06 扉の前に立っているのは完全にやべぇ奴だぞ!

 この扉の向こうに盗撮者がいる。

 僕は唯一閉まっている個室の前に立ち、慎重に二回ノックした。


 返事はない。


 もう一度ノック。

 やはり返ってこない。


「あの、すみません」


 うやうやしく声をかける。こちらはイタイ動画という弱みを握られていて、しかも相手の情報は一切ない。圧倒的不利なパワーバランス。

 だけど下手に出過ぎて舐められるのもマズい。へりくだらず、真摯に目的を伝えよう。


「さっき僕にスマホを向けていましたよね。もしも写真や動画を撮っていたら消してくれませんか」


 要件は伝えた。反応を待つ間、ネガティブな想像が膨らむ。


 盗撮者がケンカの強い不良とかだったらどうしよう……扉が開いた瞬間に殴られたて、財布盗られた上に脅されたらどうしよう……帰宅部インドア人間に戦闘力は皆無だ。


 最悪の結末は「この動画を学校中にばらまかれたくなかったら言うことを聞け」と脅迫材料にされるパターンだ。お好きにどうぞ、なんて返せるほど強靭なメンタルは持っていない。


 脅迫実行→校内の笑いもの→蔑まされ不当な暴力を受ける→高校生活の地獄化。

 この流れは絶対に回避すべきで、もちろん言いなりになる未来も選びたくない。


 続く沈黙。もしかして籠城作戦か? するにしてもメリットがない気がする。

 やきもきするなあ……何か言ってくれ。


「盗撮は犯罪ぴよ!」


「ばっ……」


 お前じゃない! さっきの約束をもう忘れたのかトリ頭!

 唐突に大声を出したピヨに驚きながら、両手で発声源を覆う。意味ないけど。


「馬鹿じゃないぴよ! 嫌なことは嫌だとはっきり主張しなければ悪に飲みこまれるぴよ!」


 分かったうるさいから静かにしてくれ、急に正義感を振りかざすな……ん?


 扉の隙間からにょきっと二つに折られた白い紙きれが現れた。罫線が入っているのでノートの切れ端だろう。


 僕に対してってこと……だよな。

 抜き取って紙きれには、シャープペンで書かれた文字。



 なぜ一人で会話?



 安堵あんどに胸をなでおろす。図らずも現状に関する証明が成されたからだ。


 盗撮者にピヨは見えていない。つまり、動画には映らない。

 さらにピヨの声は僕以外には聞こえない。以上の二点が確定した。


 男子トイレは狭くて無音。耳をすませば、ささやき声だって聞こえるだろう。だけどピヨの声は知覚されていない。

 声を聞けるのは僕だけと考えて、間違いない。


 実のところ、他人に姿が見えないのなら声も聞こえないだろうと予測は立てていた。が、確かめる手段が思いつかなかったので、大事をとってピヨには沈黙を要求したわけだ。


「ピヨの声は聞こえないぴよかあ。じゃあ普通にしゃべっていいぴよね。うわーいやっと気楽になったぴよぴっぴ~」


 同じく文章から現状を読み取ったピヨが、解き放たれたようにべらべらと浮かれ始める。重苦しい気持ちが少しだけ軽くなった。


「よぴっ、じゃあ堂々と対策を講じるぴよ」


 声を出さずに頷く。

 ピヨはトークフリーになったが、僕の変人要件は据え置きだ。迂闊に会話して精神を疑われるリスクは継続中。つられて話さないように、人前での言動には気をつけなければ。


「向こうがだんまりを決め込むならもう一押しぴよ。相手に『保存した画像には使用価値がない』と思わせる理由を考えるぴよ」


 ここは嘘のつきどころ。危機回避と今後の安全のため全力で話を作る。

 ……これでいこう。


「実は、次の演劇部の公演に向けて練習をしていたんだ。本番が近いから時間も惜しくてさ、でもセリフの練習なんて人前じゃその……恥ずかしくて。だから誰もいないこのトイレに来たんだ」


