08 健全な高二男子はもれなく心拍数爆上がりだわ!

「もうちょっと主張してくれ……」


 放課後、僕は校舎中を探索した末に、三階の隅にひっそりと位置する第二社会科準備室にたどり着いた。室名札がなぜか裏側にしか印字されていなかったため、空き教室と思ってスルーしたのが原因だ。


「使っていない感がにじみ出ているぴよ」


「準備室なんて二つもいらないだろ。一つあれば十分だよな」


 第二教室の存在に文句を言いつつ、扉をノック。


「開いているよ」


 失礼します。招き入れる声に応じ足を踏み入れる。


 教室を半分にした広さの室内は、物こそ多いが小ぎれいだった。

 中央に長机、壁際にはスチール棚と積み重なった段ボール箱が場所を取る。それでもきちんと整頓されているため、手狭な印象は薄い。


 だからこそ、というのもおかしいが、上座で腕を組んで出迎えてくれた先輩の異質さが際立つ。


「ようこそ……超自然現象研究会へ」


「はあ」


 つば広の黒い三角帽子に同色のケープを羽織る冠理かんむり路希ろき先輩は、出会った時と変わらない格好だった。もしかして一日中その格好でいたのか?


「いつでも逃げられる準備をしておいたほうがいいぴよ」


 ピヨからのアドバイスをそこそこ真面目に受け止め、扉を閉める。


「好きなところにかけてくれ」


「じゃあ……失礼します」


 向かって左側のパイプ椅子に恐る恐る腰掛けた。先輩は不敵な笑みを浮かべて僕を見ている。こちらから話を切り出すのを待っているのか?

 僕が来た目的は、トイレでの動画を消去してもらう交渉をするため。まずは相手の人となりを把握してから会話の運び方を決めよう。


「ええと」


「私のことは好きに呼んでくれて構わない。個人的には下の名前が気に入っている」


「では、路希先輩」


 とっかかりとして、おそらく誰しもが疑問を感じる部分から切り出してみよう。


「どうしてそんな恰好をし」


「よくぞ聞いてくれた!」


 言い終わっていない。

 服装はつっこまれると想定していたのだろうか……いや違う。聞いて欲しかったんだ。だから待っていたんだ。だから嬉々とした表情に切り替わったんだ。

 やっぱり変わっている——というか、少し面倒な人。


「これは」

 勢いよく右腕を水平に伸ばしケープをはためかせる。

「会の活動におけるユニフォームだ! 雰囲気が出ているだろう?」


 何の?


「フリーマーケットで二点セット七百八十円だった」


 そしてどうでもいい補足情報。五百歩譲ってユニフォームは受け入れるが、フリマで調達するなよ……別の質問をしよう。


「さっきの超自然現象研究会っていうのは、路希先輩の入っている部活ですか」


「私が発足した。本当はオカルト研究会で登録したかったのだが、顧問にあまり良い顔をされなくてな。とはいえ、超自然現象という響きもおもむきがあるので気に入っている」


 ネーミングの味わいに共感できないので「なるほど」と汎用性の高い相槌あいづちを打っておく。

 形から入る人だというのは理解できた。それにオカルト研究会と聞くと魔女の格好も合点がいく——まともかどうかは別として。


「他の部員は」


「いない。私一人だ」


 だろうな。だから同好会という規模なのだろう。


「普段はどんな活動をしているんですか」


「この世界の見たり触れたりできない物事についての研究だ」


 路希先輩やおら立ち上がった。


「オカルトとはラテン語の『occulta』に由来し、五感で感じ取れないことを意味する。一般常識で説明することのできない事象や現象が、この世界には確かに存在するんだ」


