が闇すぎて」
「優斗さん……ごめんなさい。優斗さんが引っ越しそばにつらい思い出があるのに、わたしはそうと知らず」
「そんな過去はない……」
ぐるるるるぅ。
お腹が鳴った。思い浮かべた食べ物たちが空腹を刺激したせいだ。
ちゃんとした物が食べたい。
「今日は好きな物を買って食べるぴよぅ! 値引きになってなくてもお買い得商品じゃなくてもいいぴよぅ、だから元気出すぴよ!」
「泣かないでわたしに話してください優斗さん! 重い荷物もみんなで分ければ軽くなる! 家電戦隊ホムレンジャー第三話『ブラウン管は時代とともに』でプラズマイエローが言ってました」
とりあえず引っ越しそばに因縁がないことをはっきりさせたかったので、アパートに住めなくなったことを伝えた。
「そんなぁ……明日からどこで寝るんですか?」
「しばらくはネカフェに住もうかと思って」
「ええっ、そんなのダメですよ! ちゃんと家に住まなきゃ!」
依緒が燃える空に拳を掲げる。
「家とは帰る場所、安らげる場所、自分を守る場所。だから生き物は巣とか縄張りとか、落ち着ける場所を作るんです。家がなければ内と外の境目がなくなって、外だけになります。どんなモノでも休むことができなきゃ、早く壊れちゃうんですよ!」
「中学生とは思えない住居への熱量ぴよ。でもねかふぇがあるから一安心ぴよ」
「それにネカフェの滞在期間が長いほど、不動産屋さんの印象も悪くなるんです」
「ぴぇ!?」
僕の両肩に手を乗せた依緒が、顔を覗きこんでくる。
「住民票が消されちゃったら再取得は難しいし、役所の利用も面倒になるし、いっぱい大変なんですから。うちのお父さんも『ネカフェに住んでる奴だけは家の敷居をまたがせないと』って言ってました。それは困ります」
「ぴゅええ……ねかふぇは良くない場所ぴよ。他の場所を探したほうがいいぴよ」
謎の説得力にピヨが飲み込まれ始めた。でも選択肢がない。
「僕だってちゃんとした家に住みたいよ。でも家を貸してくれる人がいない」
「わたしに任せてください!」
そう言うと依緒はどこかに電話をかけ始めた。
「優斗さんをネカフェ住民にはさせません!」
翌日。僕は空っぽのキーケースを握り、生まれ育ったマンションを見上げていた。
さようなら。
いろいろなものに別れを告げて、一台の車へと向かう。助手席の扉の前に、スーツ姿の女性が姿勢正しく立っていた。
「では参りましょう」
「よろしくお願いします」
見慣れた風景から見慣れない風景へ。
到着したのは一軒のアパート。ライトグレーの外壁が鮮やかな二階建ての物件だ。
「こちらのお部屋です。どうぞ」
「ぴょぇ……すごくオシャレで綺麗なお部屋ぴよ」
階段を上がって招かれた部屋はフローリングで、キッチンやバス・トイレが別々。小さいがベランダもある。
「こちらが部屋の鍵です。あとは書類に目を通してサインしていただければ、手続きは完了します」
「あの、本当にいいんですか? こんな部屋をお借りしてしまって」
「もちろん。娘の命の恩人ですから、ぜひお礼をさせてください」
手渡された大きな封筒には『帰る場所、安らげる場所、自分を守る場所をご案内する九蔵不動産』のロゴ印刷。
会社名を見て、九蔵という名字が引っかかっていたことが判明した。
僕は以前この不動産屋を訪れている。しかし臨時休業でシャッターが下りていたため入れず、再来店する前に孔雀荘の内部見学という流れになった。
どうりで依緒が賃貸や物件について詳しいわけだ。家業なら自然と知るのだろう。
依緒が両親に電話すると、すぐ僕に貸してくれる家が見つかった。そこからもろもろの審査をすっ飛ばし契約成立。裏でどんな手続きがされていたのか知らないが、不動産会社が本気を出せばこんなにもスピーディに決まるのかと驚いた。
「この度は私の母親としての至らなさでご迷惑をおかけいたしました。そして娘を救っていただき、本当にありがとうございます」
依緒の母親は目元を指で払う。
「あの子はようやく授かった娘なんです。大事に育てていたつもりが厳しく当たりすぎたようで……もしものことがあったらと考えただけで……」
「イオママは娘想いの素敵なママぴよ。きっと今後は大丈夫ぴよね」
「後日改めて夫とお礼に伺います。それと娘も絶対に行くときかなくて……ずいぶんと仲村さんを気に入っているようなんです」
「へ、へぇ。そうなんですか」
あいつ変なことしゃべってないだろうな。親しすぎると不審なんだぞ。
「いろいろあったぴよが、家が見つかって安心ぴよ」
その一言に尽きるな。
僕は受け取った鍵をキーケースに入れる。大切なものはしまっておかなければ。
フローリングに太陽の光が反射して、室内が宝石箱のように輝いて見えた。
六月から新しい生活が始まる。
【第三話へ続く】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます