05 ろくでもない奴に取り憑かれたもんだ

「どういうことだよ」


「何がぴよ?」


 鏡に映るのは、僕の頭上でしれっと首を傾ける黄色いふわふわ。

 僕は怒りの声を響き渡らせた。


「分かっていたなら言えよ!」




 数分前。


 生活指導の出がらしジャージを前に、意を決しニット帽を脱いだ僕にかけられたのは意外な一言だった。


「お前が思っているほどひどい寝癖はないように見えるが」


「……え?」


 反射的に髪の毛を触る。寝癖を確認するためではなく、ピヨの存在を確認するためだ。触れることができないほどすばしっこいので、意味のない行為ではあるが。

 それでも確かめたかった。僕自身はともかく、他人があの黄色い物体が認識できないはずはない。


「整髪料のつけすぎも校則違反だから気をつけろよ。行け」


 出がらしジャージは僕の指導を終了し、定位置に戻っていった。


「どこに行った……?」


 ニット帽を脱ぐ瞬間に帽子の中へと隠れたのかと思ったが、姿はない。

 もしやこれは、黄色い小悪魔の呪縛から解放されたのか⁉


「ふぴぃ~、ヒヤヒヤしたぴよ」


 希望は持った直後に打ち砕かれた。頭の上から緊張感のない口調が落ちてくる。


「どうやらピヨはユート以外の人間には見えないらしいぴよ」


「らしい、っておま……っ!」


 怒鳴りつけようとしたが、周囲からの不審なやつを見る視線を察知して、言葉を飲みこむ。ピヨの言うことが正しければ、一人で癇癪かんしゃくを起こし始めたように見えてしまう。場所が悪い。