 説明に陶酔しながらなぜか右手を天井に掲げる。いちいちポーズをつけないと話ができないのだろうか。


「自然の法則や理屈を超越した『超自然現象』を解明し、世界に隠されたものを知る。その宿願を果たすために研究会を立ち上げたのだ!」


 天を掴むように拳を握る。朝のひとりミュージカルの続きを観ているような気分だ。


「聞いているだけ疲れちゃったぴよ」


 ピヨの気持ちが分かるくらい僕も消耗している。きっと理解と想像に頭が鋭意努力しているためだろう。甘いチョコレートを食べてねぎらってあげたい。


「私の話はこれくらいにして本題に入ろうじゃないか」


 路希先輩はわざとらしく咳をする。


「君の呪い——その身に取り憑いた悪霊についてだ」


 怪しげな笑みをこぼし、帽子のつばを回す。三角帽子は円形なので回したところで見た目に変化はない。


「これぞオカルトの真骨頂……願ってもいない研究対象だ。くく……くぁかかかっ」


 うわ怖いよ眼がイっちゃってるよ。呪いでこんなにも興奮する女子高生なんて尋常じゃない。作り話だと思われて当たり前の事情を鵜呑みにするわけだ。


「今からでも遅くないから、おなか痛いって嘘をついて離脱するぴよ」


 無理だ。あの深淵を覗くような目を前に、偽りなんて秒で暴かれる。魅力的な提案だったが小さく首を横に振って不採用を伝えた。


「トイレでの話では、頭にひよこの悪霊が取り憑いていると言っていたね」


「もう訂正するのも面倒だからそれでいいぴよ」


 諦めたように定義を受け入れるピヨ。


「今もいるのかい?」


「頭の上から話しかけてきます。自分じゃ見えない場所なので鏡写しに確認するしかありませんが……」


「鏡か。ふむ、ちょうどいいものがある」


 路希先輩は立ち上がると、部屋の隅に置いてあった、車輪付きスタンドミラーを運んできた。僕の背丈くらいの長さがある。


「どうしてこんなものが」


「この部屋は社会科準備室とうたっておきながら、他教科の教材も保管されている。ようは物置部屋なのさ」


 さすが第二教室、その名に恥じぬ存在価値だ。スタンドミラーは美術の教材かなにかだろうか。


「で、見えるかい?」


「はい。いますね」


 パイプ椅子に座る僕の頭の上には、丸くてふわふわした黄色い小悪魔が、片方の羽を広げて得意げな表情を浮かべている。路希先輩に触発されたような格好をするな。


「私には見えないな……失礼する」


 鏡を確認した路希先輩は、僕の目の前でピヨが居そうな場所に手をかざす。


 こ、これは……ふおお!


「ひよこがいるのはこの辺りかな」


「は……はっ、はい。でも手がすり抜けています」


 まるで立体映像のようにピヨの体をすり抜ける。頭上を行き来する手がたまに髪を触るが、くすぐったいという感覚はほとんどない。


 それよりも僕の神経は、眼前の双丘に集中していた。


 路希先輩は座席に着く僕の頭頂部を、覗き込むように見ている。身長差に加えて少し前のめりになっているため、その……胸が、僕の視界を占領している。

 近い。大きい膨らみがものすごく近い。そしてりんごのような甘い香りが、挑発するかのように鼻腔をくすぐる。


「感触がないのは当然として、空気や温度の違和感もない……霊がいる場所は寒く感じるというのは体感に留まるということか」


 今朝も距離を詰められたときに感じていたが、なんだってこんなにいい匂いがするんだ? 洗濯洗剤だけでこんないい香りってするもんなの⁉ 絶対に体から分泌してる!


「すまないね。実際に試さないと納得できないたちなんだ」


「いいえ気になりませんっ!」


 頼んでもいないのに心臓が全身に大量の血液を回している。バクバク脈を打つ音が聞こえたらどうしよう。僕の方が変態だ。


「ユートはウブぴよね~。年上の女の子に接近されただけでドキドキしすぎぴよ」


 ゲスくニヤついたピヨが鏡越しに僕を見下している。仕方ないだろ、こんなの健全な高二男子はもれなく心拍数爆上がりだわ!


 距離を置きたいが背もたれに背中をくっつけているため、今の位置より後ろに下がることはできない。

 早く離れてくれないと……鼻の血管が切れそうだ……!


「ありがとう、参考になったよ」


 路希先輩は踵を返した隙に体内の熱気を排出するように息を吐く。オーバーヒートは免れたが、鼓動は未だお祭り騒ぎのように脈を打つ。


「ハッピータイム終了で残念ぴよねえ」


 うるさい茶化すな。ピヨを掴むことさえ出来たら羽根の一、二本むしり取ってやりたい。


「では口頭で特徴を聞こうか。見た目を教えてくれ」


 席に戻った路希先輩は、内ポケットから取り出したメモ帳とペンを構える。


「普通のひよこです。黄色くて小さくてふわふわで、百人が百人この生き物はひよこだと答えるくらいひよこです」


「生後何日くらいだ」


「えっ?」


 具体的な質問に戸惑う僕に路希先輩は続ける。


「ひよこの成長は早い。生後三、四週間ほど経過すると毛が抜け落ちて色も変わり、親鶏の体型に近くなっていく」


「そうなんですか……それだとこいつは生まれたてかな」


 改めてピヨの体格を推し量れば、テニスボールより小さく見える。羽も畳んでいる状態ではふわふわの体毛と同化して位置が分からない。見た目だけなら赤ん坊だ。


「生後間もないくらいか。ひよこの性別はどちらかな」


 そういえば考えたことなかったな。


「お前、雄なの、雌なの?」


 見ても分からないので直接聞く。


「はぁ? ラブリーキュートなファンシーガールに見えなきゃ眼科に駆け込むしかないぴよ」


「雌だそうです」


 不要な部分を削ぎ落した情報を、真面目な顔で書き込む路希先輩。

 この人、僕がピヨに話しかけても眉一つ寄せない。普通なら心の病を疑われるような行動なのに。


「先輩、本当にピヨが見えていないんですよね」


「目視できるなら直接聞いているよ」


 ごもっとも。

 誰かに現状を相談したところで、けんもほろろにされる身の上。でも路希先輩は僕の言葉をすべて真実と捉え、真剣に不可思議に相対している。もしかしてトイレで先輩と出会えたのは僥倖ぎょうこうと言えるのではないか。


「くかっ……くぁかかか」


「どうしたんですか先輩。脈絡なく笑い始めて」


「いま私は隠された世界の扉に手をかけ、中を覗き見ようとしていると思うと興奮が溢れ出てしまってね……くぐぶじゅるべ、っとすまないよだれが」


 あーやっぱりただの不運かもしれない。

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