「いかにもな言い訳だけれど、筋は通っているぴよ」


 僕の創作レベルなんてこんなもんだ。


「相手が演劇部関係者じゃないことを祈るぴよ」


 そこは賭けるしかない。盗撮者の反応が気になる。


 扉の向こうからかすかにペンを走らせる音が聞こえる。一分も待たずに二枚目の手紙が出てきた。不安を混じらせながら開く。



 良い演技だった



「ぷぴぴっ、ちょろいぴよ」


 まずは第一段階突破。続けて動画破棄を要求しようと嘘を考え始めた矢先、さらにもう一枚手紙が出てきた。



 演劇部に二年生の男子はいない



「ぴえぇぇぇぇ! 相手の方が上手うわてぴよっ!」


 やられた! 演劇部関係者だったのかっっ⁉ 

 状況はさらに不利へと傾いた。とんだ嘘つき野郎に対し、相手が強気に出られる形勢を作り出してしまった。やはり付け焼刃の嘘は諸刃の刃、バレた時のカウンターパンチは痛烈だ。なにか言い訳しないと。えーとえーと……。


「待つぴよユート」

 頭上から冷静な口調が制する。

「相手は演劇部関係者とは言っていないぴよ。向こうも嘘をついている可能性があるぴよ」


 相手も適当なことを言って、僕の反応を確かめているのか。

 こちらが慌てふためき取り繕えば、自身で発言の虚偽を証明してしまう。そうなれば主導権を握ることはほぼ不可能だろう。危うく悪手を打つところだった。紙切れを握る手に力が入る。


 依然として状況は盗撮者が優位。

 僕は薄く息を吐く。額をぬぐった指先にほんのりと湿り気を感じる。


 ちらっとだけ脳裏に「なぜトイレでこんな心理戦を繰り広げているのだろう」とよぎるが、向こうが僕の恥ずかしい動画を握っていることを忘れてはならない。編集次第でどうにでも中傷できる素材だ。こっちは未来がかかっている。


「相手がハッタリかましてきたのなら、こっちはさらに上を行くぴよ」


 最初にかましたのは僕なんだけど……策でもあるのか。


「事実を公表するぴよ」


 なんだって?


「下手な嘘をついてリスクを抱えるより、相手も真偽の確認ができないような話を突きつけて混乱させてやるぴよ」


 そうか。僕の境遇はまぎれもない現実だが、僕以外の人間には到底信じられない事態。糊塗ことした作り話ではないので矛盾もなく、先ほどのような上げて落とす一撃を喰らうことはない。


「それで『うわこいつ関わると面倒なタイプだ、撮った動画はさっさと消してやべぇ奴にはどっかに行ってもらおう』と思わせるぴよ」


 できれば無傷で勝利したかったけれど……動画削除が最優先事項、肉を切らせて骨を断つ。これで決着だ。


「すみません。本当は別の事情があるんです」


 しおらしく話し始めてみる。真剣さを演出するために。


「実は、いま僕は悪霊にとりつかれているんです」


「ぴっ?」


「朝起きたら頭の上にひよこが取り憑いてしまいまして、ぴーちくぱーちくやかましく騒ぎ立てるんです。悪霊は僕にしか見えないし、声も他の人には聞こえません。助けてください」


「こんなにも愛らしい悪霊がどこの世界にいるぴよ!」


 高校の男子トイレにいるよ。あと自分で愛らしいって言うな。

 伝え終わると間を開けずに、新しい手紙が挟み込まれた。



 悪霊? 呪われている?



 お、これは動揺していると解釈するべきか。

 そりゃあ僕が相手の立場だったら「こいつ頭がおかしい」と確信させるくらいの破壊力はあった。このまま押し切ってやる。


「そうです、僕はひよこの呪いを解きたいのです。悪霊を祓って元の生活を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。もし解呪の手段について知っていることがあれば教えてください」


 どうだ、この答えようのない質問は! さぁおののけ、扉の前に立っているのは完全にやべぇ奴だぞ!


