07 魔女の召喚
二年生になっても勉強はつまらない。特に数学は。
数字と英語と記号の組み合わせだけが何行も並べられた黒板に、何を見出だせばいいのだろう。どうせなら人生を好転させる方程式を教えて欲しい。解いたところで達成感のない暗号を板書しながら、あくびをかみ殺す。眠いなあ……。
「こら、ちゃんと授業に集中するぴよ」
ピヨが頭皮をコツコツ叩く。鏡がないと頭の上で何をされているか一切確認できないのが当面の悩みだ。ある程度は予測できるけれど。
くちばしでつつくな
僕はノートの端に心の声を書いてピヨに示す。さっきは筆談を受け取る側だったのに、今度は筆談する側に回る自分の立ち位置に皮肉を感じる。
「ピヨのくちばしは丸くてキュートだから痛くないぴよ」
可愛さは関係ないだろ。子猫のイラストが描かれた包丁なら刺しても血が出ないと言っているようなもんだぞ。
「普段からしっかり勉強すればテスト前に詰め込まなくてもいいぴよ。勤勉さは自らを救うぴよ」
ひよこのご高説が教師の声と筆音に混じる。すべてを聞きとれるのは教室内で僕だけだ。ピヨの声は誰の耳にも届かないし、姿すら確認できない。落ち着いた状態で考えても「一体何なんだコイツは」と思う。
そういえば、と頭の上から。
「魔女っ子のところに行くのかぴよ?」
さっき授業に集中しろって言ったよな……どっちなんだ。
まあ黒板を見ても眠くなる一方だし、筆談に興じよう。僕はいまの気持ちをノートに書き記した。
・・・
ゆっくりと黒い点を三つ並べる。その心は思案中ということだ。
『放課後、第二社会科準備室に来なさい』
初対面にして唐突な
従うのはやぶさかではあるが「君の呪いを解いてあげよう」という言葉に一縷の望みを感じているのは確かだ。現状改善を掲げつつも取り憑いているピヨに対処する方法なんて浮かばないし、相談できる相手もいなかった。
向こうがからかっている可能性はゼロじゃない。けれどあんな格好をしておいて、僕の話を常識的に否定してくるとは思えない。プラスになるか分からないけれど、話してみる価値はある。
実際どのような措置に出るのかは見当もつかない。でもあれだけの変人ならもしかすると……なんて期待もある。マイナスにマイナスをかけたらプラスに転じるような逆転の作用があるかもしれない。
行く
連なる黒点の終わりに結論を書き、指の上でシャープペンを回す。宝くじも買わなければ当たらない。買ったことないけれど。
「ピヨはややこしくなりそうな予感しかしないぴよ」
すでにお前自身がややこしいんだよ。とは書かないでおく。
現状に至るまで百害あって一利なし。口うるさい悪霊を取り除けるなら万々歳だ。まったく朝からどれだけ体力を奪われたことか。
「ユートはあの子とまともに話ができると思っているぴよ?」
軽快に回していたシャープペンを止める。
正直自信はない。男子トイレでの言動を見た限り、彼女は生粋の変人だ。会話も一筋縄ではいかなそう。
だけど会わなければならない理由がある。
トイレの動画を消してもらわないと
先輩は言うことを聞かなければ動画を使って校内を探すと言った。これは「要求に従わないと僕の恥ずかしい独り芝居もどきをいろんな人に見せるぞ」ということだ。脳内シミュレーションした最悪の結末が現実になるかもしれない。
先ほど書いた「行く」を二重線で消し、行くしかないと書き直す。
でも第二社会科準備室ってどこにあるんだ? 聞いたことないぞ。
「動画を不安材料にしすぎぴよ。ピヨの存在を抜きにしてユートの言動を思い返してみると……せいぜい悩み多き男子高校生の青春葛藤記録にしか見えないぴよ」
すげーはずかしいわ‼ ぜったい消してもらう!