 駐輪場に自転車を置き、校舎に入らずグラウンドへ向かった。時間も時間なので運動部の朝練も終了しており、人の姿はない。


 小走りでグラウンドの隅にある小さなトイレに駆け込む。狙い通り誰もいない。これで人目を気にする必要はなくなった。

 手洗い場の鏡に自分の顔を映す。そこにはこれといって特徴のない男と、髪の毛を巣のようにして鎮座する違和感の塊がいた。


「よっ、今日もイケてるぴよっ」


 馬鹿にしている……完全に見下されている。一度収めた腹の虫が、くつくつと起き上がった。


「どういうことだよ」


 僕の憤怒が男子トイレに響き渡った。




「正直な話、ピヨも知らなかったぴよ」


「嘘つけ!」


幼気いたいけなひよこが嘘をつくはずないぴよ」


「純粋な心の持ち主は自分のことを幼気なんて言わん!」


 重なる怒りで、握りしめていたニット帽を年季の入ったタイルの床に叩きつけ……ようとして思いとどまる。

 よーく考えてみるぴよ、位置的にも上から目線でさとしてくるピヨ。


「もしも他人に見えないって知っていたら、あんな息苦しい帽子の中で大人しく隠れていないぴよ」


「自由にしゃべりまくっていたけどな。でもまあ、見られるのはお前としても本意じゃないってことか」


 じゃあ家を出る時点で頭から降りろって話なんだけれど。


「あのとき『帽子を脱げ』って指示したのはなんでだ」


「脱いだ帽子の中に素早く潜り込もうとしたぴよ。でもタイミングが合わなくて失敗しちゃった、てへぴよ☆」


「博打だったんかい」


「でも帽子を脱いで現れたのがかわいいひよこだったら、みんなほっこりして事なきを得るぴよ」


 得ない。絶対に得ない。そしてちやほやされる前提なのがまた腹立つ。

 腑に落ちない部分は多々あるが、ピヨとしても他人に認識されないことを黙っておく必要はない。僕に伝えておいた方が、頭の上で自由に活動できる。それはそれで迷惑だけど。


「どうぴよ、信じてくれたぴよ?」


「現に教師は見えていなかったし、信じるしかないだろ」


 これでピヨを隠す必要はなくなった。ニット帽もお役御免というわけだ。


「姿が見えないのは分かったが、声は聞こえるのか?」


「ユートの耳に届いているなら他の人間の耳にも聞こえる……と思うぴよ」


「それも不確定か。じゃあ人前では絶対に口を開くなよ」


 僕の頭からぴよぴよと声が聞こえるなんて、もはやどう弁解すればいいか分からない。心霊現象というか呪いの類だ。鳥に憑りつかれている状況なのだ。

 しかも相手はひよこの悪霊という締まりのない話。しかも初対面からなれなれしく話しかけてくる始末の悪さ。


「そういやお前、なんで人間の言葉が話せるんだ?」


「えーいまそれ聞くぴよー?」


 今さら疑問を持つには遅すぎると僕も思う。

 だけど朝は起き抜けで頭は回っていなかったし、夢か現かも理解できない状況。くわえて時間的余裕もなかったし、確認の優先順位は低かったと弁明したい。


 気になる回答待ちだが、ピヨは天井を見つめ逡巡しゅんじゅんしている。


「……気にしなくてもいいと思うぴよ」


「考えている間に答えるのが面倒になったんじゃないのか?」


「意思疎通できないよりも、できた方が便利でスムーズだから結果オーライぴよ」


 その通りではあるけれど質問の答えになっていない。


「まだ隠していることがあるなら今のうちに白状しろよ」


「人聞き……ピヨ聞きの悪いことを言わないで欲しいぴよ。ピヨはいつだってオープンハートぴよっ」


 イラつく……言い直したことも、訳の分からないことを言ったあとにウインクしたことも癪に障る。ろくでもない奴に取り憑かれたもんだ。いつまで続くんだよこの状態。


 大体なんで僕なんだ。生活を指導するとか、どこを見て判断したんだ。

 そりゃあ品行方正とは言わないけど、人の道に外れる行いに手を染めたことは一度だってない。僕よりも先に指導すべき高校二年生は日本全国にいるだろう。そっちに取り憑け。


「お前さ、いつになったら降りてくれるの」


「予定は未定ぴよ。差し当たっては、ユートが余裕をもって登校できるようになるまでは見届けるぴよ」


「だからお前のせいだっつーの……はぁぁ」


 話すだけで疲れてくる。なのに、順応しつつある自分に嫌気がさす。重いため息だって吐いてしまうわけだ。


 意思疎通ができることをやっかいだと思ったのは初めてかもしれない。害のない見た目も手伝っているが、どうにも警戒心が鈍くなる。判断力を保て仲村優斗。

 これが野性むき出しのサーベルタイガーだったら、心なんて許さないはずだ。認識した瞬間に失神&失禁している自信がある。


 現状を看過するわけじゃない。頭上の障害を取り除けるなら努力もいとわない所存だ。とにかく今まで通りの生活に戻りたい。手洗い場の縁に手をかけ、重く感じる体を支えた。


「あー、起きてから数時間しか経っていないのに疲れた」


 憑かれているうえに疲れた。もう帰って寝たい。

 もし今が夢だったら、寝ることで現実の自分が目を覚ますかもしれない……おっ、これワンチャンあるぞ? 


「ところでユート」


 僕の希望的観測を無視してピヨがささやきかけてきた。なんじゃい。


「一番奥の個室から盗撮されているぴよ」


「えっ」


 トイレの奥——突き当り右手側の個室に目を向ける。扉の隙間からスマートフォンの背面レンズが首を出し、僕を捉えていた。


 いつからだ? シャッターの音がなかったということは動画か?


 バレたことを察したのか、盗撮者はスマートフォンを個室内に引っ込めガチャンと扉が閉める。


 僕がトイレに入ったとき、入り口から見てすべての扉が開いていたから誰もいないと確信した。使用中なら扉を閉めるのが当たり前だ。そしてピヨとの会話中は誰一人この空間に立ち入っていない。


 つまり、僕が来る前から一番奥の個室には誰か潜んでいたことになる。


 全身が粟立つ。


「ピヨはカメラに映るのか?」声をひそめて頭上に問う。


「どうぴよかねえ」


 なんとも曖昧な返事。

 ピヨが映っていれば痛いビジュアルの男子高校生、映っていなければ鏡に向かって一人で喚く病みきった男子高校生。いずれにせよ、どちらの動画も他人に握られたくない内容だ。


「どうするぴよ?」


 聞かれずともとるべき行動は一つ。

 僕はゆっくりとトイレの奥に向かって歩く。盗撮者の潜む個室へと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る