 何かを手放した感覚はあるが、それ以上に主導権を掌握した喜びが上回る。

 頭頂では「失礼千万ぴよ!」とわめいているがスルーだそんなもん。


 さて盗撮者がどんな文章をしたためるのか見物だ。

 謝罪か? それとも許しを請うか? ククク、好きな方を選ぶがよい。


 腕を組んで勝利の余韻に浸っていると、室内に開錠の音が響いた。

 

 しまった。

 嘘のつきあいでどれだけ優位に立っても、拳で勝負となれば確実に負ける。言い負かすことばかりに心血を注いだせいで、実力行使の対策は何も講じていない。


 ゆっくりと扉が開く。


 殴られる、と反射的に思った。

 とっさに壁際まで後ずさり、腰が引けながらも両手で顔を守る態勢を取る。


「ビビりすぎぴよっ! こっちは強気で……ぴ?」


 僕もピヨも揃って、扉の向こうから現れた姿に意識を奪われる。


 つばの広い漆黒の三角帽子に同色のケープがまず目に飛び込んでくるが、制服を着ているので生徒だと認識した。帽子で顔は隠れているが、スカートと胸の青色のリボンで女子だと分かる。三年生だ。


「あ、あれ? ここ、男子トイレじゃ……」


 真横を見ると小便器が並んでいる。間違いなく女子の存在が異質とされる空間だ。


「なんで女子が……」

「魔女みたいな格好しているぴよ?」


 互いに状況を把握できないでいるなか、女子はすっと僕のそばに近づいてきた。


「ねえ君」


 右手の人差し指を僕の下顎に当てる。帽子のつば先が胸元をくすぐり、表情はまだ確認できない。


「な……なんでしょう」


 我ながら涙交じりの情けない声だ。

 姿を見せてなお正体不明の相手——しかも女子に不意をつかれる混乱の重複で、抵抗の意思なんて持てなかった。


「さっきの話は本当?」


「どの話でしょうか……」


「呪いの話」


 いまそれに言及するの⁉

 ある意味、殴られるより困惑する。嘘というべきか、真実と答えるべきか。


「まさかユートよりやべぇ奴が現れるとは予想外ぴよ」


 僕のは演技だったが、目の前の上級生はガチ中のガチで正体不明。返答次第では何をされるか分からない。


「……本当です」


 真実を答えた。まともじゃない相手に「嘘です」という方が身の危険を感じたからだ。


「くぁ」


 黒いケープに覆われた肩が静かに震える。怒らせたか……?


「くぁかくかかかかっ!」


「ひぃっ」


 カラスの鳴き声を思わせる独特の笑い声に止めていた息が漏れる。著しく上昇を続ける相手の変人度。


「私はツイているわ!」


 魔女姿の先輩女子は僕から指を放すと、その場で両手を掲げてくるくると回り始めた。ケープが黒い翼のようにふわりとはためく。


 急にどうしたんだと思ったらぴたりと回転を止め、再び僕に向き直った。


「君の名前は?」


「な、仲村優斗、です」


「ふむ。後輩なら呼び捨てでも問題ないな」


 くいっと帽子のつばを上げる。ボブカットの女子が目をキラキラと輝かせていた。


「では優斗。放課後、第二社会科準備室に来るんだ」


「……何で?」話についていけず敬語を忘れてしまった。


「決まっている。君の呪いを解くんだよ」


 今度は発声すら忘れてしまった。おそらく頭の上のピヨも驚きで言葉が出ないことだろう。


「ひよこの呪い、この冠理かんむり路希ろきが解呪してみせるっ!」


 胸に手を当て年季の入った天井を仰ぐ。ひとりミュージカルだ。


 入り口の向こうからチャイムが聞こえてきた。そういやまだ登校時間中だということを忘れていた。それくらい朝から濃い出来事が多すぎる。


「では放課後、くれぐれも忘れないように」


 魔女先輩、もとい冠理先輩は個室から鞄や手荷物を取り出して、踊るようにトイレの入り口に向かった。


「ちなみに忘れてしまったら」懐からスマートフォンを取り出す「さっきの動画を手掛かりに校内中を探し回るから手間をかけさせないでくれ。では」


 残された僕たちは嵐が去った後のような感覚に陥っていた。


「なんだったぴよ……」


「僕が聞きたい」


 未だに理解は追い付かない。ただ一つだけはっきりしていること、それは事態がどんどんやっかいな方向に進んでいるってことだ。

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