ノートが火を噴きそうなくらい激しく速記する。
映像記録の主演は僕なんだぞ。もし動画を観たやつが廊下で僕を発見したら「動画の青春葛藤男子だぷぷっ」って遠くから指をさされたり、思うがままにコメントを書き込まれたりされるのは間違いない。
そんなの嫌だ、心臓が耐えられないぃ……。
どのみち僕に要求を拒む選択はないのだ。言う通りにするしかない。
「思春期の悩みは宝物ぴよ。大人になって振り返った時にいい思い出になるぴよ」
うるさい だまれ
お前なんてまだひよこだろ。生まれて間もないひよっ子だろ。青春のなにを知っているんだ。
「ピヨは今とてもいいことを言ったぴよ。名言だからノートにメモっておくぴよ」
ウザい。無視しよう。
「……ら」
「ユート聞いているぴよ?」
窓の外はいい天気だ。たったそれだけで向こうの世界が平和に見える。
「ユート」
「仲村」
なんでアメリカチックに呼んだよ。
「仲村、おい仲村」
「ユート」
無視したら急に強気に出始めたなオイ。
「仲村聞いているのか? 返事をしなさい」
「返事するぴよ」
声で会話はできないって分かっているだろ、しつこいなあ……!
「仲村!」
「なんだよ!」
やってしまった、と思ったときにはもう遅い。
僕の荒げた声は沈黙を呼び、全身に視線という無数の剣が突き刺さる。
「ユート、ずっと先生に呼ばれていたぴよ」
もしかしてピヨの声と教師の呼びかけが混同していたのか……なんてこった。
クラス中の視線が僕に集中し、教師も鳩が豆鉄砲を喰らったような表情で硬直している。空気が冷え切っていくような気がするのは時間が凍ったからだろう、きっと。
自分の顔から血の気が引いていくのが自覚できた。授業中は当てられないように空気と化しているのに、そんなやつが突然叫ぶなど明らかに奇行。僕はいま周りからどう思われているんだ?
いや、それよりもまず叱られる。グレーのスーツをかっちりと着込む数学教師は、居眠りや手遊びをしっかりと怒るタイプだ。どう言い訳すれば……。
仕切り直すように教師が咳払いをする。
「聞こえていたならいい。前に出てこの問題を解きなさい」
「え……は、はい」
言われるがままに立ち上がり、黒板の前に移動する。絶対に怒られると思ったのに。
幸運を味わいつつもピンチは続いている。
目の前に書かれた記号の羅列を前に立ち尽くす。何をすればいいのかさっぱり分からない。
「授業は聞いていたな」
数学教師の鋭い一言に身がすくむ。鋭利な刃物を首筋に当てられたようだ。
いいえ、ひよこと会話して窓の外を見ていました……口が裂けても言えない。
とりあえずチョークを持ってみるも腕は上がらない。なんで黒板ってこんなに圧迫感が強いんだ。いっそ壁から外れて僕を押しつぶしてくれ。
「右辺のかっこを展開するぴよ」
へっ?
「aの三乗プラス3ab二乗マイナス……ほら書くぴよ」
思考が停止した状態でピヨの言葉をそのまま文字に起こす。そして最後にこう言えと指示される。
「これで左辺イコール右辺になるので成り立ちます……」
「正解だ」
教師の言葉にチョークを置く。
「席に戻りなさい。今後は一度の返事で答えるように」
「すみません」
お咎めはなく授業は主線に戻る。冷たい時間が溶けて流れ始めた。
うああ……どうにか乗り切ったぁ……。
席に着くなり机の天板に体重を預ける。試練から解放された体は鉄を背負っているのかと思うほど重たい。
「やれやれ、今の問題で苦労していたらテストでいい点数は取れないぴよ」
ピヨの叱責が自重を増加させる。元はと言えば誰のせいだよ……!
言いたいことは蓄積する一方だが今回はぐっと堪える。呼びかけを無視したのは僕の責任だし、窮地を救われた恩は感じている。だけど礼は言いたくない。
おまえ、あたまいいのか?
疑問を書くと、頭の上から「えっへん」と増長した声が聞こえてきた。
「恒等式くらいお茶の子ぴよ。徳川十五代も言えるし未然・連用・終止・連体・仮定・命令の活用もばっちりぴよ」
すげえ……
驚いて心の声まで文章化してしまった。
「単なるラブリーなひよこだと思ってなめてもらっちゃ困るぴよ」
頭上ではドヤ顔しているであろうことは容易に想像できる。
会話する限りそこそこの知能はあるように感じていたけど、まさか高校の授業に通用する学力を有しているとは……これは使えるぞ。
ピヨが知覚されない以上、テスト中にも堂々と答えを教えてもらえる。散々な目にあっているんだ、これくらいの等価交換は認められて然るべき。
「言っておくけれど今のはサービスぴよ。今後はずるっこさせる気はないぴよ」
看過されていた。
ピヨの協力がなければ計画は成り立たない。そして取り憑かれているメリットもなくなる。
やっぱり駄目だ。一刻も早く祓わなければ。
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